青の魔法使いの葛藤

ミドリ

美しい沈黙

 偉大なる青の魔法使いであるレナードは、これまで経験がしたことがないほど悩んでいた。


 内容は、押しかけ弟子クルトの異変についてだ。


 レナードの誕生日を前に、レナードが淡い恋心をいだく召使いのリーナが大切に育てていた青いバラが枯れてしまった。バラ園の記憶を読み取ったところ、枯らした犯人はまさかのクルト。


 だが、その時のクルトの様子は普段とはまるで違い、本人にもその間の記憶はない様だった。


 どうすべきかと考えていたところ、リーナが青いバラが再び蕾を付けたと嬉しそうに報告してきた。


 愛らしいその様子を見て、リーナと仲がいいクルトの無意識下と思われる行動についてはやはり言うべきではないと思った。でないと、彼女が悲しむ。


 レナードが沈黙すれば、誰も悲しまない。レナードの心を乱しつつも温めてくれるリーナの笑顔がそれで守られるならばと、レナードは沈黙を選択した。


 バラが枯れた時の彼女の悲しそうな顔を見て、胸が鷲掴みにされた気分になった。あんなもの、もう味わいたくはない。


 だがその日、たまたま用事があり庭に立ち寄ったレナードがついでにバラを見に行ったところ、青いバラの蕾が地に落ちて踏み躙られているのを見つけてしまった。


 慌てて周囲に誰もいないことを確認し、その場の記憶を読み取る。見えたのは案の定、バラの花を引き千切っては踏みつけるクルトの姿。


「どうすべきか……」


 クルトを問い質したところで、明確な答えは返ってこないだろう。意識の深部まで探れる自白魔法もあるにはあったが、あれは拷問で吐かせる為に行なう術であり、術後は対象者の精神面にいい影響は及ばさないことで知られている。


 そんなものを、レナードの唯一の弟子に施す訳にはいかなかった。


 クルトは明るく気さくで、気難しいと言われるレナードにも臆することなく話しかけてくれる。リーナとはまた違った明るさに、レナードの心の傷は確かに癒やされていたから。


 失ったものを復元するのは難しい。時を遡る魔法はあるが、代わりに別のものの時間を奪っていく。


 幸い、今回は蕾を取られただけで葉には何の問題もない。レナードはバラに向かって魔力を込めつつ、時間を早める魔法を掛けた。止める時間はレナードの時間だ。その間は髪も爪も伸びなくはなるが、この程度ならわずか数日止まるだけだろう。


 やがてバラの枝に蕾が成り開花一歩手前の状態り、ほっと肩を撫で下ろす。これでリーナの悲しむ顔を見なくて済むと思った。


「クルト……」


 だが、これで二度目だ。二度あることは三度ある。このまま放置しておけば、次にどんなことが起こるか。


 クルトと話そう。レナードは、修行をしているであろう弟子の元へと向かった。



 研究室へ戻ると、扉が薄く開いている。クルトはよく扉を閉め忘れ、その度にレナードに叱られていた。そそっかしいのだ。魔法使いには冷静沈着さと周囲の状況判断が必須だと口を酸っぱくして言っているのに、とレナードが扉に手を触れると。


「――こら、モリ! 食べちゃ駄目だって!」


 中から、クルトの話し声が聞こえた。モリ? いつの間に何か飼ったのか。


 庭には様々な小動物がいるから、猫か何かでも拾ってきたのか。だが、そんなものを研究室に入れて滅茶苦茶にされたら敵わない。


 レナードはそっと中の様子を窺った。机に魔術書を広げて、クルトがいつもの様に呪文の練習をしている。この半年強で、クルトの魔法はかなり上達した。当初は魔力を安定化させる月の欠片と呼ばれる魔石に頼っていたが、今はそれがなくとも魔力の暴走は殆ど起こらない。


 魔石が放つ淡い青い光に照らされて、石壁に影がゆらゆらと揺れる。


 壁に映し出されているのは、クルトの影。その少し離れた所にある影の形の異様さに、レナードは思わず息を呑んだ。


 中を覗いても、影の主はどこにもいない。だが、レナードがこれまで溜めた魔石が積んである籠がひとりでに揺れている。魔石のひとつがふわりと宙に浮かび――突然空間に呑み込まれたかの様に掻き消えた。


 そちらに向かって、クルトが話しかける。


「あ、こら! また食べちゃったな! 最近ちょっと食べる量が多いぞ」


 そして、聞く素振りでふんふん頷くクルト。


「まあ確かに、会った時はちびっこだったのに今じゃ十歳くらいには見えるもんなあ。成長期ってやつ? へえー」


 レナードは、壁を再び見た。クルトに抱きつく影。その影には透けた大きな羽根が生えており、ふわふわとそよいでいる。


 クルトの話では、少年なのだろう。長い髪をなびかせている影の頭から生えているのは、二本の捻れた角。


 姿の見えない影の正体に、レナードは気付いてしまった。


 ――なんてことだ。


 くらりと目眩がする。


 かつて師から聞かされた、邪気を糧とする妖精の姿と完全に一致する。


 あれの正体は、邪妖精だ。


 そしてそれを従える者は、世にひとりしか存在しない。


 破壊神、魔王――。


 レナードはその場に膝を付くと、暫く茫然自失とせざるを得なかったのだった。

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