The REASON of “1+1=2”
〈I. 1+1=1+1…〉
大抵の学問はソフトなものだ
何がソフトかというと“断言できない”
ある事象についてこれはこれこれこうである、は、
あくまでも“そういう傾向がある”というだけのこと
例えば生物学的には人類はやがて絶滅する
それは“これまでの生物はみんなそうだったから”と
ただその程度の根拠でしかない
だから人類が“本当に”絶滅するかどうか、
“完全に”“絶対に”そうなのかどうかは
わからない
〈Ⅱ. 1+1=2, 1+1=1+1=2, 1+1=1+1=1+1=2…〉
唯一の答えを求めている
唯一の答えを求められている
在るべき答えを求められている
それが本当に正しいのかどうかがわからなくても
“こう答えろ”と求められている
だから僕らは迷わずに答えられる
だって黙って従っていればそれでいいから
そしたら他人の責任にできるから
たとえ疑問があってもなんとなくそういうことにしておけば
迷わずにいられる
そもそも答えが一つじゃないと採点できない
それ以外の可能性や選択肢を悩むのは
面倒臭いから
〈Ⅲ. 1+1=2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10…〉
僕らは正しいのか間違っているのか
そんなことは誰にもわからない
声の大きい者が正しい者になっている
あるいは法律で烏は魚だと定められたなら
烏は水族館で展示される
僕らは正しいのか間違っているのか
間違いを正解だと思い込んでいるのかもしれない
君は実はいま夢を見ていて、
しかしそれを起きていると思い込んでいるだけなのかも
誰も何も気づかなければ、
“そこ”に“それ”はあることになるから
〈Ⅳ. 1+1=0, 1+1=1, 1+1=11…〉
AとBでは見ているものが違う
見えているものが違う
だからそれぞれ違った答えを出す
だからどっちも正解だし、
どっちが正解かわからないし、
どっちも間違っているかもしれなくて、
あるいはCは別の考えを持っているかもしれず、
そして僕らは混乱する
しかしそもそも問題文そのものが本当に正しいのか?
論理の正しさは絶対の答えではない
ただ妥当なだけだ
前提があっての結論だから永遠の真理は存在しない
前提とは“ともかく成り立っている”と認めるもの
僕らはその前提に従って考えるしかない
だからもしかしたら前提自体が間違ってるのかも
だから僕らは間違ったまま考えているのかもしれない
〈Ⅴ. 1+1=2, 1+2=3, 2+2=4, 2+3=5, 3+3=6…〉
わからない わからない
何が正しいのか 何が間違いなのか
何が答えなのか 何がそこに在るのか
わからない わからない
何もわからない
僕らは何にもわかっていない
ただ、一つだけわかっていることがある
“僕らは考えている”
だからとりあえず今は今の答えで進もう
それが正しいかどうかはわからない
もしかしたら間違っているかもしれない
だから“とりあえず”で進んでいこう
いつか真理がわかるかもしれない
そしてわからないかもしれない
それでもここからどこかへは行ける
少なくともその過程で僕らは学べる
何度も何度も傷ついて傷つけて倒れて、
その度に立ち上がって、
そしたらいつか世界の中心へ、宇宙の果てへと、
辿り着けるかもしれない
そう信じてみたい
そう信じてみたいのだ
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