野鎌

朝吹

野鎌 上

 


 幽霊には寿命がある。授業中の教師の雑談だ。

 古戦場址に行くと一面にいたはずの武者の地縛霊がきれいに消えており、それで成仏したと分かったらしい。四百年が魂魄が滅する目安だそうだ。非業の死を遂げてから約四百年。長げえ。

「退屈しそうだよね」

 掃除を終えた女子が笑いながら鞄を持って教室から出て行った。俺も同感だ。

「四年でも長い。四百年もの間、幽霊は何をしてるんだ」

「首を取られたものは首を、腕を斬られたものは腕を探し求めて、彷徨い歩くということになっている」

「生きている人間には悪さ出来ないのに未練が強いんだな」

「ここも合戦があった処だぞ」

 篠田が口を出してきた。

「武装して一揆をおこした農民が立て籠った山城の址だ」

 確かにそういう山だ。その名残で校名にも城の一文字が入っている。

「江戸後期の一揆だから四百年はまだ経ってない。極刑された民の数が多いから小規模一揆でも有名なんだ」

 篠田は郷土史に詳しい。田舎だからあまり人が動かないのもあるが、代々この土地に暮らしてきた家の末裔だ。

「一揆は悲惨なんだよな。えぐすぎる」

「合戦で死んだ武士と一揆の死者はまた違うんじゃないの。百姓の幽霊ばなしはあまりきかないぞ」

「『雨月物語』」

「あれは、幽霊なのは妻の方だ。戦に向かったわけでもないし百姓でもない。しかも創作」

 何一つ合ってない。ひとしきり俺たちは笑った。

「戦国時代の足軽は百姓がなるものだったから、足軽の幽霊がいたらそれだろ」

 そんな与太話をしながら、篠田と俺とあと二人を加えた男四人で、曲がりくねって続く長い坂道をだらだらと下校していた。俺たちの高校は山の上にある。蛇行した山道が通学路になっている。通称『いろは坂』。栃木県日光市のいろは坂ほどではないが、要はそんな感じってことだ。バスも通っているのだが、そんなに大きな山でもないし、行きは乗っても帰りは徒歩で山を下りる生徒がほとんどだった。帰りのバスを利用するのは女子限定。

 陸上部がいろは坂を下から上がってきた。高校駅伝大会に備えて毎日この坂道を往復している。さすがは強豪校だ、登りでも速い。並みの人間の全力疾走と変わらない。がんばれよーと俺たちは顔見知りに声をかけてすれ違った。

「どうした」

 篠田が立ち止まっていた。山を巡る道は片側が崖になっており、道に沿ってガードレールが設置されている。もう少し季節が進むと、道端はガードレールの脚が埋もれるくらいに枯れ葉が積もる。

「どうした篠田」

「足首に何か引っかかった」

「『足首さま』か」

 頂きに建つ高校を含めたこの山の全体とふもとの町に、昔から云い伝えられている怪奇現象だ。学校の怪談や七不思議のたぐいで、斬られたと想っても血の出ないかまいたち伝承とよく似ている。誰かが不意に足首を掴むのだ。

 掴まれたと想ってもそこには何もない。山里の狐や狸が手に化けてそう想わせるのではないかと云われている。篠田は身をかがめて足首をさすっていた。

「一瞬だけど、気持ち悪いんだよ。人間の指の感触にまじ似てるんだ」

「お前よく掴まれるの」

「掴まれる」

 ふしぎなことに、掴まれる奴は何度も掴まれるし、そうでない者はまったく掴まれない。掴んだものの正体を探すように篠田は周囲を見廻していた。

「篠田、先に行ってるぞ」

 がさり。山から音がした。俺たちはそちらを見た。車道側の林から空を切って回転しながら何かが飛んできた。草刈り用の鎌だった。



 暗くて冷たい、暗くて冷たい。

「七日間、墓の横に置きざりにしておかんと野鎌のがまに化けると……」

「……こんな藪中に墓があった話などきいたことがない」

 これ、鎌だな。

 おらが使ってもいいのか? いいんだな。

 いいんだなぁ。



 顔色が悪い。そう家族に指摘された。

「今日は学校を休みなさい」

「行く。実力テストが近いから」

 今までの俺はテレビの未解決事件の特集を好んで観ていたが、もう二度とその手の番組を観ることはないだろう。山の中に潜んでいた誰かが、下校中の生徒に向かって刃物を投げたのだ。小さな町が大騒ぎになった。

 通学路である山道のふもとには今日も警察のパトカーが待機している。いろは坂の途中の篠田が死んだ場所には花が供えられており、菓子やジュースの供物はいつも新しい。花束は篠田の親が供えることもあれば、篠田を知っている保護者や生徒が家から持ち寄ることもあった。

「ネットでは怨恨か愉快犯が濃厚」

「篠田は恨まれるような奴じゃなかった。早く犯人が捕まるといいよな」

 篠田を殺した者は不明のままだ。

 全校集会で校長に訓辞されたとおり、俺たちはなるべく篠田のことを口にしないようにしていた。SNSに書き込むことは禁止されたし、話題にすることも憚られた。 

 誰もが口を重くしているうちに、篠田は転校した存在と変わらなくなっていく。

 最初のうちは現場を通るたびに立ち止まって拝んでいた生徒たちも、四十九日を待たずして次第にそれもやらなくなった。教室の篠田の机に飾られていた花も、花瓶ごと今日になって担任が片付けた。かといって篠田の死が風化したわけではない。下校時のバスは満員に近かったし、坂道には防犯カメラが設置され、ひとりで帰る者は皆無だ。犯人がまだ捕まっていないこともあり、下校時刻から十六時半までは持ち回りで教師が通学路の曲がり角に立って生徒に声をかけている。

「気をつけて帰れよ」

 ふもとのパトカーも下校時刻になるとゆっくりと徐行しながら山道をあがり、あがり切るとまた坂をさがって、警戒パトロールを続けていた。


 落葉のはじまった樹々が昨夜の雨にまだ濡れていた。篠田が殺されたのはこんな薄曇りの天気の日だった。俺は忘れることはないだろう。血の噴き出す頸動脈を抑えていたあの長い長い時間。一人は先生を呼びに学校に走り、一人は鞄から取り出した端末で救急車を呼んでいた。動揺した震え声。舗装された道路にこぼれ落ちた大量の血。何も映さない眼になって動かなくなった篠田。

 暗くて冷たい、暗くて冷たい。

 ほぼ即死だったと聴いた。一つだけよかったことがあるならば四人で下校していたことだ。俺ひとりだけなら、とても警察にあんな話は信じてはもらえなかっただろう。

 回転しながら、鎌が、こちらの林の中から飛んできたんです。それが篠田くんの首に突き刺さったんです。草刈り鎌でした。

 現場検証でも物的証拠は見つからなかった。篠田の首に確かに突き刺さったとみえた草刈り鎌も消えていた。さらに鎌が飛んできた方向は、ほぼ垂直の崖で、張り付くようにして群生している樹木の他は人が隠れて待ち伏せできる余地もなく、鎌が飛び出してくるような何かの罠を仕掛けた痕跡も見つからなかった。

「鑑識をかけても人の潜んでいた跡がない。凶器が見つからないのもふしぎだ」

 でも確かに見ました。あれは鎌でした。草を刈る小さめの鎌が空中を飛んで来て、篠田くんの首に突き刺さったんです。

 刑事たちの眼は、俺たちが口裏を合わせて篠田を殺したのではないかといわんばかりだった。


 軽自動車がいろは坂を徐行してきた。運転しているのは化学のサリー先生だ。山口紗里先生のことを生徒はサリーとあだ名している。紗里先生は生真面目きまじめでいかにも理系女子リケジョな感じだが、若者文化が通じる貴重な二十代の女の先生なので男女問わず生徒からの人気は高い。まあちょっとした学生生活の潤いってやつだ。サリー先生の胸がもうちょっとあればいいのにな。

「君、一人?」

 運転席の窓がさがって紗里先生が俺に声をかけてきた。パステルカラーの車体。その新車の色のセンスどうなんだサリー。

「下まで送るから乗りなさい」

「パトカーがいるから」

 大丈夫ですという意味をこめて云った。若い女の先生に怖がっていることを悟られたくなくて虚勢をはるくらいの元気はあった。さっき陸上部が通ったし、町の有志が犬の散歩がてら見廻りもしている。太陽はまだ高い。

「気をつけて帰りなさい」

「先生も気をつけて。さよなら」

 この先のカーブに向かって紗里先生の車は下っていった。

 つめたい風が吹いてきた。俺の影が坂道にのびている。その影にもやっとした影が重なった。ガードレール脇の古びたミラーには俺しか映っていない。

「やっぱり乗って」

 紗里先生の軽がかなりの速度でバックして戻ってきた。窓から顔を出したサリーの顔が怯えている。

 腰がくだけるというが、その通りになった。俺はコンクリートで固めた坂道に尻をついていた。確かに今、誰かが俺のわきを駈け抜けて行った。手に鎌を持っている。あいつだ。今のやつに殺られたんだ篠田は。ざんばら髪のそいつがましらのように宙を飛んだ。

「サリー先生」

 バックしていた紗里先生の軽自動車がいきなり角度を変えて半回転すると、俺の眼の前で山肌に激突した。



》下に続く

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