放課後 智香

 ショートホームルームが終わるとそこかしこから別れのあいさつが聞こえ出す。

「じゃあね、ともっち」

「さよなら、とも」

「ともちゃん、また明日ね~」

 クラスメイトたちに応えながら帰り支度をしているといつも通り由花がカバンを手に私のもとに来た。

「ともっち、一緒に帰ろ♪」

「はいよ、ちょっと待っててね」

 私が帰り支度をする間、由花は前の席に座り、中空を見つめながらときどき「にヘへ」と笑ったりしている。はたから見るとけっこうヤバイ光景だけど、彼女の妄想癖もうそうへきはクラスメイトの間で有名なので、クラスでする限り問題はない。

 由花はそういう『ちょっと変わった女の子』とクラスで認知されているので、痛い目で見られることはない。あれ、本当は問題がありじゃん、これ。 まあ、いっか。問題と認知しなければ問題にはならない。また、認知してもスルーして触れなければやはり問題は問題足り得ないのである、まる。

 そんな真実に気付きつつも、私は普段と変わらない口調で彼女へ声をかけた。

「よっし、準備完了。じゃ、帰ろうか」

「うん」

 由花とクラスを後にしようとしたとき、

「とも」

 鋭い声だった。鋭く、強く、それは針のように耳もとに突き刺さる。そんな声を出せる人物を私はひとりしか知らない。

 私が振り向くとその人――夏目旭がこちらを見つめていた。今ここで無視したところで彼女のことだ、明日にでもまた声をかけてくるだろう。

「ごめん、ゆっこ。今日は先に帰ってくれる?」

「うん、わかった。じゃ、また明日ね」

 由花は別に気にしていないよ、とでも言うように快く頷いてくれた。

「旭さんも、またね」

 由花が私の肩越しに旭に手を振る。

「ええ」

 そう応える声は明らかに私に話しかけるときの声と違った。私は由花の姿が廊下の角に消えるまで見届ける。

 窓を開く音がして、戸口に立つ私の頬にゆるやかな風が流れた。

 振り向くと、開かれた窓辺に寄りかかり、腕を組んでいる旭がいた。

 窓から招かれた風が教室を通り抜け、旭の長くつややかな黒髪の上で蛍光の光が移ろう。

 大きく深呼吸をして、ゆったりとした足取りで彼女のもとへ向かう。私が旭のそばにある机に座るとすぐに彼女が口を開いた。

「瀬川さんに気に入られてるみたいじゃん」

 瀬川? ああ、転校生のことか。

「別に、そんなことないよ」

 そっけなく返答し、ふいと横を向く。実際、彼女の行動が私に対する好意によるものなのか、ただのお節介な性格によるものなのか、わからなかった。まあ、キョド娘な瀬川のことだから、そのうち遅かれ早かれわかることだろう。そう、願ってる。あわよくば私を変に巻き込まないでくれるといいな。

 旭の視線を頬に感じた。何かを見極めようとするとき、おしゃべりな彼女は決まって黙り込む。口を閉ざし、両の瞳で相手の表情をじっと見据える。そうすることで相手の表情から何かをみ取ろうとする。

 事実、旭は人の嘘を見抜くことに長けていた。

 彼女が黙り込むと周囲の音がにわかにざわめきだした。誰かの話し声が廊下から響いている。金網の向こう側にある道路から自動車の排気音が聞こえる。風が吹き、 葉擦れのさわさわという音が聞こえた。窓から流れ込んだ風が私たちの髪を揺らし、ふたつの影が震える。

 やがて、旭が静かに呟いた。

「そっか」

 それだけ言い、カバンを掴むと戸口へと向かう。彼女なりに納得したようだった。

 旭が横を通り過ぎるのを待ち、しばらくしてから私が小さく息をつこうとしたとき、

「とも」

 旭が呼んだ。びくりとして振り返る。戸口に立つ彼女がこちらを見ていた。

「な、何よ」

「瀬川さん、いい子だよ」

 そういった旭は不敵な笑みを浮かべながら教室を後にした。

「…あ、ちょ、ちょっと……」

 我に返り戸口に駆け寄ったとき、彼女はすでに廊下にいなかった。

 私は小さく息をつくとぽつり、つぶやいた。

「瀬川か……」

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