ちいさなあかり

三毛猫マヤ

オープニング

 目を開き一瞬、自分がどこにいるかわからなくなる。ぼんやりとした意識の中、室内を見回すと机上に置かれたキーホルダーが目に止まった。

 そっかわたし、転校したんだ。

 小学校の頃に出来た数少ない友達はそれぞれ別々の高校へゆき、まったく知らない人たちとの高校生活。生来ぼんやりなわたしは奈月ちゃんという唯一の友達が出来て、ようやくクラスの雰囲気に慣れ始めてから、ふた月と経ってはいなかった。


 ある日帰宅すると、お父さんとお母さんが居間で何か話し合っていた。

 はっきりと時間は覚えてはいないけど、わたしがいつも帰る時間だから5時くらいだったと思う。お父さんは普段、どんなに早くとも7時より早く帰ってくることはない。会社が定時で終わっても、それから自宅までの1時間、電車に揺られなければならないからだ。

 不思議に思いながらもわたしの足は自室へと向かっていた。




 その数日後、わたしの転校が決まっていた。




 1学期の終わりまであと数週間を残した帰りのショートホームルーム。担任がおもむろに伝えた。

「みんな、瀬川さんは今学期限りで転校することが決まりました」

 そう言うと担任はわたしを手招きした。

  不意打ちを受けたわたしの足取りは、まるで酔っぱらいのおじさんのように、よたよたとおぼつかなかった。

 先生が教壇から少し離れ、わたしに立つよう促す。

 教壇に立ち、顔を伏せ、目を閉じるとひとつ深呼吸をする。教壇をつかむ掌が震えているのに気付き、顔が熱を出したように火照ってくる。額から吹き出してくる汗を拭こうとしてポケットから出したハンカチが落ちる。拾おうと思いしゃがんだとき、額を教壇の角にぶつけた。誰かが低い声で笑う。先生が咳払いをする。しゃがみ込み、ハンカチを拾ったわたしは、もう立ち上がりたくなかった。

 その時、ふと奈月ちゃんの声を聞いた気がした。 顔を上げ、彼女の席を見る。

 彼女は「ん?」という顔をして、次にはにこりと笑う。ふわりと、花が咲いたような柔らかな笑み。

 


 わたしはゆっくりと立ち上がった。

 


 引っ越しは8月の半ばだった。

 夏休みに入ると本格的に引っ越しの準備に追われた。お母さんの手伝いの合間に自分の荷物もダンボールに詰め込んだ。

 わたしの15年間はたった4つのダンボールに収まった。


 引っ越しの日の朝は、低血圧のわたしには珍しく早起きをしていた。普段なら寝起き特有のかすみがかったような意識も不思議とクリアだった。

 窓を開け伸びをしたまま、わたしは固まってしまった。

 わたしを見上げる奈月ちゃんもまた、固まっていた。


 家の門に立つと、奈月ちゃんは背中に隠していた両手を前に差し出した。

「これ、あげるね」

 彼女の掌には小さな小包があった。

「あ、ありがと…」

 お礼をいって受け取る。

「中、見てもいいかな?」

 奈月ちゃんがこくんと頷く。

 小包には黒猫のキーホルダーが入っていた。

「これって、あの時の?」

 それは以前に奈月ちゃんと買い物へ行った時、2人で見つけたものだった。

 お小遣いを切らしてしまったわたしたちはそのキーホルダーを見つめながら

「かわいいねぇ」

「ほんと、かわいいねぇ」

 と何度も何度も繰り返していた。

「奈月ちゃん、ありがとう」

 わたしがお礼をいうと、彼女はにこりとしてポケットから自分のカギを取り出した。

 そこにもまた、同じ黒猫のキーホルダーがあった。

「これで、ずっと一緒だよ……」

 はにかんだ笑顔で、奈月ちゃんはそういった。

 わたしは奈月ちゃんが大好きで、彼女もまたわたしのことを大切に思っていてくれて――それがただただうれしくて、気が付くと私は彼女に抱きついていた。

 奈月ちゃんは始めびっくりしていたけど、やがてわたしの背中を優しく撫で始めた。

 彼女の掌から伝わるやさしい気持ちに、わたしは、ちょっと泣いた……。


 階下からお母さんが呼んでいる。       

 返事をして机の上にあるキーホルダーを掴む。そのつるりとした背中を撫でながらカレンダーを見た。


 

 今日から瀬川日和せがわ ひよりの新しい学園生活がはじまる。

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