間違いようもなく、好き。

少覚ハジメ

間違いようもなく、好き。

 ふとしたきっかけで、恋に落ちる。最初はなんだか、気になる程度だ。気になるの正体を探っているうちに、相手への興味はどんどん深まり、結果的に、好きになる、のだと思う。少なくとも、僕にはそう思える。


 僕は高校一年生で、クラスの図書委員で、気になる相澤もやはり同じクラスの図書委員だ。周に一度、放課後の図書室で、一緒に貸し出しなどの仕事を行う。とは言っても図書室に人はあまり寄り付かない。二人して読書をして過ごし、まれに人がいても構わず読み続け、貸し出しや返却の時だけ顔を上げて、すぐまた本に戻る。


 相澤の好みは、渋いことに歴史小説だ。中学までは剣道をしていたという彼女は、歴史小説の登場人物たちにあこがれて、刀、もとい竹刀をとったが、続けているうちに、自分のやりたいことが剣道のようなスマートなものではなく、ただのチャンバラだと気づいたらしい。歴史小説を読む女子も珍しければ、チャンバラが好きだというのもやや特異ではある。だが剣道のおかげか、相澤の姿勢は良く、所作もなんだかきれいで、てきとうに、だらけて過ごしているはずのこの時でさえ、背筋だけはピンとして、ちょっと凛々しくもある。好感が持てる。

 僕の方は、歴史は好きだが歴史小説ではなくて、学術書を読んでいる。歴史小説は歴史上の人物を題材にした小説。つまり創作。織田信長や、豊臣秀吉や、徳川家康が、民のため、天下に平穏をもたらそうと理想を抱いて戦う。そんな高潔な人間が愛知県に三人もいたとは驚きだが。一方で僕の読んでいるのは歴史の研究者が書いたものだ。ただしすべての事実が書いてあるかというと、なにぶん何百年か昔の話なので、推測も大いに混じる。そこでは織田信長が、非常に現実的な天下構想をもって精力的に版図を広げていくさまや、豊臣秀吉がうまく立ち回ったこと、徳川家康がとにかく生き残ることに必死になった結果、天下を取ってしまった事情が描かれる。これはこれで愛知県はすごいなと思わなくもないが、もちろん違う考えの研究者もいる。いずれにせよ、実際の出来事を明確にしようとしているところは同じだ。

 だからと言って、相澤がロマンチストなわけでも、僕が現実主義者なわけでもなく、ようは好みの問題で片が付く。


 相澤の話を聞いたとき、僕は笑った。剣道じゃなくて、チャンバラが好き。しかし剣道なら部内に対戦相手もいただろうが、チャンバラは誰とするのか?そう聞いたら、小学生の弟、という答えが返ってきた。でも、相手にならない、と彼女は唇を尖らせる。それは、そうだろう。剣道経験者のチャンバラと、ただの小学生のチャンバラでは格が違うはずた。哀れなのは相澤の弟だ。

「野崎が相手してくれてもいいのよ?」

 と挑戦的な相澤。

「昔、たしかにやったけどね。でもチャンバラ経験者が相手じゃ、荷が重い」

「剣道経験者だよ」

 彼女が訂正する。そこは剣道ということにしておきたいらしい。

「でも、剣道に二刀流はなかったな」

 相澤は宮本武蔵を愛読している。しかも吉川英治の。

「刀は重すぎて二刀流は無理だって話だけど」

「チャンバラはいいのよ。軽いからできる」

 確かにそうだろう。昔あそんでいた時にも二刀流はいた。案外厄介だったことを思い出す。

「どう、なんなら野崎が二刀流でもいいよ?」

「どう、って、どこでするんだよ?」

「いつもはうちの庭」

「女子の家にお邪魔するのは避けたいかな」

 とは言ったが、相澤の家、興味はある。だがいきなり家は、ダメだ。何がダメなのかはわからないが、たぶん照れてしまうとか、意識してしまうとか、親に関係を聞かれたら困るとか。

「公園はどうかな?」

「公園で高校生男女がチャンバラはどうかと思うなあ」

 そんなの別にいいじゃん!と相澤は言う。そんなところが、飾らなくていいなと思う。変に気取ることが無い。少しは世間体も気にして欲しいとは思うが、気にしすぎるひとは苦手だ。僕の親は、マンション住まいのせいもあるのか、そのあたりに繊細だ。息苦しい。

 姿勢が良くて、所作がきれいで、ちょっと凛々しい相澤が、チャンバラをしたいと駄々をこねるのが、かなり面白かった。僕としては、そんな戯れも、彼女との距離が縮まるのならば、と思わないでもないが、結局のところ、どこまで距離が縮まれば好きになって、お互い好きになれて、思いは遂げられるのか。自分でさえ、この感情が気になる以上のものなのか、すでに恋なのかもわからないのに。


 明くる日、登校してすぐの教室で、僕は原に声をかけられた。彼とは、まあ仲がいい。いやたぶん友達だ。たぶんというのは僕が人間関係を区別することが苦手だからだ。いつもどこから友達で、どこから親友で、どこから赤の他人なのかと悩む。いつもうだうだしている人間なのだ。歴史の本のように、推測が多い。

「彼女休みだってさ」と原。

「風邪だって、森がいってた」

「彼女?」

 森はわかる。担任だ。しかし彼女とは誰を指す?

「相澤だろ」と原はこたえる。心底あきれたような顔をして。なぜあきれられているのかがわからない。心当たりがない。あると言えばあるが、相澤が気になっているなどとひとことも漏らしたことがない。しかし気になっているどころか彼女だとは。

「なんで相澤が彼女なんだ」

 そういう自分の顔が変だったりしないか、とても心配になる。不本意なことは何もない。しかし現実には、相思相愛でもないのにそう見られることは、とても悔しい。なぜならそうではないから。そうなって欲しいと、たぶん思っているのに、そうなっていないから。

「隠れて付き合ってるんじゃかったの?」

 どこ情報だよ、と僕は突っ込む。知らんぷりをして。

「あいつ、杉下とお前の話してたりして、なんかすごく楽しそうだったし、お前ら図書委員で二人きりになるし、示し合わせたんじゃないかって」

 杉下は相澤の後ろの席の女子だ。ふたりは仲が良く、たまに図書室にも現れる。そうか僕の話をね、と少しうれしかったが、しかし委員については示し合わせるも何も、入学したての、まだ全員の顔と名前すら一致しない時期に決めたものを、示し合わせるなどというのは、無理だ。そもそも相澤を認識したのは、同じ図書委員になったからだし、二人きりになるのも図書室に訪れる人間が少ないからだ。

 二人きりとは、そこまで特別だったのかと、いまさら思った。考えてみればそうだ。仲の悪くない男子と女子が週一で図書室に二人きり。解放はされているが、人はあまりこない。見ようによっては、一種の特別な場所にも思えるだろう。そして、実際に僕は、相澤が気になっている。

 気になるといえば、相澤が風邪だと聞いてから、実は気になるどころではなくなっている。正直にいえば、心配している。熱は高いのか、息は苦しくないのか、鼻は。家族はそばにいるのだろうか。ひとりきりで苦しんでいないだろうか。

「おはよう」

 と女子の声が聞こえて、何となくふりかえるとと杉下が教室に入ってきた。自分の席、つまり相澤の後ろの席にカバンを置くと、一拍おいてこちらを見る。僕と目があって、その目を大きく開いて、にやりとした。

「野崎、きょうはめぐみ、風邪で休むってLINE来てた」

 LINEか、なるほど。いいな、僕も知りたい、と漠然と思ってから返事をする。

「原に聞いたけどね。学校にも連絡入ってるんでしょ。みんな僕に教えたがるんだ」

「あ、そう。それはそれは」

 杉下は下から見上げて、ちょっと意地悪そうに笑っている。

「めぐみのお見舞いに、興味ない?」

 女子のこういうところには敵わないなと、いつも思う。敏感だし、ちょっと大人で男子のことなど見透かしている。こうなったら、たぶん何をいっても無駄だ。どうせ見抜かれている。見抜いた上で、なおかつ誘ってくるのだから、乗らないわけにはいかない。

「興味は、あるかな。でも迷惑じゃないの?風邪ひいてるところに押しかけて」最大限の、抵抗。

「昨晩がひどかったらしいの。でも今日は大事をとって休んでるだけだってさ」

 そうか、なら元気なのかな。先ほどの想像より、状況は悪くないらしい。悪いか悪くないかわからないのはお見舞いに行くという状況だ。顔は見たい。いつだって。


 放課後、杉下と連れ立って、相澤の家に向かう。庭があるといっていたから一戸建てだろう。そうすると、一戸建てが多いのは駅の向こうだから、うちのマンションとは反対側に行くことになる。

 杉下はなんだか機嫌が良さそうだ。

「仲、いいよね」と僕は話しかける。

「そうだねー。恋バナするくらいには」意地悪な顔。

「杉下にもいるの?好きな人」

「んー、どっちかっていうと聞き役。めぐみの」

 ドキリとする。相澤の、好きな人。いや、どうだろう。気になる程度かもしれない。僕と同じく。そうなんだ、と若干、腰が引けた返事をする。杉下は笑っている。

「鈍感なところも、いいんだってさ。変わってるよね?」

「そうなのかな?」

「本当に鈍感だからおもしろいよ?」

 僕は、なんだか居心地が悪い。確実に、彼女は察している。察している上で、相澤めぐみの恋バナについて話をする。もしかしたら、あきらめろといわれているのかも知れないし、逆なのかも知れない。人の機知を理解するのが難しい。だから今この期におよんで、気になっているだけなのか、好きなのか、よくわからないし、もしかしたら二つは同じ感情の、強弱の度合いを指しているだけなのかも知れない。だとすると、より適した言葉は「好意を抱いている」で、いいだろうか。

 好意。これは、でも好きということで、好意も好きも同じで、と頭の中がぐるぐるする。言葉の定義は、特に感情については、何一つ正確じゃないと思う。相変わらず杉下は僕を観察している。

「いい子だよ?」

「うん。ちょっと変わってるけど」

「そこが魅力だと、私は思う。そこんとこ、どう思う?」

 一歩踏み込まれた感じがして、えっ?と思う。彼女は真剣な、でもちょっと心配そうな顔をしている。

「いいと思う。割と好きかな」

 僕はちょっと語尾を濁す。そうすると杉下は明るい顔になる。

「お、じゃあ脈ありだね!野崎さ、なんか一歩引いてるからめぐみがもやもやしてんだよね。本当にいい子だから、そこんとこ保証するから、ね?」

 いきなり相澤を売り込み始める。若干、たじろぐ。引きそうな僕を見て、あわてて杉下がまあ、そういう事だからね!損はしないからね?と話を打ち切り、打ち切られた場所は庭付き一戸建ての前。相澤と表札が上がっていた。

 僕には、逃げ場がない。


 杉下ですー、とインターホン越しに告げると、母親らしき人が姿を現した。僕は、どうも、と頭を下げる。玄関に案内されて、悪いわね、と声をかけられた。杉下が、僕が相澤と同じ図書委員であることを告げると、あらあらいつもお世話になってと姿勢を正すので、僕もなんとなく背筋を伸ばす。

「もうあの子元気だから、ヒマしてると思う。少しだけ構ってやって」

「わかりました。お邪魔しよ?」

 先に上がった杉下が、僕を招く。階段を上がり、二番目のドアをノックしする。

「わたしー!お見舞いにきたよ!」

入ってー、と相澤のはしゃいだ声。

「野崎もいるけど入って大丈夫?」

 うっ、何で!と声がする。杉下は笑っていたが、僕は僕で女子の部屋に、気軽に入っていいものかと頭を悩ませる。都合が悪ければ、僕は外にいるけれど?と提案すると、来た意味がないと一蹴された。やがて部屋の中から声がした。

「入って。その、野崎も…」

 心なしか声が硬い気もするが、杉下は躊躇無くドアノブを回すと、僕を引っ張って部屋へ入っていく。

 そこは、特に意外性のない普通の六畳間。ベッドがあって、勉強机があって、本棚があって、歴史小説がならんでいる。思ったよりも女の子っぽい感じがしない。そして、片隅にはビニール製のチャンバラセット。本当にあったんだな、と僕は変に感心する。

「ダメだよめぐみ。同じ図書委員同士LINEも教えてないなんて」開口一番、病人にいうことがそれか、と思っているうちに「あ、体調、どう?」と付け加える。

「LINE…LINEね。そうだね、知らないと、不便だよね。うん。不便だ。同じ委員なんだから」と、相澤の方もなんだかいいわけ臭いことをいう。

「スマホ」と、いわれ、僕は素直にポケットから出す。

「どっちかQRコード出しなよ」

 じゃあ、僕が、私がと、なぜだか二人して妙に焦る。どっちでもいい、こら、お互いだしても意味ないじゃない、片方は撮るの!と杉下に怒られる。

 制服とジャージ以外の相澤を見るのは初めてだ。今はパジャマにカーディガンを羽織っている。汗をかいたのか、若干、髪が額に張り付いていて、病み上がりの感があるが、表情は明るい。もう元気なのは本当らしい。


 ちょっと長く居すぎてしまったなと思ったころ、杉下がもうこんな時間だ、帰らなきゃ。と言い出した。そろそろ頃合いだと思って一緒に相澤家を後にする。

「野崎、ありがとう。今度LINE送るね」と相澤が少し目を泳がせていう。私にはないのか、と杉下が冷やかす。やっぱり友情より男かよ、そんなことないない、そもそも、そうじゃない、ほんとかよ、そうじゃなくない、かな。

 学校で、といって僕らは別れると、スマホが鳴った。相澤からの初LINEは、今日はありがとう。だった。連続して文字が送られてくる。いつも、ありがとう。図書室、楽しいよ。火曜日、当番だね。返すヒマが無い。一生懸命文字を打っているであろう相澤を想像して、こんなに必死に、絶え間なくメッセージをくれる彼女の姿を想像して、僕の心は温かくなる。胸のあたたかさが、頭に上ってきて、舞い上がってしまいそうになると、少し大胆になった僕は、結局、気になることと好きなことには、何の差も無いことに気づく。言い回しの違い。ただそれだけ。言葉は人を縛り付ける。解釈は、曖昧で、深く考えるほど、いろんな意味が生まれてしまう。限りなく気になるのならば、きっと限りなく好きなのだ。

 僕は、相澤がメッセージに込める熱量に、真摯に向かい合わなくてはいけない、そう思う。間違えようのない言葉を贈ろう、と決意する。

 その言葉は、もちろん君が気になります、ではないはずだ。二文字で足りる。その言葉を、絶対に伝えなくてはいけない。

 僕はスマホをフリックして二文字を打ち込み、変換をかける。この上なく単純で、強くて、誤解のしようもない言葉を。送り終えた僕の世界は一変する。希望に、期待に、満ちあふれる。


 相澤に思いを打ち明けて、既読がついて、三秒後に返事がくる。間違えようがない。私も、という文字が、言葉が、誤解のしようもなく飛び込んでくる。正しく使われた言葉は単純で、解釈を許さない。


 僕と相澤は、たった四文字の言葉の往復で、理解し、互いを許容した。解釈の一致。間違いない。

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間違いようもなく、好き。 少覚ハジメ @shokaku

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