岬での約束

平中なごん

一 彼の話

 深夜、誰もいない駐車場に車を停め、波の音がする方角へと遊歩道を独り進んでゆく……。


 空には煌々と蒼白い満月が静かに輝き、爽やかな海風が頬を撫でる絶好の散歩日和だ。


 だが、僕は別に夜の散歩を楽しむためにここへ来たんじゃない。こんな真夜中にこんな所へやって来たのは、彼女との約束を果たすためである。


 そう……僕は彼女と約束をした、あの岬へと再び向かっているのだ……。


 彼女と出逢ったのも、ちょうどこんな美しい満月の夜だった──。





 カメラが趣味だった僕は、ここの岬で撮った満月の写真を偶然見かけ、自分でも撮影してみたいと思うようになった。


 そこで一月ほど前にもこの岬へやって来たのだが、その時に初めて彼女と出逢ったのだ。


 大海原に突き出すように尖がった岬、風にそよぐ青緑の下草の向こう側には雄大な海が広がり、天空で輝く月の明かりに白波を銀色に光らせている……やはり、風景写真を撮る者にとっては堪らないシチュエーションだ。


「…………ん?」


 僕はさっそく三脚を立て、カメラを設置して覗いたのであるが、するとファインダー越しに彼女の姿が目に映った。


 こんな時間にどうして女性が一人で……などと疑問が浮かぶよりも前に、僕の中にはただ純粋に「美しい」と思う感情が先行して湧き上がった。


 純白のワンピースを着た彼女は、銀色にも輝いて見える麗しい黒髪を海風になびかせ、憂いを帯びたつぶらな瞳に月影を反射させると、淋しげに海の方をじっと見つめている……。


 彼女だけが、夜の闇の中で朧げに白く浮かび上がり、まるでギリシア神話に登場する女神さまか何かのようだ。


 一目惚れだった……。


「あ、あのう、こんばんは……月が綺麗ですね」


 いつもはそんなナンパみたいなことをする柄じゃないのだが、気がつくと僕はカメラそっちのけで彼女に話しかけていた。


「あの……やっぱりあなたも、この景色を見に来られたんですか?」


「ここは、死に別れたあの人との思い出の場所なんです……」


 僕の問いかけに、ゆっくりとこちらを振り向いた彼女は、突然現れた僕に驚くこともなく、ぼそりと静かにそう答える。


「あ! す、すみません! なんか、悪いこと聞いちゃって……」


「いえ。いいんです……もうずっと昔のことなので……」


 思わぬ返答に僕は慌てて謝罪をするが、彼女は特に気にしていない様子で、再び海の方へ視線を戻すと、やはり抑揚のない声でそう呟いた。


「……わたしの話、聞いてくれますか?」


 そして、気まずくなって口籠もってしまう僕を他所よそに、唐突にも彼女は身の上話を始める……。


 その話は、あまりにも奇想天外で、また壮絶なものだったが、それを聞く内に同情してしまったのか? 僕はますます彼女のことが愛おしくて堪らなくなってしまった。


 いや、初めから恋愛感情を抱いていたために、そんな心持ちになってしまったのかもしれない……。


「あの……突然、こんなこと言うなんてどうかと思いますが……どうやら、あなたのことを好きになってしまったみたいです。僕なんかでよかったら、その彼の代わりを務めることはできませんか?」


 これも普段の僕からすれば考えられないことだが、僕は自分の気持ちを抑えることができず、昂る感情に流されるまま彼女に告白してしまう。


「……わかりました。でも、そのお気持ちに偽りはないのか? もう一度、冷静になってよく考えてみてください。それでもお気持ちに変わりがないのなら、わたしはあなたを受け入れましょう」


 すると、彼女は少し考えてから、伏せ目がちな表情で静かにそう答えた。


「一月後の満月の晩、わたしは今夜と同じようにこの岬に立って待っています。その時、まだわたしのことを好きでいてくれたのならば、再びここへ会いに来てください」


 さらに続けて、そんな条件を熱に浮かされた僕に課す。


 しばらく時間を置き、それが一時の軽い気持ちでないのかを確かめようというのだろう。


「ああ。一月後の満月の晩、必ず僕はまたここへ来るよ」


 僕は彼女の物憂げな瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く頷くと、そうはっきりと約束を交わした──。





 そして、一月後の今夜、僕は再びこの岬へやって来ている。


 岬へと続く遊歩道を進むにつれて、僕の心臓は次第に鼓動を速めゆく……。


 本当に彼女は待っていてくれるのだろうか?


 そんな不安が重くのしかかり、僕の胸を押し潰してしまいそうになる。


「…………いた!」


 だが、そんな不安は杞憂だった。


 岬が見えてくるとその突端に、蒼白い月明かりに照らし出され、この前と寸分違わぬ姿で彼女はそこに立っていたのである。


 はやる気持ちを抑えつつ、僕は一歩々〃着実に、夜闇の中を彼女のもとへと近づいてゆく……。


「やあ、こんばんは。約束通り、会いに来たよ」


 相変わらず、今夜も海を見つめて立つ彼女の背後へたどり着くと、僕は高鳴る心臓の音を隠しながら、努めて冷静を装って声をかけた──。

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