第189話 Epilogue Ⅱ

「……神耶さん、この女性は?」


 尚斗の背後に控えていた美詞からどこか拗ねたような声色の質問が飛んでくる。

 尚斗とディエゴ、そしてこのシスターとの会話はイタリア語でなされていた。

 会話の内容等美詞が知る由もないのに、シスターの放った爆弾に反応したかのようなこの一言。


「……美詞君、君はイタリア語がわかるのかい?」


 そう尚斗が不思議に思っても仕方ないだろう。


「いいえっ!勘ですっ!このシスターに気を付けろと告げてます!」

「なんとも便利な助言者だ……しかし今回は君の頼りになる勘もハズレだね」


 美詞の第六感がライバルの出現に警笛を鳴らしたのだろうが「間違っている」と指摘を受けきょとんとしながら首を傾げる。


「……あれ?違うのですか?」

「まぁ何を考えているかなんとなくわかるがね、この女性に関しては心配する必要はないよ」


「あら、ナオト。私との関係を誤魔化すの?」


 尚斗はギョッとした、まさかこのシスターから日本語が飛び出して来るとは思っていなかったためだ。


「クロエ……!君、日本語を話せたのかっ!?」

「あなたの母国語だもの、がんばって覚えたわ」

「ほらっ!尚斗お兄ちゃんやっぱりそんな関係なんだねっ!」

「いや、だから違うと言ってるだろうに……」


 もうカオスであった。

 日本語で話し合う三人を横目に言葉はわからずとも、なんとなく「修羅場」が繰り広げられているのを感じたディエゴは肩を震わせ笑いを堪えている。


「はぁ……クロエ……頼むから揶揄うのはよせ。君と違ってこの子は純粋なんだ」

「ひどい言いようね、私は純粋ではないと言いたいの?」

「ああ、その性格がなければ純粋と呼べたかもな。……美詞君、この女性はクロエ・ラングロワ。見た目通りシスターであり……そしてエクソシストだ」

「……しすたーでえくそしすと?」

「ちょっとややこしいかもしれないが、シスターであっても『裏』のエクソシストにはなれるんだよ」


 美詞の頭にクエスチョンマークが大量に浮かんだのには理由がある。

 本来カトリック教会において女性は聖職者になれない。

 その程度は美詞の知識にもあったからだ。

 ここで言う聖職者とは司祭や司教、助祭等といった役職であり女性がキリストの教えを広めるためには修道女という道しかないのが現状。

 ゆえにエクソシストも男性のみの役職と思われがちであるのだが、それは表の顔。

 表で一般信徒向けにデモンストレーションを行うエクソシストはやはり男性しかいないが、裏で悪魔を滅ぼしてまわるエクソシストの中には女性が一定数活躍しているのだ。

 クロエ・ラングロワ、彼女もそんなエクソシストの中の一人である。

 よく見ればクロエの纏う修道服も一般的な修道女が着るものではなくアレンジされていた。

 ゆったりとしたワンピースタイプのものではなくどこかゴシックドレスのようなデザイン、スカートの丈は動きやすさを意識してか短めで足は編み上げのブーツ、その上から修道服のデザインを意識したようなロングコートを羽織ったような姿、白い大きな襟と頭にかぶせたウィンプル、首から下げられたロザリオから修道服のイメージをなんとか保てているようなものだ。 


「君は何か誤解しているようだが私と彼女はそんな関係ではない。彼女の正体は『セイクリッドオーダーの第四位階』、私より上の存在だよ」

「何言ってるのよ、私は認めていないから。ナオトは私よりも実力も貢献度も上でしょう、さっさと改宗しないからまだ五位なのよ、早くこちら側へいらっしゃい」

「……まぁ、このようなツンツンした間柄だよ。そもそも彼女は既に『誓願』を終えたシスターだ、色恋沙汰等あるわけがないだろうに」

「あ、そうでした……」


 日本の宗教とは違い諸外国の宗教というのは案外今の時代となってもガチガチなのだ。

 日本においては時代にそぐわない箇所を改め、聖職者であっても結婚が出来るようになったし女性の進出も間口が広がった。

 特に神社庁が出来てからは退魔師としての巫女の役割が重要視され神職として扱われるようになったのが大きい。

 厳密には女性でも就くことのできるようになった神職の職階と、巫女を兼任できるようになったのだ。

 桜井大社の宮司である静江も未だに巫女の肩書が残っているのはそういうことである。

 しかしカトリック教会においては未だに戒律が厳しい。

 聖職者は結婚が出来ない“こと”になっているし、修道女にいたっては更に厳しい制限が設けられている。

 クロエの家は代々力あるエクソシストを輩出してきた家系であるが、こういった家系は子孫を残すのさえ一苦労なのだ。


「ナオト、神のしもべとなったシスターであっても私はあなたを諦める気はない。体面的にシスターを辞めれば済む話、結婚だってできるのよ?この身を使ってでもあなたを教会に縛り付ける事ができたなら主はきっと褒めてくださるわ」


 なぜここまで尚斗に執着するかわからないが、クロエにとっては自分が尚斗の伴侶となってでもカトリック教会に引き入れたい模様だ……。


「ほらぁぁぁ!やっぱりぃぃ!尚斗お兄ちゃんは女狐なんかに渡さないんだよっ!」


 大切な家族を取られまいと必死に尚斗にしがみつく美詞であるが、それは純粋なただの家族愛を超えているようにも見えた。


「そもそもあなたは誰かしら?私とナオトの間に入ってきてほしくないのだけど?」

「私は尚斗お兄ちゃんの弟子で家族で……えーっと、とにかく尚斗お兄ちゃんは大切な人なんですっ!」


 自覚しているのかどうかわからないが少し関係性に変化が訪れてきているようにも思える。

 そんな放っておけばキャットファイトにまで発展しそうな女性二人のやり取りを止めてくれたのは笑いを堪えていた偉い人。


『なにやらおもしろい展開になってきているようだがいいのかね?あちらで話を終えた方々が興味津々で観客にまわっているが』

『おっと、あまりにも頭痛がしそうな展開に客人を蔑ろにしてしまったようです。ディエゴ枢機卿も彼女を止めてくださいよ……』

『私がかね?まさか。彼女が躍起になっているのは君を真の意味で教会に欲しているからだ、私は慣れないハニートラップで必死に頑張る彼女を無下にはできんよ?』


 味方がいないことに絶望した尚斗が眉間を揉みながら溜息を吐く。


「とにかく二人とも落ち着け、客人達の前だぞ」


 尚斗の諫めに不満を漏らしながらも渋々言葉の応酬を収めた二人、しかし視線は未だにバチバチと火花を散らしているのはご愛敬。


『お見苦しいものを見せ失礼しました、ジャクソン長官。お久しぶりですね』


 とりあえず後ろの問題児二人と味方になってくれない枢機卿は置いておいて、もう一方の客人達へと挨拶に向かう尚斗。

 互いに握手を交わした目の前の黒人男性の素性はアメリカ国防総省長官であるジャクソン・ワーグナー、こちら側もとんでもないVIPが来ていた。


『もっと弱味を晒してくれてもよかったのだよ?なかなかのプレイボーイっぷりじゃないかミスター・ナオト。我がステイツも負けてられんな、ハニートラップ要員を送り込まなくてはいかん』

『よしてくださいよ、既に一度試されたでしょう?ねぇ、キンスリー副長官』


 ジャクソンの隣に控えていた女性へと話を振った尚斗、この女性の素性はアメリカ中央情報局の副長官、名はキンスリー・エバンス。


『ええ、貴方が我が国へ来た時に何人か送り込んだけど全員素気無くあしらわれたのは忘れもしないわ。なるほど、ああいう子が好みなのね。次の参考にさせてもらいましょう』

『無駄な労力に国民の税金を注がないでください……』

『国益のためを思えばよ』


「うぅ……あっちからも不穏な気配がするぅー……」


 美詞が唸りながらも漏らした内容はまた勘がうずいたのだろうか、言葉が通じずともその気配を察知できる美詞の感知能力はやはり優秀であった。


「ミコトと言ったわね、アメリカは女を送り込んで篭絡するつもりよ?ここは共同戦線を張らない?」

「張りませんっ!尚斗お兄ちゃんに近づく女狐はことごとく滅べばいいんだよっ!」


 背後から聞こえてきた頭の悪い会話にまたもや尚斗は溜息を吐くのだった。


『さて、そろそろ私の醜態で遊ぶのは止めにしましょう。本日はお立ち合いいただきましてありがとうございます。しかしながら大した進展がある訳でもないので、なにも枢機卿や国防総省長官が来られなくてもよかったのですが……』


 これから行われるのはとある実験。

 先日尚斗が悪魔から引き出した情報を元に魔界門を再調査することになった。

 しかし取り出せた情報は一部のみ、到底門を開くには足りないのだが、それでも何か分かる事もあるだろうと出来るところまで進める算段であった。


『ああ、事前に聞き及んでいるよ。しかし事はヘルズゲート、地球規模の最大脅威に関する問題だ。ステイツやバチカンがそれだけ重要視していると言う事もわかってくれ』


 尚斗の言葉にそう答えるのはジャクソン国防総省長官、そしてその言葉に同意するのはディエゴ枢機卿。


『そういう事だ。今も多くのエクソシスト達が日夜悪魔を屠っているが、有力な情報は聞き出せずなかなか進展がなかった。門を開けるに至らないとは言え得られるものもあるだろう』


『……わかりました、そういうことでしたら。ただし作業中は少し離れていてくださいね?大した変化はないと思われますがどんな余波があるかはわかりませんので』

『ああ、心得ている。そのためにシスター・クロエを連れてきたのだから。それに私も元エクソシスト、この身は衰えたが自分の身ぐらいはなんとかしよう』


 ディエゴ枢機卿がクロエを選んで連れてきたのはそれだけではないのが明白であるが、そこは藪蛇となるためあえて触れないでおく。


『こちらも腕利きのエクソシストを連れてきている、心配には及ばないさ。紹介していなかったね、ネイサン君だ』

『初めましてになるな、セイクリッドオーダー第八位階を拝命しているネイサン・ラッセルだ。ミスター・カミヤの噂はかねがね。よろしく頼む』


『良い噂だけだといいのですが。こちらこそよろしくお願いします』


 握手を交わす“五位”と“八位”、日本に階位持ちが三人も集まるのは珍しいだろう。

 ネイサンの年は恐らく尚斗よりはかなり上、目鼻立ちがはっきりした彫りの深い顔つきに几帳面さを前面に出した一目で神父とわかる服装、しかし堅物かと思い話してみればそうでもない。

 アメリカ側も尚斗と良好な関係を構築できそうな人材を連れてきたようだ。


「では時任さん、御要人方を後方に案内願います。八津波、美詞君を頼んだよ?」


 そう言い残し一人魔界門へ向け歩を進める尚斗。

 これから行う調査は特に危険はないだろうことは分かっている、しかしどうしてもこの門を目の前にしてしまうと余計な緊張を抱いてしまう。

 大した距離を歩いたわけでもないが門の前に立った尚斗は大きく息を吐き気持ちを整えていた。

 一度後方に振り向き基晴に向け頷くとそれに応じた基晴が大きな声を上げる。


「総員、構え!目標魔界門!攻撃命令あるまで待機!」


 一斉にがちゃがちゃという音が周囲に起こる、観客席と思われる場所はすべて隊員が魔界門に攻撃を加えるための銃座、ぐるりと半円で囲むように配置された隊員達がライフルを魔界門に向けていた。

 準備が整ったことを確認した尚斗が精神を集中させ緊張したように手を魔界門へと翳す。


 「Aperi viam,nunc adest campana desperationis(道よ開け、絶望の鐘は今ここに)」


 尚斗が呪文のように口から紡いだ言葉はラテン語、まさか悪魔が地球の言葉、それも敵であるバチカンが公用語と定めている言語をキーとして設定しているとは思ってもなかったであろう、まさに人を嘲笑うかのようなふざけた所業だ。

 しかしこの合言葉、魔界門を開くためのキーではない。

 地響きと共に尚斗の前に地面からせりあがって来たもの、魔界門と同じく趣味の悪いデザインをした意味ありげな台座。

 その台座の高さは尚斗の腰ほどしかなく、天辺には玉が埋め込まれたような半球状の突起がある。

 これが魔界門を操作するための端末だと言うのなら、この半球状のものはコンソールか認証装置か……。

 しかしそれが何かと予想はできても操作方法はわからず……残念なことに悪魔から知り得ることが出来たのはこの端末の出現方法のみ。


 さて、どうするか……


 尚斗が思案顔で考えを巡らせとった行動、台座におそるおそる伸ばされた手。

 こんな正体不明の装置に触れようとするなど正気とは思えない行動。

 入念な準備、保険をかけ、最悪の事態を想定して動く事をモットーとする尚斗にしては稚拙な行動。

 それでも尚斗をそう突き動かすのは少しでも情報を得ようとする気負いからだろうか。

 今までまったく動きのなかった魔界門にわずかながらも変化を齎すことが出来た逸りからだろうか。

 半球状の台座に尚斗の掌が吸い込まれるように置かれる……置かれて“しまった”。


 ― ずずずっ ―


 身の毛がよだつ悪寒に襲われ自身の身の内から無理やり引っこ抜かれるようにナニカを奪い取っていく装置。

 慌てて装置から手を離すため引っ込めようとするが吸い付かれたように離れない……いや、手に力が入らず自身の力では手を動かすことが叶わずにいた。

 自身の体から汲み取られていくものの勢いが激しく、ついに自重を支える事すらできなくなった足がガクリと支えを失い膝をつく。

 幸いなことに地に膝をついた反動で装置に置いた手が自然と半球から滑り落ち、暴力的な吸収が中断されることになった。


 崩れ落ちる尚斗の姿を見て周囲に緊張が走る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る