第148話
「えぇぇ!?どうにかできるんですか!?」
狭い部屋いっぱいに響き渡る絶叫にも近い千歳の声、尚斗から説明を受けた千歳が真っ先に発した言葉だ。
彼女の狼狽っぷりも仕方ないだろう、父親からは一族の歴史に始まりこれまで無念のまま散っていった先代巫女達の事などを、悲壮感たっぷりに伝えられていたのだから。
「現在ミッションを遂行するために装置の最終調整を行っているところです。成功もしていない内にあまり期待をさせるのもどうかと思いますが、数日の辛抱ですので待っていてください」
尚斗自身はそう悲観しておらず、むしろ必ず成功する……いや成功させてみせると内なる情熱を燃やしているのだ。
不純な動機にはなってしまうが、今回の装置運用が今後の魔界門に対してのテストケースにもなる、ここで成功しなければまた道が遠ざかってしまうため成功させることしか考えていなかった。
「もし寂しいようでしたら衛君を置いて行きますが?」
「な!なに言ってるんですか!私達まだそんな関係じゃないです!」
「おやおや、『まだ』ですか。よかったですね衛君」
「千歳!おまえがそんな反応すると話がややこしくなる!神耶さん!あんたちょっと人をおちょくりすぎじゃないか!?」
「すみませんねぇ、生き甲斐なものでして」
尚斗にまんまとおもちゃにされてしまった若者二人の初々しい反応に親達は少し複雑な様子を見せているようであるが、尚斗はご満悦のようである。
「神耶さん、またそんないじわるして。そういうところですからね?」
「美詞君、これが私の性分なので仕方ないと思わないかい?」
「思いませんっ!ごめんね生田さん。神耶さんすぐ人にいじわるする子供みたいなところあるから……」
羞恥心からか耳まで真っ赤にしてしまった千歳に、尚斗に代わって謝る美詞。
「あ、いや、桜井さんが謝らなくても!……あ、私の事千歳って呼んでほしいな。桜井さんがこんなに喋りやすい人だなんて思ってなかったよ」
「ふふ、学園ではちょっと猫さんを被ってるから。私も美詞って呼んでくれると嬉しいな。あ、佐治君は佐治君のままで」
「わかってる。桜井が男子から名前で呼ばれるのが苦手なのは有名だからな、弁えているつもりだ。まぁ神耶さんは特別みたいだが」
尚斗への仕返しだろうか軽くジャブを放つ衛、なかなかに強かだが……。
「そうだね、尚斗お兄ちゃんは特別かな」
「そうだね、美詞ちゃんは小さい時からの付き合いだからね」
蚊が止まりそうなジャブにまったく動じることのない二人の様子を察し肩をがくりと落としてしまった衛、二人の関係に羨ましそうな視線を送る千歳。
「なんか美詞さんと神耶さんの関係とかすごく気になるけど、そっちのわんちゃんも気になる……さっき喋ってなかった?」
「『今更か、あまり気にするでない。我の名は八津波、尚斗と美詞の“ぺっと”程度に思っておればよい』」
「いやいやいや……えぇー……」
千歳と衛の両親は八津波に対して特段驚いた様子を見せていないことから事情を知っていると判断、救いを求めるように目線で訴える。
「千歳……彼の霊獣殿の正体は秘密扱いなのだそうだ。私も詳しくは知らないからそんな目で見ないでおくれ。まぁ教えられる事と言えば八津波殿が黄泉比良坂の秘密を暴いた張本人だよ」
「『今は尚斗の“使い魔”とやらをやっておるがそれなりに古い存在である故な、人が扱う言の葉程度は造作もないことよ』」
「えーっと……なるほど?……」
恐らくまったく理解していないのだろう、というかまさか元神だとは思いもしないだろう。
「ところで神耶殿、もちろん結界の方もご覧になって行かれるのでしょう?」
「ええ、今日の最大の目的でもありますね。無事衛君と千歳君の再会も果たせましたし、そろそろ結界の方にご案内いただいても?」
「ええ、承知しました。では行きましょうか」
結界の場所は小屋からさほど離れていない場所にあった。
洞窟の中で一番すぼまり狭くなっている場所、その位置にはっきり視認できるレベルの結界が張られていた。
尚斗は一目でなるほどと理解を示すよう頷いた。
「どうしてこんな奥に設置したのか不思議でしたが、省エネのためですね?」
「恐らくその通りかと思います。毎日捧げるとは言え人一人分の祈りの力で維持するには少しでも『小さい』ほうがいいという思惑があったのではないでしょうか」
当初結界を張った者しかその真意を知る者はいないが、秀樹が言った事がまさにその真意のように思える。
理想としては黄泉の国との境界を隔てる洞窟の入口に設置するのが一番であろうが、如何せん鉄の壁で塞がれた洞窟の入口はかなり大きい、そのような場所に結界を敷けば維持するだけの力も跳ね上がってしまう事は容易に想像できた。
少しでも結界を維持するための力を抑えるために一番狭い通路に張り、結界の小型化を図るのは効率を考えれば確かに間違ってはいない……が、そのために巫女の体にかかる負担が大きいものになってしまうのだから、どちらを取るかは断腸の思いであったのかもしれない。
さっそくとばかりに結界を調べ始めた尚斗。
可視化されるほどに強力な結界、網目状に張られたそれは見た目以上の力を持っていることを結界が発する力から察することができた。
狭い場所と言っても高さ3m近く、幅はそれ以上あるので結界の存在感はかなりのものになっており、結界の向こう側はまた道幅等が広くなっているようだ。
光り輝く結界の前には祭壇が設けられており、地面にも敷物が敷かれ長い時間祈りを捧げるのに苦痛がないよう工夫がされていた。
霊視を行ってみると祭壇から放射線状に伸びたライン、その先には壁に埋め込まれた水晶達が顔を覗かせている。
「祝詞を奏上することで祭壇が神力を貯え、結界の触媒となっている水晶達に配られている……ということでしょうかね」
「『ああ、そう見ていいだろう。祭壇と地面に構築された術式が結界を構成している核であろうな。よくもまぁこのようなもので【
八津波からしてみればこの結界はなんとか及第点に届くかどうかといった程度のものなのだろう。
その言葉に少しむっとした秀樹が異を唱える。
「八津波殿、事実我々は代々この場を守って来た。実際に鬼も退けています、何が問題なのでしょう」
「『取り違えるでない、この結界自体は人が作り出せる物の中では上等な部類よ。併せ、結界を維持してきたそなたら守り人の力量も疑うてはおらん。単に
八津波の問いかけに疑問を感じつつも素直に答える秀樹。
「……身の丈は三尺(約90cm)前後、小さな角を生やし手には槍などの武器を持ち
「『餓鬼じゃな、しかも鎧すら纏っておらんとなれば数任せの最下級の雑兵であろう、大した力も持っておらん。黄泉軍の主力は統制のとれた2mを超える武装した鬼共や
「……そ、んな。まったく本気ではないと!そうおっしゃるのですか!」
「『ああ、かの雷神の一柱でも来ようものならまさに鎧袖一触、武装した鬼共でも一晩と持たぬであろう。されど案ずるな、先程も申したが
「……なぜでしょう……伊邪那美様は伊邪那岐様を追うため現世に攻め入ってもおかしくはないと思うのですが……」
秀樹の言うように「古事記」では死して黄泉の国へと渡った伊邪那美を迎えに来た伊邪那岐が、死により崩れ落ち醜くなってしまった伊邪那美の姿を見て逃げ帰って来たのだ。
そして伊邪那美が追ってこれぬよう伊邪那岐は黄泉の国へと続く入口を大岩で塞いでしまったという伝説がある。
そう、黄泉の国に今もいると言われている伊邪那美(黄泉津大神)の怨みを考えれば伊邪那岐を追い現世に進軍してきてもおかしくない。
「『我は直接黄泉津大神に会うた訳ではない、故に真意等汲みようはないがこうも考えれぬか?秀樹よ、古事記ではなんと言って二人は袂を分かつ?』」
「……伊邪那美様が一日に千人を殺し、伊邪那岐様はならば一日に千五百の産屋を建てようと」
「『今の日ノ本を省みればよい。日に生まれる子よりも死ぬ者の数のほうが遥かに多い。一日に生まれる者は二千を超えるほど、死する者は四千に届かんとしている……言わば黄泉の國は潤っておるのだ、そして何もせずとも日ノ本は真綿で首を締めるがごとくゆっくりと衰退しておる……黄泉津大神にとっては既に復讐を終え高笑いをあげているのやもしれぬな』」
「……」
八津波の推論はかなり乱暴なものかもしれない。
現に死亡率が逆転したのは近年であり、高度成長期前後等はベビーブームと呼ばれるほどに出生率も高かった。
根拠なんてないじゃないかと叫びたい、しかし黄泉の思惑が分からないのも事実で、反論できるような言葉を持ち合わせてもいないのだ。
八津波の言う黄泉軍の強さが本当ならば、今まで餓鬼を退けた程度で満足していた自分達の存在意義が希薄になっていく錯覚を覚えてしまう秀樹であった。
「『これ、我を失うでない。言うたであろう、そなたら守り人としての力も疑うてはおらんと。我等にとっては餓鬼程度どうとでもないが力無き民を、この日ノ本を今まで守ってきたのもお主たち守り人なのだ。人知れず、誰にも称賛等されずともただ愚直に一族の血を削りながら護国のためその身を捧げてきた者達を我は尊く想うぞ。嗚呼、やはり人とは愛い存在であるな。現世に残った甲斐があったというものよ』」
気が付けば秀樹の頬には涙が伝っていた、弱ったところで掛けられた暖かい言葉というどこかの詐欺師が使いそうな手法にも似ていると言ってしまえばそれまでだが、確かに八津波の思いが嘘でないことぐらいはわかる。
「あ……なた……様は……もしや」
「『これこれ、今更我を深く探るは詮無き事。そなたの内に秘めておくがよい』」
冷静になってみれば八津波が教えてくれていた内容は霊獣というだけでは説明のつかないものばかり、秀樹はこの期に及んで八津波の正体に行き着いたようだ。
器用に片目を瞑りウィンクする元神様の俗っぽい仕草に、秘密と言われてるのを思い出し正体なんてどうでもいいかと思い直した秀樹であった。
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