第146話

 生田家から連絡がきたのはそれから二日後のことであった。

 黄泉比良坂へ案内できる準備が整ったので来て欲しいとの内容、時任の手配に無事応じてもらえた事を意味していた。


「神耶さん!『海ほたる』に寄りたいです!昼食はそちらで食べていきませんか?」

「そうですね、少し早いですが休憩も兼ねてそちらで昼食をとりましょうか」


 生田家がある千葉までの道のりを運転する尚斗の車の中には、いつもの面子に加え衛が同乗していた。


「桜井は……いつもこんな感じなのか?……えらく余裕があるんだな」


 少し緊張した面持ちの衛が、まるで旅行にでも行くようなテンションで楽しんでいる美詞についていけてないようである。


「え?変かな……?」

「佐治君、そんな様子では到着する頃には疲れてしまいますよ?気を張るのは現地に着いてからで十分です。それに今日は現地確認と調査がメインですので、滅多な事がない限りは大丈夫ですよ。まぁ生田君に会えるのが待ち遠しくて緊張しているのならば何も言わないがね?」

「なっ!別にそんなわけではっ!」


 揶揄ったような尚斗の言い方に焦った反応を見せるものだから、運転席と助手席からニヨニヨした薄笑いが飛んでくるのも仕方のない事であった。


「だ、だって黄泉比良坂なんて!そんなとんでもない神話が相手じゃ緊張もしますよ!千歳がそんなところに居るなんて……」

「ほら、佐治君もやっぱり生田さんのことが気になるんだよねぇー」

「くそっ!揶揄うな桜井!学園とはまったく別人じゃないか……男子共にこの姿を見せてやりたいもんだ……」


 学園内では大和撫子を絵に描いたようなオーラを発し、近寄りがたさを前面に出した生活を送る美詞の二面性に、色々なものが崩壊してきているようだ。

 しかし尚斗から言わせてみれば……


「今の美詞君を知ったところで、逆に親しみやすさが湧いて群がってきませんかね?」

「……はぁ……たしかに……」


 容易にその光景を想像する事ができたのだろう、衛が溜息を吐く相手は美詞かもしくは単純な男子生徒達の事か。


「なんか私ばかにされてるような?……」

「君は君のままでいいという事ですよ」



 一行が生田家に到着したのは昼を回った頃。

 家の前には既に生田家及び佐治家の当主夫婦が揃って出迎えのため外に出てきていた。


「お待ちしていました神耶殿。お早い再会となってしまいましたな」

「ええ、またお伺いさせていただくと申しましたので、早速叶ったこと喜ばしく思っております」


 出会いがしらの軽いジャブの応酬もなんのその、秀樹自身もそのあたりはあまり気にしていないようで軽く笑みを浮かべている。

 それよりも気になるのが。


「今から行かれますか?準備はできておりますが」

「ええ、逸る気持ちを抑えきれない若者もいることですので」

「なっ!」


 まさかそんな流れ弾が来るとは思っていなかった衛が驚きの声を上げるが、提供したネタに間違いはなかったようで一同の空気に幾許かの和らぎが生まれた。


「ではこちらへ……参りましょう」


 生田家の母屋のすぐ近くにある山林、人避けの術が施された跡が見えることから普段は人が迷い込めぬよう管理されているようだ。

 勾配も緩く木々もまばらなため、登山というよりは自然公園の遊歩道に近い小道を奥へ進んでいると秀樹が尋ねてきた。


「神耶殿……正直勝算はおありか?全盛期とも言われた平安時代でさえ『アレ』を封印するのがやっとだったのです……私にはアレをどうにかできるというヴィジョンが見えない」

「ええ、秀樹殿が懸念されることも至極当然のことでしょう。質問を質問で返すは憚れますが『魔界門』のことをご存じで?」

「ん?……それはもちろん。日本の退魔家の中であれを知らない人間等いないでしょう。それがなにか?」

「私達はあの魔界門を破壊する事を至上命題として研究を重ねてきました。政府主導の下神秘と科学を融合させ、今まで人が作り出すことのできなかった一つの完成形に至ったのです」

「ではその神秘と科学の融合品で黄泉比良坂もどうにかできると……?」

「ええ、退魔の技術は残念ながら時代と共に衰退してしまいましたが人間は考える葦です。いつまでも弱者であり続けることに従う道理はありません。私達技術研が作り上げた叡智の結晶は、必ずや負の歴史に終止符を打ってくれることと確信しております」

「まるで演説家のような物言いだね。そうか……しかし年をとってしまうとね……どうしても失敗した時の事を先に考えてしまうのだよ……」

「それもまた仕方のないことでしょう……かくいう私でさえも、やはり失敗は恐ろしくてたまらない。なので私は常に失敗を想定して動いております……失敗した際の保険も備えておりますのでご安心ください」

「……わかりました、正直娘の力量では結界を維持するなど到底無理な見切り発車だったのです。恐らく数年も持ちこたえれなかったことでしょう……不安はまだあるが期待はさせてほしい」


 秀樹と会話を交わしているうちに到着したのは、木々の間にぽっかり空いた空間に洞窟への入口、その隣に建つ小屋のようなもの……しかし大きな入口を鉄の壁と頑丈な扉で覆われた洞窟の入口はどこかの秘密基地のようでもあった。

 扉には空気穴と思われるスリット以外隙間がなく、そのスリットすらネットが張られている状態、小動物どころか虫すら入り込めないようされていた。

 黄泉の国の瘴気なんて生き物にとって害にしかならないものなのだ、ある日突然ニュースで突然変異種のネズミが発見されました等とならないための措置なのかもしれない。

 秀樹が懐から取り出した鍵でガシャンと開錠された大きな扉は、思いのほか大した力も必要なさそうにすんなり開いた。


「大きさの割に軽いのですか?この扉」

「ええ、見掛け倒しですよ。なにしろ『女性一人』で開け閉めするのに重厚すぎるのは不便ですからね」


 大きく口を開けた洞窟は中からひんやりとした空気を吐き出してくる。

 洞窟内はところどころランプが取り付けられており真っ暗という訳ではなさそうだ。

 外から見える範囲だけ見ても、よく心霊スポットと言われているような廃棄された人工物のトンネル以上には光源が確保されており、追加の光源は必要なさそうである。


「ここから先は既に黄泉国のテリトリーとなります。結界により瘴気の濃度はだいぶ抑えられているとはいえ、多少の不快感はあるかと思いますがご理解ください」


 さっさと入ってしまった生田家佐治家の両名は既に中の環境に慣れているのだろう、後ろをついてきていた尚斗らに構うことなくずんずんと進んでいく。

 少し警戒心を露にししつつも尚斗が彼らに続いて中に入ると、まるで膜を突き抜けるような感触にぞわっとした。


「『やはりこの感じは黄泉の気配で間違いないな。守り人が言うようにだいぶ薄れてはおるが……』」

「これで薄いのですか……不思議な感じですね……本能が拒絶するかのような不快感があります」

「『生者にとっては死の気配そのものであるからな。生きる事を否定されれば不快にもなろうよ』」


 尚斗に続いて入ってきた美詞と衛も、やはり初めて体験する言い表せない感覚に顔をしかめているようだ。


「やつはちゃん、こんなところで本当に人が生きていけるの?私一日だってこんな場所にいたくないな……」

「『それが正常な反応であろう。鎮守の巫女とやらは一体どのような図太さをしておるのであろうな』」


 美詞と八津波が交わす内容に衛の額の皺が更に深いものとなる。

 自分のよく知る幼馴染がこのような場所でこれから何年も過ごして行かなければならない、そう考えただけで胸から込み上げてくるものがあった。

 すでにテンションが駄々下がり中の一行が秀樹達を追っていくと、先に少し変わった一角が見えてくる。

 すこし広めに切り開かれた場所に小屋のような倉庫のような……明らかに人工物のそれは自然物であるこの洞窟の中では一際浮いた存在感を放っている。

 建造物の入口あたりで立ち止まった秀樹らが振り返り声をかけてきた。


「こちらが巫女が生活を送るための施設になっております。一応人として文化的な生活が送れるだけの環境は整えているつもりです。……千歳、いるかい?」


 ドアをノックする音が洞窟内に響くが中から応答がない。


「今は祈りの最中かもしれませんね……」

「この中でですか?」

「いえ、結界はまだもう少し先にあります。その結界の前で毎日定期的に祈りを捧げ神力を注ぎ込むのです」

 

 噂をすればなんとやら、今説明していた洞窟の奥から人が足音を伴って姿を現わした。

 一目で巫女とわかる緋袴姿、美詞と同じ年ごろの少女の姿に彼女が件の巫女だろうと当たりを付ける。


「千歳!」


 衛が叫んだ名前からして間違いはなかったようだ。

 名前を呼ばれた千歳と思われる少女の顔には驚愕一色、今日ここに訪れることを知らされていなかったのかもしれない。


「衛!?なんでここに!?」


 毎日のように顔を突き合わせていた幼馴染同士が、久しぶりと感じるほどの数日ぶりに顔を突き合わせることとなった。

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