第133話

 最前線で女の攻撃を捌き続けていた八津波に合流した尚斗が、横合いから女を斬りつける。

 女の姿は尚斗と椿の浄化により、見るも無残なほどに焼きただれ体の至る所が削れていた。

 自慢の再生もその身に引っ張って来た呪いの力が弱まっているのか、先程よりも再生スピードがだいぶ落ちているようだ。

 椿に施してもらった浄化を纏ったナイフの斬撃は効果があるようで、斬りつけた傷口から血が蒸発し霧散していくのが見える。


「さてと、ブーストタイムには限りがある、このまま押し切らせてもらうよ!」


 自分が追い込まれてきている事を本能で察知したのだろう、尚斗を近寄らせまいと女もあらんかぎりの血の攻撃を四方八方から加えだした。

 それを八津波との連携で道を開き迎撃しながらも確実にダメージを稼いでいく。


「椿姉さん!中に由夢ちゃんはいません!でも箱が!」


 そこに割り込んできた美詞の大きな声、いち早くそれに反応したのは尚斗と対峙していた女。

 目の前に迫る煌めく刃も無視してぐりんっと声の方向に顔を向ける女。


「私の箱オオォ!ソレニ触るナァァァァッ!」


 尚斗と八津波に向けられていた血の刃が方向を変えすべて美詞に向け放たれた。

 美詞もその攻撃を迎撃しようとするが、自分の両手は箱の呪いを抑えるために塞がっていることに気づき反応が遅れる。


「こら!みこっちゃん先走らないの!」


 夏希が美詞の前に出て破邪の術を施した四肢で血の刃達を迎撃してくれた。


「あぅ、ごめんね夏希ちゃん!」

「反省しなさい、ちゃんと露払いはしてあげるから頼ること!……にしても、ほんとに効果あるねこれ」


 夏希が目線をちらりと移すのは自らの左腕にはめられた真鍮製の腕輪。

 ほんのり青く輝くそれが夏希の破邪の術を底上げし、本来なら太刀打ちができないであろう呪いの攻撃を退けていた。


「へぇ、それはいい事聞いた!」


 更に追撃してきた血の刃を背後から飛び出してきた千鶴が、同じく青く輝く鉄扇を手に横薙ぎではじき返した。


「千鶴ちゃん!……優江ちゃんは!?」

「私はここだよ、もう大丈夫だから。さっきはありがとう」


 美詞の背後で浴衣の袖を掴むのは先ほどまで苦しそうにしていた優江、美詞の術により回復したのもあるだろうが優江の身に着けている霊具も破邪の力で青く光っていることからそちらの効果もあるのだろう、もう支えはいらないようだ。


「椿姉!美詞ちゃん達の護衛にまわって下さい!四人とも大丈夫ですか!?」


 尚斗は美詞らへの急な初撃を見逃す形となってしまったが、それ以上の追撃をさせまいと更に熾烈な攻撃を加え女を抑え込む。

 しかし尚斗と八津波の手数を持ってしても女が繰り出すすべての血の刃を対処しきれない。

 今までは尚斗らに攻撃が集中されていたためになんとか対処できていたが、今は目の前の尚斗らを無視し自分が傷つくのも気にせず箱を持つ美詞しか見ていない状態であった。

 執拗に伸ばされた美詞達への攻撃もなんとか夏希と千鶴が抑え時間を稼ぎきり、無事椿が合流することになる。


「美詞ちゃん、呪いは大丈夫!?」

「うん、今のところは封印が破られないようになんとか抑えられてる。椿姉さん、由夢ちゃんはこの中?」


 無言のまま首を横に振る椿。


「たぶんまだ由夢ちゃんは箱に囚われていないわ……」


 そして視線を箱から戦闘を繰り広げる前線へと向ける。


「尚斗君!由夢ちゃんはたぶんその女の傍よ!その女は由夢ちゃんの事を『この子』と呼んでた、手元に置いてないと出ない言葉よ!」


 後方から飛んでくるその言葉になるほどと得心のいった尚斗。


「そういう事なら……相場は影か自分の中。主よ!我が祈り聞き届け給え!」


 顕現させた聖書から鎖が飛び出し尚斗の右手に絡みついていく。


「聖なる主 全能の父 永遠の神よ 悪に囚われし無垢なる魂を苦しみから救い給え!」


 躊躇いなく女の胸に腕を突き入れた尚斗、ズボリと沈んでいった腕に肉を抉る感触は伝わって来ず、まるで水の中に手を突っ込んだかのよう。

 声にならない叫びをあげながら成すがままの女に構う事なく、放った鎖からの反応を待つ。

 この女は人に害をなす存在ではあるが悪魔ではない、ゆえに苦しんでいるとはいえ聖鎖による攻撃によりこの女にダメージを与える事はできないのだ、ただ“拘束”という概念に藻掻き苦しんでいるだけ。


「居た!返してもらうぞ!!」


 質量保存の法則を無視するかのようにズルリと女の胸の間から姿を現わしたのは、尚斗の鎖に巻かれた少女の姿。

 

「八津波!!」

「『承知!』」


 空中で解いた鎖から解放された由夢の体を八津波が咥えると後方の椿達の下へと素早く避難させる。


 無事助け出すことが出来たことにほっと一息……とはもちろんならない。


「おっと」


 尚斗の顔を掠める血の槍、既に拘束による苦痛から立ち直ったのか焼けただれた顔からギロリと睨みつける目が尚斗を捉えていた。


「私の大事な素材をオオオォォッ!」

「子供を素材扱いか……救いようがないな」


 超至近距離からの血の刃とナイフによる丁々発止の切り結び、しかし女は戦闘技術が足りず次々と体に傷を増やしていくばかり。

 どれだけ手数を増やし怒号をあげたところで尚斗の身に傷一つつける事は出来ない。

 このまま攻撃を続ければいずれ女の身に宿った呪いのストックは尽き果てることになるだろう。



 尚斗が女に対し優勢に立ち回っている頃、後方では椿が八津波より由夢を受け取り無事を確かめているところであった。


「由夢ちゃん!?聞こえる!?」


 女に囚われていた由夢は目を覚ましているようであるが、ぼんやりと目の焦点は合っておらず意識此処に非ずといった具合。

 顔には暴力を振るわれたのか大きな痣が痛々しく残っている。

 悲痛な顔を浮かべる椿の懸命な呼びかけもあってか、徐々に意識が戻り始め目の焦点が椿の顔を捉えだした。


「あれ……おねえ―ちゃん?……なんでおねえちゃんがいるの?」

「ああッ!由夢ちゃんよかった!」


 もうだめかと思っていた、間に合わないかとも思っていた、救い上げる事のできた小さな命に椿が万感の思いで抱きしめる。


「い、いたいよおねえちゃん……なんでおねえちゃんはここにいるの?」

「由夢ちゃんはここに閉じ込められていたんだよ、危ないところだったの。ほんと間に合ってよかった!」


 椿が説明するも由夢はきょとんとするばかり、まだ自分の置かれている現状に理解が追いついていないのかとも思ったが……


「ううん、ゆめはね、おねえちゃんにおねがいしてここにきたんだよ?なんでゆめはまだいきてるの?」


 どういう事だろうか……これではまるでこの子が自分の意思であの女に着いていったようではないか。


 しかも死ぬことがわかった上で。


 すると後方……戦闘音が響く前線から人を嘲笑うかのような大きな笑い声が聞こえてきた。


「あはっ!あーははははあぁっ!ナニ?まだ私が無理やりツレテキタと思ってたの?おめでたい頭してるわ、カワイソウにねぇ、私はあの子のシニタイってネガイを聞いてあげたダケ!ならイイデショ?私が捨てられてたゴミをどう扱おうと!!ダカラさっさとその素材をカエシナサイよおおお!」


「……うるさい、キサマはちょっとだまってろ」


 バキリと女の顔面を打ち据える一撃により女の顎が砕け、衝撃でゴロゴロと吹き飛んでいった。

 そう、“叩きつけたのである”……尚斗はナイフで“切りつけた”はずなのに……。


「ちっ……効果が切れたか……」


 いつの間にかナイフに施されていた付与術が切れていたことにより“刃物”はただの“鈍器”に成り下がってしまっていた。

 悪魔を打倒するためだけに作られた装具は人を傷つけることをひどく嫌う。

 人だけではない、悪魔以外の怪異に対してもこの武器は切れ味が皆無となってしまうため、術の切れた今となってはただの刃物の形をした棒なのだ。 

 しかしこれまでのダメージに加え、身体強化により増大化されていた膂力による鈍器の衝撃は相当なものであったのか、なかなか起き上がってくる様子が見えない。



 椿は女の発言が真実であったことから由夢になにがあったのか大体のところを察してしまった。

 同時に胸が締め付けられその端正な顔がくしゃりと悲しみで歪む。

 涙を流しながら由夢を胸の中に優しく抱きしめ頭を撫でながらゆっくり語り掛けた。


「由夢ちゃん、聞いて。由夢ちゃんはママのこと……好き?まだ……一緒にいたい?」


 胸の中の少女の肩が小さくびくりと跳ねる。


「ゆめはね、ママのことがすきだよ?でもね、わからないよ……すきってなぁに?ま……まと……いっしょに……ひぐっ……いたい、のに……ひぅっ、ままはね、ひっ……ゆ、めのこ、と……ひぐっ、きらい……だっ、てっ!ゆめ……なんてっ!……ぐすっ、うまれてっ!、こなきゃぁ……よかったっ……てぇ!……」


 嗚咽でうまくしゃべれなくても伝わってくる少女の心の叫び、親に守られ愛情を注がれてしか生きていくことができない小さな存在が一人見放され、支えを無くし生きる意味を失っていた。

 まだ自我すら真面に形成されておらず、命がなんたるかも理解できていないようなこんな小さな子が、自分から命を断とうとするその心情や計り知れないほどの絶望であっただろう。

 消えていきそうな腕の中の存在を決して離してなるものかと力を込める椿。


「ごめんね、悲しかったよね……寂しかったよね……おねえちゃんも同じだったからよくわかるよ。あのね……由夢ちゃん。おねえちゃんが由夢ちゃんのママになってもいいかな?」

「ひぅっ、ひぐぅ……おねえ、ちゃんがっ……ゆめの、ママに?」

「うん、そうだよ。家族もいっぱいいるんだよ?由夢ちゃんとーってもかわいいしいい子だから、みんなきっとすぐに大好きになってくれるわ」

「でもっ、マ……マに、おこられちゃ、うよぉっ。またゆめが、わるいこ……だって、たたかれちゃ、う」

「大丈夫、そんなこと絶対させないわ。ゆめちゃんは私が守ってあげる」

「でも……でも……ゆめ、どうしたらっひぐっいいかぁ、わからないっ、よぉ」


 5歳児にこれからの道を自分で決める判断なんて出来る訳がない。

 ひぐひぐと泣きじゃくる由夢は、椿の提案に対しどう答えたらいいか考えあぐねているようだ。


「おねえちゃんは由夢ちゃんが一緒に居てくれたら嬉しいな、もう会えないなんて嫌だなぁ」

「ほ……んと?ゆめ、ひぐっ、いなくならな……くて、いいの?」

「もちろんよ、そんな悲しいこと言わないで?いなくなってもいい子供なんていないんだよ?」


 今までそんな言葉をかけてくれる人はいなかった。

 狭い世界しかしらない由夢にとっては、親から浴びせられる罵倒と暴力が当たり前の毎日だったのだ。

 なんで怒られるかもわからなくなり、なんで叩かれるかもわからない、ただただ「おまえが悪い」「おまえがちゃんとしないから」……

   「おまえなんて……」

          「おまえなんて……」

                 「おまえなんて……」

                            もう限界だった。

 

「ゆめ……もういやだよ……ママに、おこられるのも、たたかれるの……も、おうちに……はいれないのも、おそと、で……ひとりなのもっ!」

「ええ、一人になんてさせない。楽しい時は一緒に笑って、悲しい時は一緒に泣いて、お出かけする時は一緒に手を繋いで、ごはんを食べる時はみんなで一緒に食べましょ」

「い、っしょが……いいっ!ずっと!あそぶときもっひとりだった、の!ごはんもっ……ねるのもっ、ひとりだった、のっ!もう、ひとりは、いやっなのっ!」

「大丈夫よ、うちにおいで。あなたのことをいっぱい愛してあげる。由夢ちゃんも家族になりましょ?」

「お、ねぇちゃあぁん!うあぁあああぁぁん!ざびじかっだよぉぉぉぉ!」


 少女の泣き声がどこまでも駆け巡っていく。

 これまでの悲しみを洗い流すかのように、真っ暗な部屋の扉が開き光が差し込むかのように、世界にその存在を示す産声のような魂の叫びはどこまでも、どこまでも駆けて行った

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