第45話
「桐生さん、この度はお誘いいただきましてありがとうございます」
テーブルにつく桐生一家に軽く挨拶をした尚斗と美詞。
二人は横浜中華街のとある店舗の一室に招かれていた。
事件が収束した日、美詞は平日ということもあり尚斗だけが同伴していたことで宗近が改めて彼女にも礼を伝えたいという要望により、今回二人を招待し食事をといった形になったのだ。
「二人ともよく来てくれたね。座ったままでの失礼を許してほしい」
「いえ、まだお目覚めになって1週間です、お気になさらないでください」
「おじいさん、体の具合はいかがですか?退院はされたとお聞きしましたが」
あの日から1週間という時間が流れた。
佐伯正彦の件で案の定桐生グループは大混乱を極めることとなってしまった。
宗近が入院する病室には連日会社の役員が訪れ、今も立て直しを図っているところである。
宗近の体は尚斗が渡した神酒の効果に加え、一日でも早く会社に戻らなければという気迫が後押しとなり驚異的な回復を見せ医者が舌を巻くほどであった。
そしてまだリハビリが必要な状態ではあるが、なんとか医者のお墨付きをもらえ本日退院することが叶ったばかりなのだ。
宗近が座る椅子の後ろには車いすが畳まれ置かれていることからまだ運動能力が回復しきっていないのはわかる。
「ああ、すこぶる快調だとも。医者の見解ではリハビリも順調とのことでもうすぐ車いすとも別れを告げられそうだ」
「それはよかったです。そういえば私はおじいさんの起きている姿を拝見するのは初めてなんですよね?なんか不思議な気分です」
「そうだね、私が生霊となっていたこと自体が不思議なことだったから仕方ないさ。それでも目覚めるまでのことはすべて覚えているよ。ささ、立ち話もなんだ座ってくれないか」
中華料理店特有の大きなターンテーブルを囲み席に着くと、すかさずやってきた店員に飲み物の注文を通した。
そしてすぐに持ってこられた飲み物を手に杯を掲げる。
「今私がここにいるのも君達のおかげだ。この出会いに感謝して」
「では私共は桐生さん達の日常が戻ったことを祝して」
「「乾杯」」
事前に宗近が手配していたのかタイミングを見計らったように食事が配膳されていった。
「それにしましても桐生さん、なにも退院されたその日にセッティングされなくてもよかったのでは?」
「なにを言っている、医者の許可さえあれば入院中にでも行きたかったぐらいだよ。それに君達が私を見付けてくれたあの日、中華街に行く予定を潰してしまったからね。そのお詫びもしたかった」
「覚えてらっしゃったんですね。でもその日は夜ちゃんと行ってきましたよ?桐生さんから紹介いただいたお店に」
「お、そうだったのか。それは悪いことをしてしまったかな?別の料理にすればよかったか」
公園で老人の生霊を見付けたあの日、本来なら中華街で食べ歩きをしようと計画していたのを思い出した。
しかしその日の昼食は無理だったが、夕食に宗近から紹介してもらったこことは違う店で食事はしていたのだ。
宗近のお勧めというだけあり値段の割に本格的な中華料理を味わうことができ二人ともとても満足したのを覚えている。
「おじいさんから紹介いただいたお店とてもおいしかったですよ?また中華街に来たいですねって神耶さんと話してましたので、こんなに早くご機会があるとは思ってもみませんでした」
「ええ、美詞君も今回のお誘いに跳んで喜んでいましたよ。また中華料理が食べれるって」
「もう!そんな恥ずかしいことバラさないでくださいよぉ……また意地悪するんですから!」
場を温める話題は提供できただろうか、座った面々から笑いが漏れた。
しかし代償として食い意地が張ったところを暴露された美詞は羞恥に耳を赤くしてしまったが。
「ふふ、二人はとても仲がよろしいですね。見ていると師匠とお弟子さんといった感じには見えませんわ」
「あぁ確かに言われてみると家族のような気安さがあって微笑ましい限りだ」
二人のやり取りを見守っていた妙恵は仲睦まじい姿にクスクスと上品に笑っている。
「そうですか?まぁ元々昔から知った仲ではありましたので」
「はい、私が神耶さんの弟子を志願したのは最近ですが、小さいころからお世話になっていましたので」
「ほぉ、それは少し興味があるね。聞いてもいい話かな?」
そこから二人の出会いを美詞が供物として育ってきた部分を伏せつつ桐生家一同に説明した。
「それはなんとも……桜井さんにはそんな境遇があったのか……」
「差し詰め神耶さんは白馬の王子様かしら?」
重い過去をなるべく意識させずに受け流すところも二人を気遣ってだろうか。
美香子のその言葉に一瞬ぽけっとした美詞はたちまち顔を真っ赤に染めてしまった。
「あ、いえ……その……そんなことは……。でも私にお兄ちゃんがいれば神耶さんのような方なのかなって……」
「あー……確かにあの頃は私のことを『おにいちゃん』と呼んでましたね」
「あーー!言わないでくださいってばああ!」
「いや、今のはほとんど自爆でしょうに……」
食事会は美詞の黒歴史(?)を餌に終始和やかなものとなっていた。
コース料理に舌鼓を打ちつつデザートが出てくるころになって宗近が真剣な表情で語りだした。
「神耶さん、桜井さん。今回の件本当にありがとう。もう聞き飽きてしまったかもしれないがそれでも言わせてくれ。今私がここにいるのは偏に君達のおかげだ」
そして宗近が妙恵と美香子に視線を送ると
「私からも言わせてください、私の夫を、孫を、会社を救っていただき本当にありがとうございます」
「あのままなにも知らずにおじい様を失い、あの男と一緒になっていれば私は自分自身をきっと許せなかったでしょう。私の家族を守ってくださりありがとうございました」
「今回は美詞君の功績です。彼女があの時動かなければきっと今はなかった、そう思っています」
そう美詞に向けれた尚斗の表情はいつもの親が子に向けるような慈しみの笑みである。
全方面から贈られた感謝の意にとても恥ずかしい思いであったが、それと同時に自分の行動により助かった一つの家族のことを考えると誇らしい気持ちも少しはあった。
「あの……嬉しいです。私は怪異に悩まされる人を助けてまわる神耶さんを目標にしてきました。まだ退魔師の見習いの入口に入ったばかりの私がそれでも一助になれたのなら……不完全な自分でも私の歩んできた道が間違いではなかったことへの自信になります。こちらこそお礼を言わせてください」
それは美詞の成長の証でもある。
ただ事件を解決したということではない、怪異事件を解決することだけなら修行期間でも散々やってきたことだ。
尚斗の下にきてから二回、たった二回ではあるが超常現象により人生を狂わされた人達を本当の意味で掬い上げることができたこと、感謝の言葉はなによりも自分の目標への動力源となった。
温かい目で若人を見守る一同が感傷に浸ることで場が静かになってしまった。
その沈黙を破るかのように尚斗が話題を変え質問を投げかける。
「そういえば桐生さん、事業のほうは大丈夫ですか?」
「正直なところ大丈夫とは言えんかもしれんな。だが幸い立て直しはできそうだ。『一から』とまで後退する気はないので心配はいらんよ」
「ならよかった、素人が心配するものでもなかったですね。しかしこれからは後継者の育成が大変なのでは?」
「ふむ、それも既に解決済みだ」
その返答は予想していないものだった。
今まで正彦を後継者として指名していたので彼しかいないと思っていたが、他にも候補がいたのだろうかと。
「私が桐生グループを継ぐことになりました」
そしてこれもまったく予想していなかった。
「美香子さんが……ですか?」
「あら、意外かしら?これでも婚約者が決まるまではおじい様を支えるために一線で働いていたんですよ?」
「後継者をアイツに定めてからは家庭を支えるからと引っ込んでしまったのが残念でならなかったが、私の穴を埋めるために戻ってきてくれるそうだ」
「そうだったんですね。正直美香子さんが前線を張られてたのは想像がつきませんでした、こう言っては悪いのですがいかにもお嬢様然といった雰囲気を纏われていたので」
「まぁ!褒めてらっしゃるのかわからない表現ですわね」
「おっと失礼になってしまいましたか」
クスクスと手をあて上品に笑っている美香子からは想像ができないが、宗近が一線を退いたことを残念がるほどなのでかなりのやり手だったのだろう。
「神耶さん、実は相談……というかお願いになるのだが」
「はい、なんでしょうか?」
「今回の事件、後付けでいいので君の事務所に調査と解決までの依頼をしたことにしてほしいのだよ」
「……桐生さん、お気持ちはありがたいのですが……」
「いや、頼む!もちろんこれで恩を返せたとは思わないが、それでも今すぐに出来ることはこれぐらいしかないのだ。老い先短い老人の意を汲んではくれないか?」
「……美詞君はそれでもかまわないかい?君の善意から始まったことだ」
判断を女子高生に委ねるのもどうかとは思うが、確かに尚斗が美詞の善意に遠慮してしまうのもわかる気がするのでコクリと頷いた。
「……ではありがたく頂戴いたします。桐生さんのことですから何らかの形でくるとは思っていましたが……」
まいったと言わんばかりに頭を掻きだす尚斗に隣にいた美詞がクスリと笑う。
「繰り返しになるがこれで君達に恩を返せるとは思っていないよ。これからもぜひ君達をバックアップさせてくれ。私は裏の世界のことはわからんが表の世界ではそれなりに顔が広いつもりだ。きっとなにかの力になれるだろうから困ったことがあればぜひ頼ってほしい」
「ありがとうございます。それはとても心強いですよ。桐生さんもなにか裏のことでお困りのことがありましたらいつでもお声かけください」
「ああ、その時はぜひよろしく頼むよ。ところで神耶さん、君は今いい人はいないのかね?」
宗近のその質問には嫌な予感がしたが、ここで嘘をつけるほど器用でもない尚斗はそのまま答えてしまう。
「それは……恋人と言う意味のことでしょうか?それならば特定の相手はいませんが……」
「そうか!ならばうちの美香子はどうだね?私が言うのもなんだがとても気立てが「おじい様」……なんだね美香子?」
宗近の暴走ともとれる発言に美香子が溜息を吐きながら言葉を遮った。
妙恵はおもしろそうに笑顔で見守っているだけだ。
「おじい様、困ってらっしゃるではありませんか。それ以上は野暮というものでしてよ?」
呆れたように祖父を窘め尚斗と美詞のほうに視線を誘導する。
美香子につられ視線を二人に戻すとなかなかに面白いことになっている。
尚斗は苦笑気味で口元をヒクヒクさせている……どう断りを入れようか困っているのがよくわかる。
美詞は尚斗と美香子の間で落ち着きなく視線を彷徨わせている……話の行方が気になりハラハラしているようだ。
「そうか……いい返答はもらえそうにないな。いやすまなかった、忘れてくれ」
「……すみません」
こういう話は何度かあったが余計な言葉を並べるのはよくないことを過去の経験で学んでいる。
端的に拒絶の意を伝えるに留める尚斗の姿に、隣で話の行方を心配そうな表情で見守っていた美詞がホッと一息吐いて安心した様子を見せていた。
食事を終え店の前で別れの挨拶を交わし、帰路につく二人の背を見送っていた宗近が美香子に話かけた。
「美香子、私にはあの二人の関係がいまいちよくわからなくなってしまった。見たところ仲のいい兄妹のような関係かと思ったが……」
「あら、それで間違っていませんわ。きっと桜井さんも神耶さんを兄……いえ家族のように慕っているのでしょうね」
「ならなぜ野暮と?」
「ふふ、女の子の気持ちは変わりやすいんですよ?ねぇ、おばあ様」
「宗近さんは昔から男女間の機微には疎かったから」
「……ふむ、そんなものか?美香子」
「そんなものですよ、おじい様」
人が多く行き交うネオンに照らされた通りを恋人とも家族とも見えない絶妙な距離で寄り添いながら去っていく、その背中に向け送られた老人の小さな呟きが夜空に向かい溶けていく。
「君達が進む先に幸あらんことを」
― 第三章 完 ―
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