第43話
どう声をかけるべきかわからない尚斗以外の者達を代表して美詞が質問することになった。
「神耶さん神耶さん」
「はい美詞君」
「……もう終わったのですか?」
「はい、終わりましたよー」
「……早すぎません?」
「だからすぐ終わると言ったじゃないですかー」
「なにをしたかまったく理解できなかったのですが……」
「だから参考にならないと言ったじゃないですかー」
「てっきり聖句をもって祓うようなものだとばかり……」
「いやぁ見習いのころはやってましたねー」
「まるで害虫を駆除するみたいに……」
「まぁ害虫のようなものですからねー」
「……もう!またからかってますね!?」
尚斗の雑な対応からまたいつものように美詞をからかっていることに気づき抗議の声を上げる。
「あはは、いやぁついつい。まぁ種明かしではありませんが、正直このレベルのものは散々祓ってきましたので。日本では珍しいですがヨーロッパですとそれはもう呪いが多かったんですよ。見習いのころは毎日のように呪いを祓ってました」
「そんなに多かったのですか?そんなに呪術者が多いのでしょうか?」
「ん?あぁ、誤解ですよ。確かに呪術者の数も多いのですがなかなか捕えれなくて……本場の呪いはかなりブラッシュアップされており術式改変なんてお手の物、返しても減衰されたり、返した先を別の人間に挿げ替えたり、一般人に被害が及ぶのを懸念して返すことよりもその場で消し去る方針にしていたのです。なので同じ術者が大量に呪いをバラまいたりするものですからエクソシストは万年大忙しですよ。服部の呪いはそれはもう単純なものでした、まさにマニュアル通り。恐らく誰かに師事していたのではなく書物等から覚えたのかもしれませんね」
「すまない神耶さん、例えばだよ?今この日本に、私にかけられた呪いを解ける人はどれぐらいいるのだろうか?」
自分を蝕んでいた呪いがあんなに簡単に解かれたのだから大したものではなかったのかと思ってしまったが、尚斗の話を聞く限りそうではなさそうなのだ。
そう、宗近がかけられた呪いは死の呪い、単純だとは言っているが決して軽いものではないはずである。
そうなると気になってくることがある。
今、目の前でキッチンの害虫を駆除するかのような早業で呪いを消し去った彼の実力とは一体どのような位置にあるのだろうかと。
「日本でですか?まず前提が少し違うのですが、日本に黒魔術による呪いが入ってくることがあまりありません。端的に言いますと日本は外来種に弱いんですよ、それを踏まえてでしたら日本ではせいぜい両手で数えれるぐらいじゃないですか?逆に言いますと、日本古来の呪術で同レベルの呪いですとそれを祓える退魔師は三桁を超えますよ」
「そう……なのか。君はあくまで相性の問題だと言いたいのだね?しかし当事者である私からしてみれば正に宝くじに当たるレベルの出会いであったわけだ……」
尚斗の答えを聞き力が抜けたのかストンとソファーに身を落としてしまった。
自分がどれだけ細い綱の上で歩いていたのか、足元を見て初めて気づいたような感覚だった。
「そんな大げさなものではないですよ、相性です相性。服部が好き勝手に出来ていたのもそのあたりが原因ですね。日本の呪術ですと対処できる退魔師は多いので暗殺が成立しづらい。黒魔術ならば日本では開拓されていないので殺し屋として大成できると踏んだんでしょう……ん?」
尚斗のポケットから着信を知らせる振動が聞こえ話がいったん中断した。
「丁度噂をすれば、先ほどの調査官からです。いい報告でしょうか……もしもし」
尚斗が電話に出たことによってその場が静かになる。
電話口から相手の声が聞こえるわけではないが、それでも会話の内容は気になるのだ。
「よかったです、自供しましたか。これで佐伯正彦を追い詰めれますね。……えぇ、すぐ動かれますか?……なら被害者の口からの証言がありましたら?ええ、もう大丈夫です。……近日中には……ならばそれまで令状だけ請求しておいてください。……ええどうぞ。……え?……それは本当ですか?……いえ、存じませんでした。……えぇ……えぇ……了解しました、ご家族にお伝えさせていただきます。ああ、あと気になっていたことがあるのですが……ええ、術の発動時期と倒れた時期が合わなくてそちらも追加で調べていただけますか?では目覚められましたらまたご連絡いたします。ありがとうございました」
電話の内容を推測する限り悪い結果ではなかったと思うのだが、なぜか尚斗の顔色が冴えない。
ゆっくり桐生家の面々を見渡すと深刻な表情で話を切りだす。
「いい報告と悪い報告……いや……思いがけない報告があります。まずは桐生さんの件ですが、服部が犯行を認めました。正彦さんは東郷の顧客で、何度か後ろめたい裏の仕事を請け負ったとのことです。桐生さんの件は未遂ですが他でやらかしましたので殺人の教唆で容疑を固められそうです」
「そうか……よかった。後顧の憂いがなくなったよ……して、君のその浮かない顔はもう一つの事かい?」
「はい。奴が依頼し手を染めた人の中に……美香子さんのご両親も含まれていました」
「……そんなっ!」
宗近の後ろで聞いていた美香子が崩れ落ち泣き出してしまった。
咄嗟に支えた妙恵もやっと引いた涙がまた栓が壊れたかのように溢れ出してくる。
ギリッと歯が砕けそうなほどの圧力のかかった音が病室に響いた。
「アイツめ……そうか……私の息子までも彼奴に……事故ではなかったというのか……」
瞳をギュッと瞑り怒りに耐えている様子であったが彼の瞳の端からは悔しさが涙となり漏れだしていた。
「事故で亡くなったのは確かでしょうが……災いの呪いです。大勢の乗客を巻き込んで呪いを発動したみたいです」
「……他に……このことで他になにか言っていたか?……」
「……依頼完遂報告の際『やっと邪魔者が消えた』と呟いていたそうです」
「……そうか……私が息子を後継者に指名していたからだな。その頃から会社の乗っ取りを計画していた……そういうことか」
あまりにも悔しかった。
自分は息子の仇にこれまで愛情を注いでいたのかと。
なにも知らずに実の息子を殺した犯人を息子のようにかわいがっていたのかと。
自分を害し、息子夫婦を殺し、孫を傷つけ、三代に渡り苦しめられたその事実に怒りと悲しみと後悔、色々な感情がぐちゃぐちゃに渦巻きどうにかなってしまいそうだった。
「……くそ、くそっ!……くそぉぉぉお!」
その叫びには彼の苦痛が籠められていた。
「ゆるさん……ユルサン……ゾ……このウラミ……」
宗近の口から零れ落ちる恨みの声は低くおどろおどろしいものへと変わり、目から生気が失われ白目が反転してゆく。
その変化は顔だけではなく、念が形となり宗近の生霊から黒い靄が蒸気のように吹き出し始める。
それに慌てたのは尚斗だ。
「いけない!美詞君、六根清浄を!桐生さん、聞こえますか!?怒りに身を任せてはだめだ!くそ、なんてことだ……ここまで怒りの念が強いとは」
尚斗の声にすぐさま美詞が「はい!」と宗近の生霊に駆け寄りながら返事をすると後ろにまわり背中に手を当てすぐに祝詞を唱えだした。
尚斗は逆に正面から桐生の両手をとり必死に霊力を籠めた言霊で語りかける。
「桐生さん、私を見てください!感情に支配されかかっています、戻ってくるんだ!私にはあなたの痛みを窺い知ることはできない、しかしあなた方には未来がある。あなたの後ろには誰がいますか?あなたが生霊になってまで守ろうとしたものはなんですか?思い出してください。あんな人間のクズのためにあなたが怨霊に身を落とす必要などどこにもない。そうです、そのまま……ゆっくり深呼吸して……気持ちを落ち着けて……大丈夫、別に許す必要はありません、怒りを忘れる必要もありません。彼はもう消える人間だ、そんな存在にあなたが気を病む必要なんてない。ええ、大丈夫、あなたが直接彼に引導を渡せるよう舞台も整えます。あなたはもう目覚めるだけです……これからのことを考えてください。あなた方三人が幸せになれる道を考えましょう……」
尚斗の呼びかけに宗近が落ち着いてきたのを見計らい美詞が祝詞の仕上げに入っていた。
「祓い給え 清め給え 【六根清浄】!」
鈴の音にも似た透き通る音と共に広がった温かな波動により宗近から昇りあがっていた黒い蒸気が霧散するように晴れていく。
フーッフーッと荒く吐き出していた息が穏やかなものに変わり、狂気の宿った目に光が戻ってきた。
「大丈夫ですか?桐生さん」
「……すまない。私は……どうしたというのだ……」
「私はあなたに謝らなければいけません、あなたの想いの強さを見誤っていました。負の感情が正の感情を飲み込み怨霊へと墜ちようとしていたんです。申し訳ありません」
「いや……謝らないでくれたまえ。神耶さん、桜井さん、どうもありがとう。そうか……私は今そういった存在にあったね」
「いえ、桐生さんみたいに明確な意思をお持ちの場合生霊から転化するなどあまりないのですが……それだけ深い感情の揺り起こしがあったのでしょう、発言した内容から配慮すべきでした」
「もう大丈夫だよ、もう見失わない。ここまで来て私が怨霊になるなぞ冗談じゃない……さっさと起きなければいけないな。神耶さん、私は目覚めるまでどれくらいかかるのだろうか?」
「目覚めは早ければ日を跨ぐ頃、遅くても明日の朝までには。そうだ、桐生さんがお目覚めになるまでこれを持っていてください」
そう言って渡された札を桐生が手に取ると尋ねる。
「今度はどういったお札なのかね?」
「生霊である状態のあなたがお持ちください。これは疲弊した魂を安寧に導くヒーリング効果のあるお札です。そして奥方」
「え?あ、はい。なんでしょうか」
まさか自分に声がかかるとは思ってなかった妙恵が慌てて返事をする。
尚斗はカバンからあるものを取り出した。
それはなにか花瓶のような胴の上部が膨らんでおり下部と口がすぼまった白い陶器製の入れ物のようだ。
「こちらは御神酒になります。美詞君のご実家の大社から取り寄せた力の込められた物で、弱った体を回復する効果があります。漫画のような劇的な回復が成される訳ではありませんが、寝たきりであったご老人のリハビリ期間を短縮できるぐらいには効果があるでしょう。病室にお酒を置いておくのもあまりよくありませんので奥様にお渡ししておきます。桐生さんがお目覚めになりましたら医者には内緒で飲ませてあげてください。少しずつ3日間ぐらいに分けてです」
「ふふ、お医者様に内緒ですか?わかりました、目覚めた後のことまで考えてくださりありがとうございます」
「いえ、アフターケアは基本パックに含まれてますので」
医者に許可をとってもどうせ却下されるのだ、ならば内緒にしてしまえと言う尚斗に宗近の変化に戸惑っていた妙恵から緊張が解けていった。
「神耶さん、重ね重ねありがとう。私は目覚めた後どうしたらいい?」
「それを今から説明しようと思っておりました。まずお目覚めになりましたらご一報ください。私が公安調査官に連絡を入れますので早ければ明日の朝には事情聴取に見えるでしょう。今は佐伯正彦の逮捕令状を請求しているところですので証言が取れ次第彼の確保に向かいます。勝負は明日ですね」
「そうか、ヤツを……断罪できるのか……目覚めが待ち遠しいよ!」
病室の中には当初あった悲壮感はもうない。
暗闇は晴れ、進むべき道も見えるようになった。
過去の清算もできそうだ、公園で困り果てていた老人の顔は目標のできた生気の漲ったものへと変わっていた。
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