第38話

 尚斗と美詞が桐生宗近を自宅に送り届け、最低限のことを無事ご家族に伝えることができたことにまずは一息つくことができた。

 桐生家の女性陣も突発的に起こった理解しがたい超常現象を無理やり飲み込もうとしたのだろう、ぎこちない様子ではあったが普段の家族に接する態度でなんとか対応できていたように見える。

 現在は豪邸と呼べる桐生家の広いダイニングスペースで、テーブルを囲み桐生家の女性方と顔を突き合わせているところであった。

 先ほどまではそこに宗近も同席していたのだが「疲れているでしょうから後は私達でご歓待いたしますので宗近さんはリビングでくつろいでらして」と無理やりにも近い形で宗近をリビングに追いやってしまった。

 リビングとダイニングは間仕切りもなく横続きとなっているが、如何せん広い豪邸なため会話が聞こえない程度には離れており、これから行われる密談には適していた。

 念のため会話が聞こえないよう認識阻害をかけているので問題はないだろう。

 カチャとソーサーに置かれたカップの音を皮切りにして尚斗が口を開く。


「改めまして、先ほども宗近さんから紹介いただきましたが私、神耶尚斗と申します。そしてこちらが―」

「神耶さんの下でご一緒させていただいております桜井美詞と申します」


 二人は軽く礼をとると尚斗は自分の身分を明かすため名刺と協会会員証を提示した。


「ご丁寧にありがとうございます、先ほどもお伝えしましたが妻の妙恵(たえ)と孫の美香子(みかこ)です。この度は宗近さんの件ありがとうございました。まだどういった状況なのか理解ができなくて……説明をお願いしたいのですがよろしいですか?」

「ええ。まずは私共が宗近さんをお見掛けしたところからになりますが―」


 そこから尚斗は先ほど山下公園で桐生を見かけたところから説明をした。


「―そして今に至ります。ここまでで質問はありますか?」

「美香子からは生霊がという風に聞いたのですが、どういったものなのでしょう?」

「人が死者になり成仏できず幽霊となり現世を彷徨っている……といったものをテレビ等でご覧になったことはあるでしょうか?」


 その問いに頷く二人を確認し尚斗は話を続けた。


「しかし人と言うものは死なずともその人の霊魂が姿を現わすことがあります。幽体離脱等と呼ばれているものに近いかと。強い念や想い等が形となり、勝手に本体から離れ彷徨ってしまうのが生霊です。もちろん本体は生きておりますので、眠っている時や臥せっている時が多いのが特徴ですね」

「あの……宗近さんの身に危険はないのでしょうか?あの人は今意識不明により病院で入院中なのです。突然のことで原因もわからず、倒れてから既に1か月近くたちます。意識が戻らないこと以外は特に問題個所もなく自発呼吸もできているのですが……今の状態と生霊となったあの人のことは関係が?」

「すみません、正直なところまだ臥せっている宗近さんを見てもないので原因は何とも言えませんが、危険性があるわけではありません。彼がここにいることがその証拠になります。ずっとこのままでいるのはよくありませんが、いますぐどうこうなる訳ではありませんのでご安心ください。必要でありましたらご協力させていただきます」

「……そうですか。ありがとうございます。ところでお二人のことをお聞きしても?」

「ええ、構いません。お二人は霊能力者という言葉をお聞きになったことぐらいはありますよね?テレビのバラエティやファンタジーの物語の中で語られるような存在、それが私達です。物語の中の主人公のような何でもできるような力はありませんが、実際のところこの日本には今も数多くの退魔師と呼ばれる方々が、古来より世間に認知されることなく今回のような裏の出来事を対処してきました。私は古くから続く陰陽師家系の末裔で、彼女は伝統ある神社の力ある巫女です。今現在は彼女と師弟関係にあります」

「……正直そういった世界を知らない私達にとってはフィクションの物語を聞いているようですわ。ごめんなさいね」


 一般人にいきなりこういう説明をして信じろというほうが難しい話なのだ。

 しかし眉尻を下げ困惑しているだけなのは実際のところ目の前に超常現象が起こっているからだろう、少しずつでも理解しようとしていることが窺える。


「胡散臭いことは十分承知しおりますので大丈夫ですよ。実際私が調査事務所という名前を掲げているのもそういう理由ですので。人は自分の理解できない力を持っているものに恐れを抱きやすいものです、なので古来より国も退魔師達も一般の方には存在を伏せ活動して参りました。そういった者達がいるということと、解決できる手段があるということだけまずは知っていただけましたら」

「ご配慮ありがとうございます。神耶さんは陰陽師の末裔とおっしゃいましたが神耶さんも陰陽師という存在なのですか?」


 妙恵の言葉にハッと気づいたように美香子が呟いた。


「神耶さんは先ほどご自身を神父だとおっしゃってたように思えましたが……」


 その言葉に今度は尚斗が眉尻を下げ困ったような表情になってしまった。


「あぁ……少しややこしいのですが神父で間違いありません。生まれがそうなので陰陽師ではあるのですが、僧籍も神道の階位も持った本職はバチカン公認の祓魔師(エクソシスト)になります。」


 尚斗の言葉にぽかんとした様子で固まった正面の二人は次第にくすくすといった笑いに変わってしまった。


「すみません笑ってしまって。ちょっと情報過多すぎて。エクソシストって本当にいるのですね。聖書をお持ちになって悪魔退治というイメージのままで?」

「ええ、そうですよ。このように」


 左手にはどこから取り出したのだろうか、そう大きくもない聖書が姿を見せたことに今度こそ二人の顔は驚いたものに変わった。


「驚きました……まるで手品のようですが、私からしてみますと神耶さんは十分物語の世界の方のようですわ?それにしましても退魔師という方はみな神耶さんのように色々修めているのですか?」

「いえ、そういうわけではありません。私は今まで一人で活動し飛び回ることが多かったので必要に迫られてといったところです。現に美詞君は神道一筋の由緒正しき純正巫女さんですからね」


 その紹介の仕方はどうなのかと美詞は少々恥ずかしい思いでうらめしそうに尚斗を見上げる。


「桜井さんはとてもお若いように見えますがまだ学生さんですよね?」

「あ、はい。今年17の年になります。私を含めまして退魔師を目指す能力者の方々が通う学園の二年になります」

「あら、そんな学校まであるのですね。ほんと聞けば聞くほどまるで違う世界のようだわ」

「おばあ様、興味深々なのはわかりますが今はおじい様のことを……」

「あらごめんなさいね、宗近さんのことは心配いらないと太鼓判を押していただいたのですっかり脱線してしまったわ。神耶さん、これから私達はどうすればよろしいのでしょうか?宗近さんは目を覚ましますか?」

「まずご家族の方は引き続き普段通りの態度で宗近さんに接してください。そのお札を持っている限りは宗近さんの姿を見ることができます。途中いきなり消えたり現れたりすると思いますが慌てないで、生霊とはそういうものです。食事などに関しましても接種することはありませんが宗近さんから要望があったときだけ準備してください」

「それはどういった意味でしょう?」

「生霊という存在であそこまで自我がはっきりされているのも珍しいですが、それでも生霊にはある特徴があります。それはご都合主義なのです。少々の違和感を持っても基本は自分の都合のいいように記憶を補完していくのです。例えば自分から食事を用意してくれと言ってきたからと言って本当に食べるわけではありませんし、食べなかったとしても記憶としては準備してもらい食べたという結果だけを自分の中で補完してしまうんです。彼が公園で困り果てていた時も財布と携帯は家に忘れてしまった、運転手に先に帰ってもらった、人に道を尋ねても反応がなかったのはみんな急いでいたから、等もそうでした」

「宗近さんがお茶に口をつけなかったのもそういうことなのですね……わかりました、そう対応いたします」

「そして今は自らが生霊であることを認識していないので、まずは明日にでも認識していただく必要があります。もしご迷惑でなければご協力させていただきますがどうでしょうか?」

「いいのですか?私達の都合に巻き込むようなことになってしまって」

「ええ、美詞君がどうしても関わりたいようなので。弟子がやる気を出しているのですから師は背中を押すだけです」


 気楽に答えてくれる尚斗に妙恵が今日一番の柔らかい笑みを浮かべる、穏やかに会話を交わしてくれてはいたが内心はとても不安だったことだろう。

 いきなり現れた自分の夫の生霊、それに伴って現れた胡散臭い連中、意識の戻らない夫は本当に目覚めるのだろうか……そんな重圧の中でここまで冷静に振舞える彼女に女性の強さというものを見たような気がした尚斗であった。


「そう言っていただけますと助かります。このような事態の解決等私ではとても無理そうなので、正直なところ藁をも縋る思いでした。逆に私が御協力できることはありますか?」

「ええもちろん。ご家族のご協力は必至と言えます。今現在病院でお臥せになっているとのことですが、明日にでも宗近さんの生霊を連れて病院に赴くことは可能ですか?」

「……やってみます。確か自分の都合いいように情報を補完するのですよね?でしたら適当に病院に行く理由をつけて連れ出してみせます」

「お願いします。実際に本体と対峙していただき自己の認識を促します。私も近くで待機しその場に立ち会うよういたしますので。理想としましては自己を認識することにより生霊となった経緯が判明するのがベストですが、少なくとも宗近さんの生身を拝見することでわかることもあるかと思います。その後のことは追々考えていきましょう」

「ありがとうございます。……ほんとうにありがとうございます。このお礼は必ずいたしますので」

「お気になさらないでください。慈善事業ではありませんが今回は私共から首を突っ込んだ案件ですので。唯でさえ胡散臭い業界なので押し売りはあまりしないことにしているんですよ」

 

 最後はおどけたような冗談で締めくくると明日の計画に向け動き出したのであった。

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