第37話

 尚斗と美詞の両名は退魔師協会での出来事にケリがついたあと、これからどうするかを話し合っていた。


「美詞君、せっかく都心まで出てきたのだから帰りにどこか行きたいところはないですか?」

「いいのですか!?えっと……行きたい所はいっぱいあるのですが……あ、でも限られた時間となると……横浜に寄ることはできますか?」

「ええ、大丈夫ですよ?お昼は中華料理でも食べたくなりましたか?」

「えぇっ!なんでわかったんですか!?」

「ふふ、なんででしょうねぇ」

「もうっ!また意地悪するんですからっ!」

「そんなつもりは……ちょっとはあるかもしれませんね。さて、私は中華街なんてあまり行くことがないのでスマートなエスコートはできません。とりあえず行ってみて食べ歩きながら良さそうなお店があったら入りましょうか?」

「はい!小籠包食べてみたかったんです。あとエッグタルトにパンダまんとか…」


 やはり美詞は花より団子なのか「見る観光」よりも「食べる観光」のようだ。

 まだ現地に着いてもいないのに目を輝かせながら次々と候補を上げていく美詞の頭の中には絶賛料理で埋め尽くされているのだろう、その姿に尚斗はクツクツと笑いを堪えるのに必死だ。

 

「それでは行きましょうか、このままだと美詞君の候補が天元知らずに増えてしまいそうです」

「大丈夫です、神耶さんがシェアしてくれるならその分いっぱい食べれますから」

「仕方ないですね、お手柔らかにお願いしますよ?」


 地下鉄を乗り継ぎ東急東横線で横浜に向かうことになった二人。

 せっかくだからと途中下車し赤レンガ倉庫や山下公園を散歩しながら中華街へと向かうことにした。

 そして見付けてしまったのだ、公園のベンチで項垂れ困り果てている様子の老人を。


「神耶さん……あれは……」

「わかりますか?やけに姿がはっきりしてますね」


 その老人を見てすぐさま人でないことに気づき歩を止める。

 本来昼間であっても霊というものは現世に多数漂っている。

 そして二人はもちろんそういった者を多数見かけたりもするのだが、その都度構ってあげてるわけではない。

 人に害を及ぼすような危険な悪霊ならともかく日中の、しかも人通りの多い場所での浮遊霊にはあまり干渉しないことは暗黙の了解だからだ。

 ならなぜ歩を止めてまでその老人に気を止めているかと言うと。


「生霊……ですよね。あれだけはっきり生身のようですと相当な念が込められていると思うのですが」

「ええ、珍しいですね。見た目通りの年齢なのでしたら生命力漲るといったわけでもなさそうですし、執着している想いが相当強いのでしょう」

「あの……神耶さん……」

「……いいんですか?中華街がお預けになってしまいますよ?」

「すみません、また我儘言っちゃって……霊感が導いているような気がするんです」

「弟子の自主性を重んじるのもまた師の役目ですからね。中華料理は夕飯にまわしましょうか」

「ありがとうございます!」


 先ほどまで食い意地が張っていた割にすぐに切り替えられるのは美詞の美点と言えるだろう、しかし速足で老人に向かうのはいいが忘れていることがある。


(美詞ちゃんもちょっと抜けてるところがあるなぁ)


 尚斗が美詞をフォローするように軽い認識阻害をかける。

 これでこちらから他人に話掛けない限り注目を浴びることはないだろう。

 そう、日中の人通りが多いところで虚空に向かい独り言を呟いていては怪しい人扱いされかねないのだ。

 無事術がかかったことを確認し尚斗も美詞に続いて老人の下に向かった。


 話の末老人の生霊は自宅に帰りたがっているようである。

 幸い近いようで二人が送り届けることになったのだが、尚斗は気になることがあった。


(ここまで存在がはっきりしているのに目的が漠然としている……そこまで自宅が大事……いやこの場合自宅にあるものに執着しているのか?家族がいるならこの老人の現状を尋ねてみるか?)


 そして老人は桐生と名乗ったことで更に疑問が深まってしまった。


(桐生グループの代表の身になにかあればニュースになっているはずだ……ということはただの無意識の離脱?いや、だとすればこの存在感に説明がつかない。どういうことだ?)


 本人には悟られないよう雑談を交わしつつ情報を探るがそれといった収穫もなかった。

 こうなれば猶更自宅にいるであろう家族に直接確認する必要があるだろう。

 幸いにも自宅まで帰って来れたことに安堵したのか疲れを見せ始めた桐生。

 時間稼ぎのために老人に霊圧でプレッシャーを与え足を止めておこうかと物騒な事を考えていたため、このご都合主義な展開は有難かった。

 このタイミングは逃せないと桐生を美詞に任せ、自宅まで駆けていくと桐生宅のインターホンを押す。 


(頼む、家族が出てきてくれ)


「はい、どちらさまでしょうか?」

「(よしっ!)すみません、私は神耶と言うものですが桐生宗近さんのご家族の方でしょうか?」

「……ええ、そうですが。どういったご用件でしょう」


 インターホン越しの声は若いように思われるが家族が出てくれたことにホッと肩をなでおろす。

 しかし相手の声はこちらを訝しむような声色だったために言葉を選ばないといけないだろう。


「先ほど山下公園のほうで道に迷われている桐生さんを見付け、こちらまでお連れにあがったのですが……」

「……そんなはずはありません。なにが目的かは存じませんがお引き取りいただけますか?」

「いえ、確かに桐生宗近と本人から伺っております。年は70代頃、白い髭を貯えられグレーのスーツに琥珀の繊細な細工の施されたループタイをかけてらっしゃいます。以前雑誌で拝見しましたお顔と同じなので間違いはないかと」

「出鱈目をおっしゃらないでください!今祖父は……いえなんでもありません、とにかく人違いでしょう、お引き取り下さい」

「嘘でも出鱈目でもありません。確認ですが間違っているならすみません、桐生さんは現在意識の戻らない状態が続いているのではないでしょうか?」

「なんでそのことを!あなたどこのメディアの方ですか!?目的はなんです?」

「いえ、雑誌やテレビ等とは全く関係ありません。騙されたと思って一度出てきていただけませんか?不信に思われるのは承知の上ですが、桐生さんがいらっしゃるのは本当のことです。そしてご家族の方に説明しなければいけないこともあります」

「……謀っている訳ではないのですね?嘘でしたら警察を呼びますよ?」

「神に誓って。これでも神に仕える神父ですので」


 尚斗の「神父」という言葉が届いたのかはわからない、しかしどうやら効果はあったのか。


「……わかりました。お待ちください……」

「ありがとうございます(説明に時間がかかったか……やはりこういったのは苦手だ……あと猶予は50mほどか?)」


 ちらりと美詞がいる方向に視線をやるとゆったりとした足取りでこちらに向かってくる老人の姿が見えた。

 少しするとガチャッと玄関のドアが開きソロリと女性が顔を覗かせてきた。

 その顔にはやはり疑惑とこちらを訝しむ表情が張り付けられていたが、軽くお辞儀をし視線を横に向ける。

 その視線の先が気になるのだろうが、玄関のドアからは上垣が邪魔になり歩道の様子は見て取れないため恐る恐るこちらへやってきた。


「困惑されていることは重々承知しておりますが、ご家族の協力が必要なためこういう形になってしまい申し訳ありません」

「……で、祖父はどちらにいるのでしょうか?」

「あちらのほうに、今連れのものとこちらに向かってきているところです」


 その言葉に女性は歩道の先を見るため門扉から出てきた。

 視線を向けてもそこには若い女の子の姿しかない。

 やはり騙したのかとこちらをキッと睨みつけてきたが尚斗は予想していたかのように手に忍ばせていたものを差し出す。


「いえ、ちゃんと居ますよ。こちらをお持ちになってもう一度ご覧ください」


 差し出されたのはなにやら文字が図形のように複雑に書かれた紙である。

 あまり見たこともないようなものであるがこれがなんなのかはなんとなく分かる。


「お札……ですか?最近の神父さんはお札もお持ちなんですね?」

「すみません、桐生さんがこちらに来られるまで少しお話することもありますのでお願いします」


 女性はその言葉の意味がわからなかったが、急かされつい差し出されたお札を手にとってしまう。


「はぁ……それでこれを持ったからといってなに……が……あ……そんな……」

「落ち着いてください。一時的に目に見えないものを見えるようにしているだけです。時間がないので混乱するでしょうが端的にお伝えします。彼は桐生宗近で間違いありません。しかし生身ではない……いわゆる生霊と呼ばれるている状態です」

「あ……うそ……霊だなんて……おじい様はまだ病院にいるはずなのに!」

「大丈夫です、心配なさらないで。おじい様はまだ生きてらっしゃいます。生きている人から何らかの理由で飛び出してしまった思念体と思ってください。本人は自分が生霊であることにまだ気づいていません。生霊がいるということは生身も大丈夫だとの証明でもありますのでご安心ください」

「なんでこんなことに?おじい様は意識不明の状態で入院中なんです。こんな……意味がわからないわ……」

「混乱されるのは無理もありません。ご家族は他にいらっしゃいますか?詳しいことを説明させていただきたいのですが」

「祖母がいます!一緒に説明していただけますか?」

「わかりました。お札をもう一枚お渡ししますのでこちらを奥方様にお渡しください。そして今、桐生さんは自分が生霊であることに気づいていないためなるべく普段通りの対応でお願いします」

「あ……え、えぇ。わかりました。祖母を連れてきますわ」


 尚斗から追加のお札をもらい走って家の中に飛び込んでいった女性は祖母を呼びにいったのだろう、外にいるここからでもドタバタとした足音と「おばあ様!」と呼ぶ声が聞こえてくる。

 慌てているようではあったがちゃんと祖母に説明してくれていればいいのだがと少し不安になってしまう。

 その元凶である桐生宗近の生霊はもう10mもない距離まで来ていた。

 

 なんとか手配は間に合ったようで、あけっぱなしにされた入口から先ほどの孫と思われる女性と年配の女性が一緒に出てきた。

 その女性の顔には先ほどの孫が見せた驚き以上の表情が浮かんでいたが、すぐに口に手を当て涙ぐんだものへと変わってしまった。

 尚斗の隣ではその妻の様子に慌てふためいている老人の姿があった。

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