第15話 仕立屋シプリアン(1)

 色とりどりのレースにリボン、花の飾られたボンネット、恐ろしく腰の細いトルソーに着せられた豪華なドレス。


 仕立屋シプリアンの訪問に合わせて、ソファーやテーブルが脇に寄せられた客間は、百花繚乱の花畑に変わっていた。


 眼福である。


 足を踏み入れて思わず頬を紅潮させたアリアは、花畑の真ん中に大きなクマがいることに気がついた。


(……グリズリー……?)


 いやクマではない。


 かなりガタイがいいが、歴とした人間の大男であった。


「あーらごきげんよう奥さま! しばらく引きこもっていたんですって? また旦那さまとケンカしたの~? 飽きないわねえ」


 筋骨隆々とした男の口から飛び出たのは、しかし流暢な女言葉で、アリアはしばし考えたのちに(……なるほど)と得心した。


 仕立屋シプリアン。


 辺境の地プランケット領ながらも西南部地域でナンバーワンの仕立屋で、西南部では首都よりもこちらで仕立てたドレスの方が羨ましがられるのだという。


「暑苦しいからあまり近寄らないでちょうだい」


 エミリエンヌの対応はつれないが、フレデリクに対するものと比べるとずいぶん優しいと言える。


 まなじりもつり上がっていないし青筋も立っていない。


「やだ、冷たいこと仰るんだから!」


「今日はわたくしの夜会服と、この子たちのドレスを仕立てるつもりよ」


 扇子を向けられて、ごくわずかに首を傾けたセレスティーネに倣い、アリアも首を傾けて、スカートの端を持った。


 あれ以来、セレスティーネとは一言も会話できていない。


「アリアと申します」


 シプリアンはごつい手で口元をハッとおおった。


「やだ! 天使!?」


 アリアは「うふふ、ありがとうございます」とほほえんだ。


 第一印象の良さには自信がある。なにせ愛想一本頼みでこれまで生きてきた。


「これはまた、セレスティーネお嬢さまとは全然違う美少女ね。姉君がヒヤシンスだとしたら、妹君はスイートピー……腕が鳴るわね!」


 肉体派の仕立屋は実際に太い腕をゴキゴキ鳴らしながら、白い歯を見せてニッコリした。怖い。


 採寸は、シプリアン本人ではなく同行しているお針子の女性たちの手によって行われた。


 いくら名高い職人といえども、未婚女性の身体を触るのは障りがあるようだ。


 その間、エミリエンヌとシプリアンはデザイン画やレースを見て、大変盛り上がっていた。


「見てのとおり、飾り立て甲斐のある容姿よ。とにかく他の娘が着たら失笑されるくらい、ふわふわで可憐なデザインになさい」


「奥さま、実はかわいいものお好きよね?」


「似合うものと好きなものが違ったのよ。見てわかるように、わたくしやセレスは夜の女王といった美貌でしょ? 甘い色やデザインは今ひとつなのよね」


「おほほほほ! 自分で言う?」


「あら、わたくしとその娘が美しいのは周知の事実じゃなくて? 娘時代から大人びたドレスが似合ったわ。黒いベルベットのドレスと真珠を身につけるだけで、男も女もわたくしにひれ伏した。でもその代わり、流行のフラウンススカートもパフスリーブもシュミーズドレスも、しっくり来なくて悔しい思いをしたのよ」


 濃いエメラルドの瞳が、下着姿で採寸を受けているアリアを鋭く映した。


「そして今! あんなに理想どおりのお人形が手に入ったの! これはもう好きなだけ娘時代の欲求を満たせという神からの思し召しではなくて?」


「えらい俗物的な神がいるものね。バチが当たるわよ」


「……」


 別に声を抑えていないので、アリアには全部よく聞こえていたが、背中にビシバシ当たる視線に気づかないふりをして大人しく採寸を受けていた。


 ちなみにセレスティーネは自分の採寸を終えると、さっさと自室に戻ってしまった。


「ベースはこれで、裾になにか装飾してちょうだい」


「そうねえ……蝶はどうかしら? 生地をたくし上げたポイントに、こことここに置いて」


「悪くなくてよ。生地はパパラチアサファイアのような淡いピンクオレンジをまず一着」


「オーケー。赤肉メロン色ね」


「パパラチアサファイアって言っているでしょう!」


 ツンツンと怒っているが大変楽しそうだ。エミリエンヌはファッションが好きらしい。


「……アリアお嬢さまのデイドレスはだいぶ固まってきたわ。創作意欲が湧いたから、すぐに作って持ってくるわね。お次は奥さまよ。イブニングドレスだったかしら? なにか予定があるの?」


「まだないけど、そろそろ作っておこうかしらと思って。……ああ、それとコルセットも新調したいの」


 エミリエンヌが切り出すと、すかさずカトリーヌがコルセットをシプリアンに差し出した。


 シプリアンは「たしかにちょっとくたびれてきたわね」と当たり前のように眺めていたが、そのウエストの細さを見て、アリアは目を丸くした。


「え!? そ、それをお腹につけているんですか!? 内臓は……内臓はどこに!?」


「あら」


 エミリエンヌは振り向くと、おかしそうに笑った。


「内臓なんて邪魔なもの、上か下によけておけばいいのよ。アリア、あなたももう二年もすれば付けることになるわ。侍女が二人がかりでぎゅうぎゅう締め付けてね」


「ひえっ……」


 シプリアンもエミリエンヌも笑っていたが、アリアは真っ青になった。


(あんな拷問器具を身に着けていたら、誰だって動くのが面倒になるに決まってるわ。何とかしてあれをどうにかしないと、わたしのプランに支障が出る……!)


 アリアのプラン。それは、「夫人の肉体改善計画」である。


 まずは庭園のお散歩に始まり、ほどよくお腹を空かせて栄養のある食事を摂ってもらう。心地よい疲れの中で日付が変わる前に就寝し、ちゃんと「朝」と呼べる時間帯に目を覚ます。


 こういう当たり前の生活を続けるうちに英気を養い、ゆくゆくはテニスや乗馬なども嗜むくらい、元気で健康的な真人間になってもらうという、計画と呼ぶには大変ざっくりとしたものであった。


 セレスティーネのシナリオで、エミリエンヌがどうやって死ぬ予定だったのかはいまだに不明である。


 たしかに、部屋に閉じこもるという状況は改善した。


 だが夜ふかしで昼ごろ起きては、好物の果物や菓子を軽くつまむくらいで庭すら出たがらない、運動なんてもってのほかという、いまだに健康とは言いがたい養母の様子を見て(引きこもりを脱しただけで実は生命の危機には変化がないのでは?)とアリアはひそかに危惧していたのだ。


「シプリアンさん。コルセットのないドレスはありえないんですか?」


 アリアの問いかけに、仕立屋は目を見開いたのちに、しばし口元に手を当てて考え込んだ。


 エミリエンヌは「何を言うのかしらこの子は」とため息をつき、言い聞かせるように長い指を立てた。


「いいこと? ドレスの襟ぐりが広いのも、袖が広がっているのも、クリノリンを付けるのも、全ては腰を細く見せるためのもの。肝心のコルセットなしのドレスはありえないわ」


「お母さま!」


「!?」


 アリアは両手を祈るように組んで、エミリエンヌをうるうると見上げた。


 エミリエンヌは突然の『お母さま』呼びに、珍しく傍からわかるほどにうろたえ、扇子を取り落とした。


「わたし、女性の身体は自然が一番きれいだと思うんです! わたしがお会いした女性の中で、一番うつくしいお母さまですもの……! こんなくの字型に身体を変形させるなんてもったいない! 絶対にぜったいに、自然な身体に沿ったドレスの方が、お母さまのうつくしさを引き立てます!」


「え、ええ……?」


「シプリアンさんだってそう思うでしょ?」


「へ?」


 急に水を向けられて、熟考していたシプリアンはパチパチとまたたいた後に、ニヤリと笑った。


「あら、どうして?」

「だってその身体だもの!」


 アリアもニッコリと笑い返した。


 下町には肉体自慢の男たちがいて、酔っ払っては「筋肉こそ最高のドレス」とよく言っていた。「筋肉があればすべてうまく行く」とも聞いたことがある。


 たしかにアリアとしても、軟弱な身体を豪奢な衣装に包んだ金持ちのドラ息子より、たくましい筋肉をつけた職人たちのほうが魅力的に見えて納得したものだ。


 ただ仕事して寝起きしているだけで、筋骨隆々になる仕立屋なんていない。

 美のためか健康のためかは不明だが、とにかく能動的に鍛えているはずである。


 シプリアンは呆気に取られていたが、ややあって破顔した。


「やだ! 面白い子だわ! でもコルセットを外したら、締め付けていた肋骨が広がるだけよ?」


「肋骨が広がる!?」


「そうそう、べちゃっとね」


「ヒッ!」


 アリアは自分のアバラをさすった。


(そんなに変形しているなら、急に外したらかえって身体に悪いかもしれないわね……)


「じゃあ、きゅっと引き締めるくらいの、動きやすいコルセットはできませんか? 深呼吸ができるくらい動きやすいの」


「動きやすいコルセットねえ。そうね……作れなくもないわよ。――ねえアリアちゃん、あなた……」


 シプリアンは鳶色の目だけで(奥さまに運動させる気ね?)と尋ねたので、アリアも目だけで(そうなの。がんばるわ)と答えておいた。


「ちょっと。わたくしまだコルセットを替えるなんて……」


「お母さま! わたし、お母さまとお庭をお散歩したいんです!」


 反論が返ってきそうだったので、間髪入れずにうるうると見上げておく。


「でもあんな拷問器具をつけていたらちょっと歩くのだっていやになっちゃいます。お母さまにはずっとお元気でいてほしいのに……!」


「くッ!」


 エミリエンヌもさすがに耐えかねて、眩しそうに目をつぶった。


「わ、わかったわ! 試しに一つは作ってあげてもよくてよ!」


「ありがとうございます! 嬉しい!」


 止めにぎゅっと抱きつくと、「もう!」とお怒りの声が降ってきたが、引き剥がされる様子はなかった。

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