宇宙サウナ
マグロの鎌
第1話
「なぁ、最後ぐらい楽しい話がしたい」
そう言い出したのは、無駄な体力を使わないために無言を貫いてはずのジョイだった。
彼は韓国人の母とアフリカ人の父の元に生まれたハーフだ。ちなみに、国籍はアメリカだ。
「楽しい話って何だよ。ラグビーとアメフトどっちが面白いかって話か?それなら、答えは決まっている。もちろん、アメフ」
「それがつまらない話だからジョイは最後ぐらい楽しい話がしたいんじゃないか?」
ボブの話を遮るようにして今喋っているのがリーだ。彼は僕の一つ下の二十六歳で中国の証券会社に勤めている。
「ちっ、じゃあ何だよ楽しい話って。おい、ザキなんか思いつくか?」
急に僕の方に話が振られたが、これはよくあることだった。ボブは困った時にメンバーの中で最年長の僕に話を振るクセがあった。彼にとって、僕はスティックのりのような使い勝手のよく、剥がれやすいものなのだ。
「そうだな……。ああそうだ、君たちは、今回の百万ドルを手に入れたら何をしたいかとかある?」
そう言い終えると、ボブと同じ大学に留学しているオリビアと目が合い、自然と彼女が話し出す流れになった。
「そうね……、私は北欧の方の田舎でのんびり余生を過ごすのがいいかも」
「余生って、おまえ、まだ大学生だろ」
そう、ボブが突っ込むとメンバーたちは笑い出した。
「あっでも、僕もオリビアと似ているな。早く今の会社をやめてアメリカで自由な暮らしを送りたいね。元だとかドルだとかユーロだとか、もうそう言うのは散々なんだ」
リーがそういうと、「俺にも話させろ」と言わんばかりのかをしていたジョイが話し始めた。
「お前ら何だよ、自分の欲ばかりだな。ちなみに俺はな、父の祖国のアフリカに学校を立てるんだ。小学生からおじいちゃんまで、誰がきてもいいような学校を建てるんだ」
「高校を卒業していないお前がか?」
「高校を卒業していなくて何が悪い。お金があれば学校は建てられる、それの何が悪い?」
「いいや、ただお前の学校は中退した人数でギネスブックに掲載されそうだなと思っただけだ」
そう、ボブは挑発的にジョイを見つめながら言った。ジョイもそれを受け、今にでもボブに飛びかかれるよう、ベルトに手を掛けた。しかし、ジョイが眦を決したことにより彼の目に汗が入ってしまった。そのことによって、ここがサウナの中であることを思い出し、ジョイは怒りを沈めた。
「せっかく楽しい話をしようってことだったのに……」
オリビアが、踏まれてしまった道端のタンポポのように萎れてしまった。それを見た二人はいつもの様にオリビアに元気を取り戻してもらうために、「い、今のは違うんだ」「ああ、俺が悪かったから」と言い訳を並べようとしたが、何かを思い出したかのように、再び口喧嘩を再開させた。
「おいおい、ジョイ、オリビアが可哀想だろ。お前のデカ過ぎる図体に怯えて今にも泣き出しそうじゃないか。普段から腰ではなく彼女に暴力を振るっているんじゃないか?」
「何を言っているんだ、それは君の方じゃないのか?オリビアはいつも僕に泣きついてくるよ、君のは下手くそすぎてただの暴力だってね」
「何だと、テメー。あーもう許さないからな」
そう言ってボブはジョイに殴りかかろうとベルトを外した。しかし、サウナと言ってもここは宇宙船の中。彼はジョイにたどり着く前に宙へ浮かんでしまった。あまりにも滑稽なその姿に、僕やリーはクスッと息を漏らしてしまった。ボブ自身も自分でやっていて恥ずかしくなったのか、顔が赤くなっていた。
「あー、もうだめだ。この際だから決着をつけようぜ。男四人で」
「何だよ、決着って?それに四人ってどう言うことだ?」
僕はめくるめく展開に、驚きを隠せなかった。普段なら、二人が利益の取り分で口論になろうと、オリビアのことで殴り合おうと、僕に矛先が向くことはなかった。そのため大抵のことは笑って見過ごすことを許されていたが、この特殊な空間下ではそうは行かなかった。
「知ってんだぞ、俺ら以外にもお前らだってオリビアと関係を持っているって事をね。だからよ、ここで誰がオリビアを手にすんのか勝負しようって事だ」
ボブはそう睨みを効かせながら言った。
そうだ、僕とリーもオリビアと関係を持っていたのだ。僕の場合は同じ研究室の准教授、ボブはサークルの先輩、ジョイはオリビアのホームステイ先の息子、リーはインターンシップ先の社員、誰でもそう言った関係性になっていても不思議ではなかった。そもそもこのメンバーはオリビアが集めたものであり、出会った当初から薄々気が付いていたのだ。
しかし、皆カジノの利益のために嫌な部分には目を瞑っていたってことだ。そのため、今振り返ると、我々は歪な関係だったのだと思う。僕が量子コンピューターを使って出したデータを元に、彼らがイカサマをし、時に友達のように笑い合い、時に仕事の仲間のように真剣に話し合い、時に敵同士のように喧嘩する。しかし、喜怒哀楽を見せ合おうと皆心を通わす事なく、上部だけ仲良くし、心の底ではお互いを警戒していた。いずれ、揉め事が起き、誰かが裏切り、出会ってない二年前の頃の状況に戻るのだと。そして、それが今日なのだ。
「分かった。でも一体どうやって勝負するんだ?いつもみたいにポーカやブラックジャックはできないよ。だって僕らは本当に字の如く素っ裸だからね。何も持ってない」
そう言うと、リーはわざとらしく股間を開き裸であることを証明した。まるで、手品師が「タネも仕掛けもございません」と自分の掌を見せびらかすかのように。
「簡単だよ、今から水を飲むのをやめて誰が最後までこの部屋に居られるかだ」
そう、天井に背をつけながらボブが言うとさっきまで喧嘩していたはずのジョイが遠足のオヤツを先生に聞くように手を挙げて話し始めた。
「先生、始める前に水だけ飲んでいいですか?」
「よろしい」
そう言うと、彼らは足元に用意してあったボンベに手に取りスポーツドリンクを飲み始めた。あいにく目が悪くて彼らが何をしているのか詳しくはわからなかったが、さっき届いたばかりのものではなく、わざわざサウナ室で熱されてお湯と化したのを飲むのは少し違和感を覚えた。
「じゃあ、スタートしよう」
リーの掛け声とともに、男四人の我慢比べが始まった。
………
……
…
しばらくは無言の時間が続いた。
始まって十分を過ぎると、明らかにボブとジョイの様子がおかしくなり始めた。明らかに辛そうなのだ。それを見たリーは彼らを心配するふりをして挑発した。
「おいおい、まだ十分しか経ってないのにどうしたって言うんだ?」
「おかしい、絶対におかしい……頭がクラクラして真夏のアメフトの練習を思い出す……」
「ああ、俺は父の実家に言った時に倒れた時のことを……」
「もしかして、君たち脱水症状を起こしてるんじゃないか?まぁ、それもそのはず十分も水を飲んでいないからね」
と「十分」のところに傍点をつけてそう言った。
「おい、リーお前が言ってたこと……正しいんだよな……」
今にも倒れそうなボブがそう言った。
「ああ、砂漠に行くときには食塩を忘れずにって言っただろう。人は汗とともに塩分が体から出てしまう。だから塩は必要だってね。僕たちが砂漠の訓練をした時だってそうだったじゃないか?」
「ああ、そう……だな」
そう言って、ボブはその場に倒れ込んでしまった。
「おいおい寝るなら外でしてくれ」
そう言って、リーは壁のボタンを押し乗組員を呼んだ
「えっ、なにこれ?どうなってるの」
正常な反応を見せているのはオリビアだけだった。何も知らないはずの僕はというと……なんの感情も湧かなかった。ただ、ボブはリーの何かしらの策……きっと、塩を盛られたのだ。そして彼らが倒れたのは、その塩によって、血中の塩分濃度が高くなり脱水症状を起こしてしまったのだろう。
「くそ、俺も無理だ」
そう言って乗組員が来る前にジョイは無重力空間の中上手い事壁を蹴り、ドアから外にでた。ボブを置いて。
「しかし、全く彼らは根性がないね」
そう、リーは満足げに言った。
「ねぇ、ボブどうなっちゃったの?死んじゃったの?」
「落ち着いてオリビア、ただの熱中症みたいなものだから。すぐに対処すれば大丈夫だよ。きっと、そろそろ……」
西崎の言葉が合図かのように扉が開き、ボブは回収された。
結局のところ僕たちなんていうのはこの程度の関係なのだ。お金に目が眩んで簡単にメンバーを裏切ろうとする、そして裏切られる。
僕は一つ、大きなため息をついてスポーツドリンクを飲んだ。
それは塩辛さよりも甘さの方が強かった。
人数の減ったサウナは、退出した二人分の温度が三人に振り分けられたように熱く、のし掛かっているような気がした。
「なぁ、西崎。さっき聞きそびれたが、お前はここを出たら、何がしたい?」
リーが尖ったナイフを首元に突きつけて生死の選択を迫っているかのように、質問をした。
もし、彼の気にそぐわない答えを出したら、さっきの二人のようにここから追い出され大金を失う。そして、今までと同じくアイツらのためにカジノでイカサマをしなくてはいけなくなってしまう。
そうだった、ここにいるのは今の環境を変えるためだった……のに気がつけばいつもと同じ傍観者気取り……
僕は、熱波と甘いスポーツドリンクを飲み込んだ。
「ああ、そうだな。奴らに払うだけ払ったら、日本に帰るよ。もちろん、今の仕事は嫌いじゃないけど、もう十分なんだ。もともとアメリカに来たのだってほんの僅かな出来心だったしね。自由だとか、外資系の就職だとか、ナイスバディーだとか、そんなしょうもないことに期待してたんだ。確かに、アメリカでは自由だった、酒の飲み過ぎで道端に嘔吐しようが、キスマークを残したまま授業を受けようが、誰もそんなこと気に止めやしなかった。でもそれは自由ではなくて、ただ僕に興味がないだけで、皆興味があるのは量子コンピューターの結果だけ。そんなことに気がつき一人で落ち込むと、また自由に逃げて。そんな、生活を送ってたら、いつしかツケが回ってきて……もう、あの国は散々さ」
「ふん、戯言を。平等を強いられるよりは自由の方がましさ。まぁそんなことはどうでもいい。それで、いくら払えばあのマフィアどもから許してもらえるんだ?」
「五百万ドル。たったそれだけだ!」
そう言って、西崎はベルトを解除し、彼の首目掛けて飛んで行こうとしたが、それよりも先に、リーの隣に座っていたオリビアが着用していたビキニを脱ぎ、彼の首を締めた。
「ぐっ、な、なにすんだよ……」
リーの瞳の中には彼女の瞳から涙が流れる……浮かんでいくのが見えた。
「もう、いやだ!誰かを裏切るぐらいなら、私が……私が!」
そう言ってさらに強く首を絞めたが、リーはそれに対抗すべく彼女の腕を掴んだ。
「テメェー報酬は二人で分けるって行ったじゃないか、それなのに、裏切るのか?」
「やめろ!それ以上したら死ぬぞ」
そう言って彼女の腕と彼の腕を引き剥がし、リーが絞殺されるのを阻止した。リーは何とか死ぬことはなかったが、急激な血圧低下により失神してしまった。西崎はすぐさまリーを外に出し、乗組員を呼ぶボタンを押した。
その後、廊下の方が忙しくなっていたためリーは回収されたようだった。
しかし、サウナ内ではそんなこと気にもせず、いや、オリビアは気にしていられるような状況ではなかった。短時間での仲間の裏切り、そして、自分の裏切り、彼女の精神状態が緊迫されていることは僕にですら理解できた。
「別に気にやむことないさ、君がやらなければ僕がやっていただけの話だから」
「で、でも私……最低なことを……でも、怖くって……でも、みんな大好きだったのに……」
彼女のその発言を聞いて僕は呆れることも同情することもなくただ、見つめているだけだった。何というか、今回のことに関しては彼女自身が悪いのだ。お人好しなのに他人が怖くて、誰かに依存するしか生きることができずにいた、彼女のツケが回ってきたのだ。しかし、後々彼女にとって今日のことはいい機会だったと思えるだろう。この先、今まで通りの生き方を続けていればきっと、今回以上のトラブルに遭うこととなっていたから。
「しかし、よかったのか?あいつらの中で本気の人はいなかったのかい?」
西崎は二人きりになった無重力のサウナ室を悠々自適に飛び回った。さっきまでの緊張感から解放されただけあって、自分の体が軽くなった気がした。
浮かんでいると今の自分たちの状況が客観視できた。真っ裸な男と、上半身裸の女が部屋で二人きり。しかも、サウナと言うこともあって体温は三十八度程度、心臓の鼓動の速さがサウナによるものなのか、恋愛感情からくるものなのかどっちなのか確かめる術はなかった。しかし、先ほどまで裏切りだとか、殺人未遂だとか、鬱屈とした雰囲気だったのにもかかわらず、こう言ったことを考えてしまう現象のことをなんと言ったものか。吊橋効果?ストックホルム症候群?いや、そんなことはどうでもいいのかもしれない。ただ、今はさっきまでのことを忘れて楽になりたかった。
いくら他人に興味を示さない僕ですら先ほどまでの環境は精神的に辛いものがあったからね。
「ねぇ、西崎はどうしてそんなに優しいの?」
オリビアは宙に浮いたビキニを取るために、ベルトを外し浮かび上がった。しかし、浮かぶと思った方向とは違い、西崎に方へと体が誘われて行く。
西崎はオリビアの体を優しく掴み、引き寄せる。
「いいじゃないか、今さらビキニぐらい。僕は気にしないよ」
そう言って、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
彼女とキスをしたのは初めてでは無かったが、一年振りといったところだろう。
そんな、彼女との久し振りのキスで僕あることを思い出した……
「さっき僕が金を手に入れたらマフィアの野郎に払うだけ払って日本に帰るって言っただろ。もしよかったら、君も日本に来ないか?」
オリビアは「五百万ドル必要なんでしょ?」と聞いたが「あれは嘘。本当は百万ドルもない」と返した。
「君と、その……キスをして思い出したんだ。僕がなんであいつらに縛られるようになったのか、利用されるようになったのか。
実は、僕が大学院留学としてアメリカに来たての頃、ある娼婦にお金をつぎ込んだんだよね。それまで、ギャンブルやタバコ、酒にさえ手を出したこともない、絵に描いたような真面目な生き方をしてきた僕がね。きっと、その反動と言ったこともあるけどそれ以上に彼女に惚れていたんだ。日焼けした肌に金色の長くサラサラした髪、青い瞳にはっきりとした眉。まるで外国人と辞書で引いたら出てくるような見た目の女性だったよ。だから、彼女を見たときに、一瞬で思ったよ。ああ、これが僕の求めてきたアメリカだって。もう、親や友達の目とか世間体とか気にせず自由になっていいんだってね」
オリビアは何も言わずに相槌を打った。
「彼女と出会ってからは毎日のように彼女が働いていたバーに通ったものさ。しかし、そこはラスベガスのカジノ事業から追い出されたマフィアが経営していたところでね。もちろん普通に飲んでいればよかったのだけど、まぁ一言でいえばボスの女に手を出したってところかな。彼女はそこでフォークシンガーとして歌っていたんだ。まぁ、今の僕たちみたいに素っ裸なんだけどね。それだから、てっきりボスの女だとは思わなくて声をかけてみたんだ。『君の歌は素晴らしい、こんなところで歌うべきではない』ってね。もちろん初めのうちは、彼女の方もただの酔っ払いの冷やかしだとしか思っていなかったみたいだけど、僕が毎日のように口説くもんだから、バーの終わりに彼女から声を掛けてきて家まで招待してくれるって言ったんだ。だから、ついていったんだけど、そこはもう、何というか家というより廃墟と言った方がしっくりくる場所だった。屋根は所々大きな穴が空いていて道路に面した壁側は爆破されたみたいに粉々になっていて唯一まともなのは二階の書斎と地下の物置だけだった。あまりにも彼女の容姿とは似ても似つかないその家について聞いてみたところ、そこは元々ボスの相談役だった彼女の父親の持家だったらしいんだ。しかし、カジノの件でしくじりこの有様とのことだった。まぁ、彼女も親父の失態のせいでボスの手元に置かれてるってことだったんだ。でも、そんな家を見せられても、僕の彼女への気持ちは収まることはなく、むしろ彼女のために何かしてあげたいと思うようになったんだ。僕は今のアパートを出て彼女の家で暮らすことにしたんだ。水も電気もガスも、何もかも通っていないその家で。確かに暮らしは不自由だったけど、僕の本当に求めていたのはこういう自由だったんだと気づかされたよね。好きな人と好きな場所で、好きな音楽を聞いて歌って。結局のところ僕らはどこに行こうが何をしていようが縛られているんだ。だから、そんな不自由な世界の中で自分の『好き』を集めることが本当の自由なんだってね」
西崎の体は気がつくと自分の席に戻っていた。彼は床に備え付けられたボトルを手にし、スポーツドリンクを飲んだ。それは、甘さより酸味の方が強かった。
「でもね、結局僕たちの暮らしはマフィアのボスにバレてしまって、それを面白くないと思った彼によって壊されてしまったんだ。彼女の家は跡形もなく更地にされ、彼女自身はボスの家へと閉じ込められた。もちろん、さかりのついた僕にとって、そんなこと障害にでもなんにでもないと思っていたんだよ。離れ離れになった後でも、僕たちは彼の目を潜って会っていたんだ。ほんの数時間、数分でも、たった目を合わせるだけでも僕は十分だった……。しかし、あるとき僕を惑わす事が起きたんだ。そう、屋敷からは人もあかりも消え、裏口の鍵が空いていたんだ。つまりは、誘われていたんだ。しかし、そんなことにも気づくことなく、彼女の部屋である二階の角部屋に一目散に向かったんだ
二階に上がり南側がステンドグラスの窓で飾られた廊下を一歩一歩足音に気をつけながら進んで行った。そろりそろりと、息を潜めながら。窓から月明かりが差し込んでいたが僕の影は廊下の影に飲み込まれて確認できなかった。
「ジュディー、ジュディーいるなら返事してくれ」
やっとの思いで辿り着いた彼女の部屋の前で、扉をノックしながら小声でそう言った。
しかし、彼女からの返事は無かった。
仕方なく、僕はドアノブを掴み、ゆっくりとドアを押した。ドアに少し隙間が開くと何かに引っ張られるかのように勢いよくドアが開いた。
そして、僕の目には、彼女の姿が入ってきた。
窓から映る三日月を背後に、天井から首を吊るして死んでいる彼女の姿を。
「やぁ、まっていたよ。西崎君。君にはジュディーがお世話になったよ。でもね、彼女は君でなく家族を選んだ。でもね、本当はねまだ現世でやるべきことがあったんだ。百万ドル。頼んだよ」
僕は振り返えることなく彼の話を聞いた。というよりかは、振り返る気力は無かった……。
その日以降、僕は考えることをやめた。
ただ、彼らの言う金を納め、彼らの言う研究結果を納め、彼らの言う賞をもらった。
せっかく手に入れたはずの光は、空に瞬く星のように綺麗だった。しかし、よく星と飛行機の灯りを間違えることってあるだろ?
そう、それは星ではなく飛行機のナビゲーションライトだったのだ。そして、飛行機の灯りは視界から消え、闇へと飲み込まれていくのだった。
それで、結局オリビアに何が言いたかったのかというと、君とジュディーが似ているってことさ。もちろん、容姿の話だけど。でもそれだから、君に声を掛けたし、君に依存されることを拒まなかたんだよ」
長い昔話を終えると浮いていた僕たちは自分たちの席へと戻り向かい合った。
「いいわよ、地球に帰ったら日本で暮らそ。私も、もう今までの生き方はやめて貴方だけに依存する。それに、二人合わせて二百万ドルもあればもういろんな人に依存する必要もないしね」
そう言って彼女は笑った。僕も気がつけば声を出して笑っていた。
しばらくすると、ドアが開き乗組員の人が「外へ出ろ」と伝えにきた。
その言葉を聞いたとき、暑苦しかったこのサウナ室やマフィアによって鍵を変えられた自分の人生からようやく出られる解放感が体を走った。
「今から、冥王星に降りる。だから、宇宙服を着るんだ」
「僕たちも着るんですか?」
「ああ、お前たちにも降りてもらう」
更衣室に向かいながら乗組員の一人とそう会話をした。
「ああ、そういえばなんで僕たちはサウナに入れられていたんですか?国際宇宙ステイションのときには光速飛行に一般人が対応できるかの実験だと聞かされていたのですが?」
「なんだ、お前西崎だよな?この三時間で何があった?いつもなら、そんなこと気にも止めずにただ言われたことをこなしていたくせに」
捻くれた口調で乗組員はそう言った。
「いや、ちょっと浮かれているんですよ。それで口が達者になっているだけですよ。ああ、あとボブたちはどこにいるんですか?」
そう西崎は聞いたが答えは帰ってこなかった。
更衣室で着替えを済ませ、ヘルメットを持って出口の方へと向かった……
よくよく考えてみれば、ここは宇宙。お金さえ払えば月に行ける時代とはいえ、自分たちのような一般人がこんな太陽圏の端まで来られていることは奇跡とでもいうべきことなのかもしれない。しかし、我々のことは地球上でどのように報道されているのか?ボイジャー十一号冥王星に一般人を連れ着陸?いや、そもそも我々のことは伏せられているのかもしれない。まぁ、今そんなことを気にしていてもしょうがない。なぜなら、この扉が開けばそこは無限に広がる宇宙。きっと今までの人生観など簡単に変えられてしまうのだろう。
「最後に、さっきの質問に答えよう。
彼らは死んだ」
二千五十年冥王星は地球人と異星人との交渉の場となっていた。地球人がスマートフォンやバーチャルリアリティーなどで騒いでいる頃にはすでに、異星人との交流が始まっていたのだ。彼らは地球でしか取れない資源を求めており、我々は宇宙を知ることを求めていた。
そして、その地球でしか手に入らない資源というのが
「これが『アセ』。人間の体内から分泌される不思議な液体です。これを使えばあなた方の傷は一瞬で消えるし、若返ることもできる。まさに不老不死の体を手に入れることができるのです。しかし、この『アセ』はものすごく貴重なものです。特別な部屋で特別な機械がなければ採取することはできません。それに、みてください。今回は三人の被害者が出てしまいました。これはとても悲しいことです。そしてそれなのにも関わらず今回採取できた汗の量はたったのこれだけ」
そういうと、乗組員は十リットル入るバケツに四分の一も入っていない汗を見せた。
「我々の方からはこれを。それで、あなたがは何をくれるのですか?」
彼らの声は直接聞き取れないが、翻訳を通して聞くとどうやら触ると一瞬で人を溶かすことのできる物質らしい。
「なるほど、では今確かめても?」
まさかと思った。
すると、先ほどまでメンバーの死を知らされ暴れていた彼女のヘルメットをとり……気絶している彼女の口を開かせた。そして、そこに縦長に伸ばされたスライムみたいな異星人が物質を入れた。すると……彼女の姿はみるみる、異星人のようにスライみのようにへにゃへにゃ、ぶちょぶちょな物体へと変えられてしまった。僕が慌てて彼女の体に抱きつくと、宇宙服を着ていたのにも関わらず、触れた両腕が彼女みたく宇宙服の中で変えられてしまった。突然のことに驚いた僕は……地面を蹴って空へと浮かんでいった……
目が覚めると、そこは見覚えはなくても体が覚えている場所だった。
それは日本にある実家のそれも自分のベッドの上だった。
「なんだ……悪い夢か……」
しかし、起きあがろうと手で体を押しても起き上がれない。どうしてだ?と思うと……両腕は消えていた。
あれは現実だった。
その日通帳の中を確認するために銀行へ向かうと……七億円が振り込まれていた。
一体、このお金をどのようにして使うのが正解なのだろうか。死んでいったボブやジョイ、リーのため?それともオリビアのためか?
「いいや違う……自分のために使おう」
いくらお金があろうと、何に使おうと人が変われないことぐらい今の自分には理解できた。あのサウナ室でいくら水をもらって汗を流したところで結局メンバーは死んでしまった。
結局は、あの「サウナに入って冥王星に行く」と言った意味不明な環境を、無償でもらっていた水を、疑って自分から行動しなければ何も変わらないのだ……
ああ、どれだけ不自由でもジュディーと一緒にさえいれば幸せだったのに。
宇宙サウナ マグロの鎌 @MAGU16
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