S18D5 奇術師と助手

 銃声にも息遣いがある。


 拳銃の間隔、短機関銃の間隔、二丁拳銃の間隔。音を聞くのではなく、音の途切れ目を聞く。その結果を感覚で読み解く。銃を撃ったのは一人だ。


 扉が開く瞬間に見えたものを撃つ。髪や服から隠れた位置を類推し、目で理解する前に撃つ。人の目は気付いてから反応までに時間差がある。反応する前に着弾する。


 アンノウンの風船が割れた。


 普段は移動マジックで遠くに一瞬だけ姿を見せるための、お世辞にも精巧とは言い難い囮だ。髪はアニメキャラと同じく塊を被せた形で、表情に至ってはほとんど点だけだ。その稚拙さを仮面が隠している。色とシルエットでおおまかな印象が一致したら、よく見るまでは気付けない。


 ちょうど今のように。


「ワタシには懐かしい歓迎だ。感動的だよ」


 仰々しく語りかける。ヒーロー気取りは薄命と相場が決まっている。その理由が目の前にいる。正面の銃口と、左からのゴルフクラブだ。言葉は語り続けて初めて意味を持つ。黙らせられる言葉に力はない。


 確実に息の根を止める。そう考えるから狙いが集中する。


 誰からも狙われない今なら兎田が一方的に動ける。相手側の銃口が本物を逃したと理解し、沈黙を破る前に三発。その手を吹き飛ばして、胴体まで震わせる。


 相互のやり取りには時間がかかる。殺すか生きるか、醤油かソースか、きのこかたけのこか、天動説か地動説か。草の根から学府まであらゆる段階で相手の存在は物事に深みを作る。


 応酬からはみ出した者は自分だけで動く。普段ならば喋りたがりの陰気者でも、生死のやり取りでは一転して優位となる。


 自分の要求だけに集中できるから一方的に通せる。死人と胎児は反論をしない。白票をもって優勢側を追認する。


 銃の男は斃れた。


 そうさせた銃声でゴルフクラブが引っ込んだ。耳からの刺激はすぐに脳に届く。音は光よりも早い。人間に着くまでに引き離しきれない距離では。


「あなたの気持ちがわかった。プレッシャーあるわね、これ」

「何よりだ」


 部屋を見渡す。


 動くものはあと二人、奥のターゲットと手前の巨漢だ。


 巨漢はスリーピースの上着を脱いだ姿に隠し武器はない。獲物はゴルフクラブだけだが、見える肉体がそれ以上に厄介なので、通じる武器も銃だけだ。


 奥にいるターゲット・大谷秀義は動けない。巨漢がゴルフクラブを振る都合で、接近したら互いの動きの邪魔になる。戦いは間合いの管理だ。味方との間合いは敵以上に。


「潰す!」


 巨漢は雄叫びと共に突撃する。体勢は整えられない。観察の余裕はない。咄嗟の判断で動く。咄嗟の判断は事前の準備で決める。


 銃を持つ者にとって全ては的だ。正しい位置に向けて正しく引き金を引けば正しく弾が当たる。まずは的を見つけること。遅れが死に直結するプレッシャーの中でも、可能な限りの早さで、持てる限りの正確さで。


 アンノウンの銃が鳴る。壁に弾痕がつく。


 一歩遅れて兎田の銃も。こちらは当たったが、頭でも心臓でもないから動きはまだ止まらない。


 雄叫びは全力を出すための技術だ。平常時は肉体の酷使を防ぐ安全装置があるが、雄叫びでそれを取り払う。痛覚や生理機能も後回しにして、目の前の敵に勝つための機能に集中している。


 ゴルフクラブがアンノウンを抉った。左の脇腹に一撃、直前に踏み込んで先端だけは避けた。それでも衝撃は大きく、重心が崩れて右腕を床に着く。


 倒れるだけでは終われない。左腕でクラブを掴んだ。少しでも姿勢を崩そうとするが、引かれれば先端が背中を叩く。


「放せ!」


 巨漢の言葉は状況を伝える手だ。大谷秀義が歩いて近づく。シルエットを巨漢に重ねて、歩幅は狭く、右腕と右脚を同時に出す。武術の構えだ。いつ仕掛けても受け止められる。


 すぐに片方だけでも止める。兎田が放つ弾が巨漢を穿うがつ。


 弾丸は柔らかな物体に当たると急激に減速する。亜音速の運動エネルギーを着弾した一人に叩きつける。内臓を破壊し、骨で跳弾し、見た目以上のダメージを与える。


 巨漢は避けられない。心理的には背後の雇用主に当たる可能性で、物理的にはアンノウンが掴んだゴルフクラブで。


 すでに突進の勢いはなく、姿勢を上げるにはひと呼吸が必要で、横隔膜を動かせば傷口が動く。こうなれば巨漢も時間の問題だ。


 残るは大谷秀義のみ。


 あれが死んだらあとは脱出するだけになる。しかし、武器がない。撃ち尽くした。再び撃つには、五発残しの弾倉に入れ替えて、最初の一発を装填する。ただし、その隙があれば。


 大谷秀義は落ち着き払って歩いて間合いを詰めた。他のどの行動へも瞬時に切り替えられる。距離は兎田まで六歩。すなわち、二秒弱。


 兎田は空弾倉を投げた。遅いが顔にあたる軌道で、さらに下がって時間を稼ぐ。二秒でいい。再装填まで。


 が、投げた空弾倉が顔に帰ってきた。庇うしかない。再装填が遠のく。さらに距離を詰めてくる。さらに遠のく。


 諦めて銃で顔を叩きにかかる。


 その手を掴まれた。相手から見て右下へ、兎田から見ると右手を左下へ。抽象的には可動域の外へ。背中に腕はない。大谷秀義の左手は無防備な背中や後頭部に届き、右手が姿勢を制御する。


 これで黙って背中を取られる兎田ではない。勢いを借りて一回転し、裏拳で顔を狙う。


 大谷秀義は武術家で、鍛錬に費やした時間は二人の人生を合わせても届かない。たかだか拳くらい、最小限の動きで避けられる。重心の変化も少ない。


 兎田の反撃は想定済みで、顔を引っ込めた。選択肢を狭めた直後だ。画期的なアイデアはお馴染みのパターンに収斂しゅうれんする。


 単方向の距離のうちには決まらず、双方向の距離に持ち込まれた。こうなれば武器による優位は失われる。一人では勝ち目がない。


 しかし今は、一人ではない。


 もちろんアンノウンは立ち上がれない。左腕はろくに動かないし、右腕ひとつで可能な範囲は知れている。銃は撃てるが狙えない。パンチはもちろん届かない。


 可能性がある。


 数学的には無視して構わないとするような、膨大な中のごく狭い組み合わせが。隕石と雷と宝くじが同時に当たる程度のパターンが。


 アンノウンは奇術師だ。奇術師はサイコロを振らない。振ったように見せかけてお目当ての組み合わせを用意しておく。不可能と言い切れない限り、どんなレアケースでも再現する。隕石が落ちる場所を決めて、雷が落ちる時刻を決めて、宝くじの当選番号を決める。種と仕掛けの用意がある。


 ステッキが突いた。


 乾電池ほどに小さくて、勢いよく伸びる仕掛けがある。右手で軽く握るだけで、ばねと磁石が勢いを作り、本当の姿をお披露目する。


 兎田の裏拳は眼前を通り過ぎるはずだった。


 ステッキは軽く後頭部に触れただけだ。力加減を僅かにずらしただけ。紙一重の攻防ではこの小さな差が決定打になる。


 裏拳がこめかみを揺らした。脳への衝撃を受けると神経の接続が切れて行動不能に陥る。数分で回復するが、銃は拳法より強く、再装填は数分より早い。


 五発の弾丸が大谷秀義の脳を砕いた。

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