第4話 オリオン街の出会い
「アタシのこと手伝ってよ」
雨夜星リセにそう声をかけられたのはもう5年前、高校2年生のころだ。
当時の彼女は、駆け出しの地下アイドルといった感じで、マネージャーやプロデューサーもおらず、小さなライブステージの上で踊っていた。
誰かが公開し著作権を放棄したフリー素材のステージだった。フリー素材と言っても、決してちゃちな作りって訳じゃない。照明設備や舞台の変形ギミックなんかがついていて、上手く使えばそれなりに見応えのあるパフォーマンスを披露することが可能だ。
ただ、似たようなステージを街中で展開してゲリラライブをやっている人はたくさんいる。どうしても量産型のイメージは払拭できない。その中から抜きん出ている人はやはり自分のスタイルに沿ったオーダーメイドのステージを使っている。
ただ、それを用意するには確かな数のファンと、彼らからの投げ銭で得る資金がどうしても必要なのだ。
そんなわけで当時のリセは、ファンもお金もステージもない、どこにでもいる大勢のシンガー志望のう一人でしかなかった。
一方僕はというと、大勢のうちの一人にすらなれないような、あぶれ者だった。
その頃リアルの僕は、家庭環境も学園生活も最悪の状況で、救いを求めてすがりついたのがLDRだった。
ネットで見つけた身分証の偽造方法をマネて成人だと偽り、深夜のネットカフェに入り浸った。店内にあったLDRギアをほとんど専有して、仮想世界へと逃避した。
アルコールの臭気も、頭に振り下ろされる酒瓶も、そんな家庭環境をあざ笑ったり、非常階段の隅で僕を全裸にしようとする同級生もいない。
そんな理想郷がそこに広がっている。そう思っていた。
けど現実世界で色々なものに叩きのめされ、すっかり曲がってしまった僕の根性は、その理想郷にすら受け入れてもらえずにいた。
巨大都市のビル郡を縫うように飛び回っても、雄大な大草原を馬にまたがって疾駆しても、見知らぬ人間といっしょに体感型ゲームを遊んでいても、鬱屈した気持ちが晴れることはない。
それで、少しでも快適な仮想空間ライフを目指し、僕が手に染めたのがAIの違法改造だった。
イメージを何でも具現化できる夢の世界といっても、脳波がそのまま物体になるわけではない。早く走りたいと想像したときの具体的なスピードを算出したり、美味しいケーキを食べたいと願ったときに、生クリームの具体的な糖度を決めたりするサポートAIが必要となる。
大抵のユーザーは運営が提供しているものを使用していたけど、そのAIに少し手を加えれば、自分の想像力の限界を超えたスピードや美味を味わうことができる。
僕は自分が満足できる世界を目指し、AIをいじりまくった。そしてそれをスリルを求めるユーザーに売りさばいたりもした。
無茶なカスタムをしたAIは、それ自体がご法度だ。そんなものを皆が制限なく使えば、仮想世界の秩序は崩壊し、めちゃくちゃになってしまう。だからAIのチューニングは免許制になっているのだ。
卒業し、家を飛び出してからは、リアルでは誰とも会わず、ひたすら闇AI作って食いつなぐという、ド底辺の暮らしを続けていた。
今思うと、僕は誰かに見つけてもらうためにそんなことを繰り返してたのかもしれない。
でも、闇AIを売りさばく僕を最初に見つけたのは、運営のセキュリティチームだった。その日僕は、警察の制服をイメージした青と白のユニフォームをつけた彼らに、追いかけ回されていた。
「直ちに止まりなさい。警告です。違法AIの使用を直ちに止めなければ、アクセス禁止処分とします」
そう言われて止まるはずがない。スキャンガードの改造を施した僕のアバターでも、取り押さえられて直接ガードを解除されればパーソナルIDが割れてしまう。そうしたらこの仮想世界からは永久追放だ。
中世ヨーロッパの街並みをもした、オリオン街と呼ばれるエリア。オレンジ色の屋根の上を僕は全力疾走する。
アクションゲーム用のAIのリミッターを外したもので、ゲームエリア以外でも時速100km以上の高速で走ることが可能だ。
足元の安定しない屋根の上を、権力に追われながら超スピードで走っている。
アクション映画さながらのシチュエーションに僕は思わず酔いしれていた。楽しいと一瞬だけ思う。そしてその一瞬の気の緩みが、僕の運命を変えた。
違法AIを扱う時は、普段以上の集中力を必要とする。少しの油断でも大事故に繋がりかねない。僕はそのタブーを破った。次の瞬間には足を踏み外し、屋根の上から下の広場へと真っ逆さまに落下していった。
「きゃっ!」
女の子の短い悲鳴が聞こえた。しまった、と思ったときには視界の端に青と白のユニフォームが見える。まずい、囲まれる。
僕は逃げ場を探していると。
「こっち!」
悲鳴を上げた女の子が僕の手を掴んだ。えっ? 思わず彼女の顔を見ようとしたとき、周囲の景色が一変し。ヨーロッパ風の街並みは星空が投影された半球状の天井へと変わった。
「大丈夫?」
「えっと、ここは? ていうか君は?」
「あーあ、せっかくのファストトラベルチケット、2枚も無駄にしちゃったよ」
女の子はため息交じりに言う。ファストトラベルチケットとは、ReMage内の好きな所に瞬間移動できる特殊アイテムだ。この世界における最強の交通手段のため、高値で取引されている。
「ここはアタシの家、というかスタジオって感じかな?」
「助けてくれたのか?」
「うん、なんか面白そうなことしてたから、捕まっちゃうのはもったいないなーって思って」
「面白い?」
「街のみんな釘付けだったよ。キミのたちの大捕り物に」
女の子は目を輝かせて言った。奇麗なプラチナブロンドを肩まで伸ばしたデザインのアバター。その白金の髪に光が当たるとその加減でプリズムの反射がきらめく。瞳もその反射と同じく七色の光を放っている。
その大きな瞳と視線を重ねていると、思わず吸い込まれそうにな感覚を覚えた。
自らのイメージがすべてを決めるReMageの世界では、アバターの姿もユーザーの思い思いに設定できる。だからこの世界には美男美女も多いのだけど、この子の美しさはひときわ印象的だった。
「アレって、闇AI……だよね?」
彼女は恐る恐る訪ねてきた。
「まぁね。僕がちょっとだけカスタムを加えたやつ」
「やっぱり! ねえねえ、そういう改造AIってどういうことができるの?」
なんだこいつ? 初対面の相手に馴れ馴れしく訪ねてくる彼女に対して、僕の心に芽生えた感情は、必ずしも明るいものじゃなかった。
それで、少し意地の悪い答えを用意した。
「やっぱ人気なのは、アッチ系かな」
「アッチ系?」
「わかるだろ、性的感度が数千倍まで高めてくれるやつとか。リアルには戻れないって話だよ。セックス専門のAIボットとかも人気だよね。君も試してみる?」
今思うと本当に気持ち悪い。最低のセクハラ。自分で自分を殺したい。
その手の改造AIが人気なのは事実だ。けどそれを初対面の女の子に語るなんてどうかしていた。罵倒されても……いや、その場でセキュリティチームに通報されてもおかしくいない。
ところが……
「なーんだ」
返ってきたのは、心底からがっかりしたような声音だった。
「そんなくだらない事して、追っかけられてたわけ?」
プラチナブロンドの女の子は、怒るわけでも恥ずかしがるわけでもなく、ただ呆れていた。その態度に思わず、僕の感情がざわつく。
「なんだと?」
「はい、これ」
反論する前に、彼女は僕に一枚の紙きれを突き出してきた。そこには数字と半角アルファベットの羅列が二つ並んでいる。
「私の持ってる別アカのIDとパスワード」
「は?」
「セキュリティにあれだけマークされてんだから、もうそのアカウントは使わない方がいいよ。で、バカみたいなAIいじりも、辞めな」
「バ、バカみたいって!」
「エッチなAI作ってニヤニヤなんかしてないで、もっと建設的なことにそのスキル使いなよ。きちんとAI制作の免許取ってさ!」
「……」
あまりに真っ当な正論。
そんなもの常にせせら笑って生きてきた。けど、七色の瞳に見つめながら真っすぐ投げかけられた言葉に、思わず息が詰まる。
「明日の同じ時間、さっきのオリオン街の広場に来てよ、そのアカウントでさ」
そう言うと、少女は白い歯を見せて笑った。
「君を夢中して見せるから! 闇AIなんてどうでも良くなるくらい!」
それが僕とリセの関係の始まりだった。
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