アルバートの手紙

雨上がりの空に、雨上がりの大地。暗い雲はまだすっかりと晴れたわけではないが、時間を経て、透き通る青空がじわじわとその面積を広げていく。黒くしっとりした土の上をカエルが飛び跳ね、元気よく池に飛び込んでいく。虫たちが再び羽を広げて飛び交い、カエルはそれを食べる。小川の流れる音。その脇に広がる、揺れる緑の海。雨を飲みこみ、天へと背伸びする、小さな、小さな花。植物の葉に点々とついた雨粒。砕けるクリスタル。

どこからか、鳥の高い鳴き声が聞こえてくる。音符におさまらない歌。大きくなって、彼にはやっとわかった。音には『ドレミファソラシ』以外にも、たくさんの音程がある。彼は音楽の歴史の本を思い出す。昔むかし、まだ世界のメジャーな音楽が『ドレミファソラシ』で統一されていなかった頃、世界にはあらゆる音程があった。言葉でうまく言い表すことができないそれらの音は、人々の歌声や楽器の演奏の仕方の教授によって、長い間、脈々と受け継がれてきた。分厚い本たちに載っていた文章から学んだことを、彼は詳細に思い出す。本は、場所を超えて知識をもたらす。本は、時を越えて学びをもたらす。時代も国も違う知らない人々、しかし確かにこの大地に足をついて生きていた人々。そんな彼らの見てきたこと、考えてきたことを、本は教えてくれる。彼は貪るように本を読んでは、貪欲に知識をため込んでいく。そして、ペンと紙をたずさえ、居心地の良い書斎に行くと、そこで自身の感じたこと、すべてをインクでぶつけるのだ。まっさらな純白の紙に。黒インクの匂い。

今日も彼は文章を書く。世界への熱い想いを、感動を、忘れないように。あらゆるアルファベットが、すらすらと素早く書かれていく。ペン先が紙の表面に引っかかる、心地よい音。最後の行に、誰がこの文章を書いたかわかるよう、彼は自身のサインを書く。


“アルバート”


R4-B…否、アルバート。

呪いが解けた悪魔の一族は再び、記号的でない名前を持つようになった。はじめはおずおずと名乗る。しかししだいに、喜びに満ちた顔で。

今の彼は、アルバート。大人になった彼は、その大きな翼で世界中を飛びまわる小説家だ。西へ、東へ。自由自在に空を飛行し、各々の地に生きる生命たちの様子をモデルに、みずみずしい文章でキャラクターたちの冒険をつづる。しかし彼には、小説を書く以外に、もう一つの目的がある。彼は世界中の本を読み漁り、ある情報を探している。異世界、異空間に到達するための方法。ロートヴァルに、愛する家族に会いに行くための方法。彼は今日も、探し続けている。


こんにちは!ねぇ、ロートヴァル。今日は、どんな調子?こっちは雨上がりで、虹が架かっているよ。僕は、来る日も来る日も、ロートヴァルに会いに行くための方法を探している。世界中を飛びまわって、ひたすら神話や科学に関する本を読んでいるよ。そうだ、今度ね、僕、新しい小説を出版するんだ!すごいでしょ?僕ももう、立派な大人だよ!…ねぇ、ロートヴァル。僕、すごくあなたに会いたいよ。ゼロさんにも挨拶がしたいな。となりにいるジェイドも一緒の気持ちだよ。すごく寂しいって。ジェイドはあれから、僕やチェシャと一緒に暮らしているよ。あの静かな森の、僕のお家でね。ひとりでに動くお人形さんだから、あまり外出はできないけれど、たまにコートのフードを目深に被って、森の中を僕と散歩するよ。彼は、深緑のふかふかの苔を見るのが好きなんだって。小さな苔って、精一杯生きている感じがして、とっても可愛いんだよ?あ、それから、あの赤いアマリリス。流石にあの一輪はもう昔に枯れちゃったけれど、繰り返し新しく生まれる球根を植え続けて、もう何代目になるかな、今日も元気に植木鉢にしゃんと生えているよ。毎日きちんと水をあげていてね、暖かくなってきたし、きっともうそろそろ、大きな花が咲くんじゃないかな。あっ、もう行かなきゃ!編集者さんがね、早く新しいお話を書けって、急かしてくるんだ。よっぽど僕の新作が楽しみなんだね。それじゃあ!


溢れるほどの愛を込めて! アルバート


追記 そっちの世界にも、虹は架かってる?


アルバートは手紙を書き終えると、それを分厚い本に挟み、ぱたんと閉じる。革製の表紙に金の印字のタイトル。立派な神話の本。お気に入りの本だ。ロートヴァル…メビウスのことがとても詳しく書かれている。挟んだ手紙はあとで、ろうそくの小さな火で燃やすつもりだ。

彼はそっと、焦げ茶色の表紙を撫でる。使い古されてツヤが出始めた、滑らかな革の表紙。書斎の中には、まだ乾かぬインクの匂いが漂っている。彼は静かに深呼吸する。お気に入りの匂いを胸いっぱいに吸いこんだ彼は、となりのジェイドに微笑みかける。

行こう。皆が僕たちを待っている。

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