鏡を見つめて

朝。残念なことに、空は灰色の暗い雲に覆われていて、青空を拝むことはできない。今にも雨が降りそうな薄暗い世界の中で、ふたりはぱちりと目を覚ます。R4-Bは、ううん、と声を上げながら伸びをすると、顔を動かして横のロートヴァルを見る。ロートヴァルは歯を食いしばって、ひどく顔をしかめている。

「いてて…また顔が傷だらけだ」

傷を見て、R4-Bは悲しそうな顔をする。

「眠っている間、すごくうなされていたからね。無意識にまた顔を引っ掻いたんだよ」

ロートヴァルは痛みと自身への苛立ちから、低いうめき声を上げる。

「大丈夫?手当てするよ」

R4-Bはぱっと立ち上がると、ぼさぼさの髪のまま、小走りでかばんのもとへ行く。そして、その中からガーゼと包帯を取り出すと、ロートヴァルのもとへ、とてとてと足音を立てながら走っていく。ロートヴァルは歯を食いしばったままR4-Bを見上げる。

「いや、いい…このくらいなら自分で手当てできる」

「だーめ!僕がやったほうが丁寧だから!」

R4-Bは半ば強引にロートヴァルの手を振り払って手当ての役目を引き受けると、ガーゼと包帯で、静かに彼の顔の傷の止血をしていく。R4-Bは少しだけ、微笑んでしまう。

「なんだか真逆だね、出会ったときと。あのときは僕の傷をロートヴァルが治してくれたけれど、今度は僕がロートヴァルの傷を治してる」

ロートヴァルはただ静かにうつむく。

「恩返しがしたかったんだ、ずっと。文字を教えたり、神殿巡りの旅に出たり、色々したけれど…やっぱりまだ足りなくてさ。せめてこれくらいは、僕にやらせて」

「そんなふうに思わなくても、もう十分すぎるほど恩は返してもらった」

ロートヴァルは、R4-Bの青く丸い両目を見る。深い、深い青。瑠璃の色。

「本当にすまない。俺が不甲斐ないばかりに…」

R4-Bもまた、ロートヴァルのオッドアイを真面目な目で見る。揺るがぬ口調で言う。

「どうして謝るの?ロートヴァルがいつ、不甲斐なかったの?今、ロートヴァルがこんなに苦しんでいるのは、過去ときちんと向き合っている証拠だよ。恥じることじゃない」

「…」

何も言えない。うつむいてしまう。

沈黙の中、手当てが終わる。

宿屋の人がやってきて、囲炉裏に火をつける。小さな火はやがて薪を焦がし、パチパチとはじける音を部屋に響かせる。四角い部屋の温度が上がる。R4-Bには、赤とオレンジの空気が、スカーフのように部屋にひらひらと漂っているように見える。R4-Bは黙って、小さな火に手をかざす。

分厚い雲は未だ、空に居座っているらしい。太陽の温かい光は見えない。


洗面所にて。古い長方形の鏡がひとつ、壁にゆがみ無く付けられている。きちんと丁寧に磨かれているのだろうそれは、一点の曇り無くロートヴァルの顔をうつし出す。日に焼けた肌。真紅の左目と漆黒の右目。真っ黒な左の白目。長いまつ毛。右頬には、赤と黒の化粧。まだふさがっていない、いくつもの痛々しい顔の傷。少しだけ伸びたあごひげ。ロートヴァルは右手であごひげをさする。それはひどくちくちくしていて、彼の指を一生懸命に突き刺す。そして彼は両手を洗面台について、鏡に顔をぐいと近づける。ゼロの顔。懐かしい、とても懐かしい。ロートヴァルは目を閉じる。どこからか、あの花の匂いが漂ってくる。しばらくしたのち、ロートヴァルはそっと目を開ける。これは、愛しい者の顔だ。自分が傷つけてしまった者の顔だ。色褪せていた記憶たちが、次々と鮮やかに色づいていく。花畑…そう、花畑。あそこに行こう。ロートヴァルは再び自分の顔を、去っていった愛しい者の顔を見つめる。そして彼は、静かに決意する。

私は、私だ。私には、やるべきことがある。


「ロートヴァルの方からお花畑に行こうって誘ってくれるだなんて、思ってもみなかった!いったいどうしたの?」

R4-Bは笑顔でたずねてくる。

山の麓の、赤い花の花畑。灰色の暗い空。そよそよと吹く冷たい風に揺れる、赤い可憐な花たち。赤い海の中。

ロートヴァルは優しく微笑む。

「話しておきたいことが…あるんだ」

R4-Bはすぐに真面目な顔になる。

「記憶のこと…?」

「ああ」

ロートヴァルは、悪夢にうなされていた時からは想像もつかないほど、晴れやかな顔をしている。R4-Bは不思議になる。

「今度こそ、思い出したよ。俺の正体」

R4-Bはにっこりして、そっと言う。

「話して…くれる?」

「もちろん」

ロートヴァルは静かに深呼吸する。

「俺は…いや、私は、メビウスだ。メビウスだったんだ」

涼しい風がさっと吹いて、赤い花びらが空に舞う。

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