行方知れず

ふたりで手を繋いで眠った翌朝。光り輝く太陽が祝福するように窓からふたりを照らし、部屋は清々しいほどに明るくなる。窓を少し開けるとカーテンが風に揺れ、冷たく清らかな空気がするりと流れ込んでくる。

ふたりは窓辺のベッドに腰掛け、今までの話をまとめる。

ロートヴァルはおそらく、かつて世界を焼いた神、ゼロである可能性が高いこと。ロートヴァルはそれでも、悪魔の一族であるR4-Bが大好きだということ。しかし、何かうまく言えない違和感が心の中にあるということ。

R4-Bはこれらをメモ帳に書きとめる。

「ねぇ、違和感てなに?どんな感じなの?」

「違和感ってのは、何かを不自然だと感じたり、しっくりこないと察したりしたときの…」

「そうじゃなくて!ロートヴァルが今感じている違和感がどういうものか聞きたいの」

「あ、ああ、それは…うむ、薬草の知識や火事への恐怖といったものがどこから来ているのか、わからないというか。もし俺がゼロだというなら、火事を目にしてあそこまで動転するものだろうかと思ってな。ゼロにとって、炎とは簡単に操れる身近なものなのだろう?」

「それは…言われてみればたしかに」

「薬草の知識も身に覚えがない。思い出そうとしても、薬草のことだけは未だにわからないんだ。なぜお前の火傷を治せたのか」

「むむむ…」

R4-Bはメモ帳を片手に、ロートヴァルとともに首をひねる。しかしそこでR4-Bは、ジェイドの言葉をはたと思い出す。

「“真の記憶”って、どういうこと?」

R4-Bがジェイドにたずねる。

R4-Bは立ち上がって窓のそばに行き、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ジェイドのこたえを待つ。ジェイドは長いまつ毛揺らしてぱちりとまばたきをすると、R4-Bの質問にこたえるべく、彼の方に向き直る。

「はい。ロートヴァル様はまだ、魂の記憶を思い出していないようでございます。思い出したのはおそらく肉体に宿る記憶。それは真の記憶ではないのです」

「肉体の記憶と魂の記憶って違うの?どうしてジェイドには、そんなことがわかるの?」

「わたくしは、実は目がよく見えません。しかしそのかわり、相手の方の本性を見抜くことが得意でありまして。わたくしの見たところによりますと、ロートヴァル様の魂は本来、その肉体に宿るはずではなかったようです。ゆえに、ロートヴァル様の魂の記憶とその肉体に宿る記憶は別のもの。今は肉体の記憶だけを思い出したようでございますから、次は魂の記憶を思い出す必要がありますかと」

「そ、そうなの!?ジェイドすごい!」

しかし次には、R4-Bは真面目な顔になる。

「あれ、じゃあロートヴァルはゼロじゃないの?…ジェイド、もしかしてロートヴァルが本当は誰なのか、もうわかってるの?」

R4-Bがたずねると、ジェイドは困ったような、申し訳なさそうな顔をする。

「いえ、申し訳ありませんが、そこまではわかりません。わたくしにはただ、ロートヴァル様はゼロ様ではない、ということだけしか…」

「そっかぁ…」

R4-Bはがっくりと肩を落とす。しかしジェイドはなお、言葉を紡ぐ。

「きっと、思い出せます。わたくしにはロートヴァル様の強い意志が感じられます。真実が何であれ、おふたりはきっと、こたえにたどり着けます」

「そうなの?」

R4-Bはジェイドを見やり、次に振り向いてロートヴァルを見る。ロートヴァルは腕を組みながら、感心したようにジェイドに言う。

「驚いたな。読心術もできるのか」

ジェイドは優しくふふ、と笑う。

「わたくしは、感じるのでございます。相手の方の気持ちや意思を。目が見えづらいと、その代わりとして他の感覚が研ぎ澄まされるものでございます」

「へぇ!すご〜い!」

R4-Bは幼い子供らしくはしゃぐ。明るく可愛らしい笑い声を立て、ぱちぱちと手を叩く。ロートヴァルはそれを見て微笑むと、さて、と口にする。

「出発するとしよう。俺たちにはまだやるべきことがある」

「うん!」

R4-Bは元気よく返事をすると、かばんを手に取り、その中にうずくまっているチェシャをぎゅ、と抱きしめる。かばんを肩にかけると、こぶしを作って天井へと高くかかげる。

「よし、真の記憶を取り戻しに行こう!」


山の地方のメビウス神殿。そこが次の目的地だ。三人は土を踏みしめ、ひたすらに坂を登っていく。R4-Bの息がどんどん荒くなっていく。はぁ、はぁ。そばにはキイチゴがなっている茂みがあり、点々とした鮮やかな赤色がR4-Bの心を踊らせる。

「ね、ねぇ…少し、はぁ、休憩しない?」

R4-Bはロートヴァルに提案する。ロートヴァルはぜぇぜぇと息をきらしている彼を見てうむ、と頷く。

「そうだな」

三人は坂の途中、道を少し外れたところの草むらに腰を下ろす。

「ロートヴァルもジェイドもずるいや!ふたりとも全然息をきらしてないもん!」

ロートヴァルとジェイドは苦笑する。

「このゼロとやらの丈夫な肉体に感謝だな。おかげで坂もへっちゃらだ」

「わたくしは筋肉を持たないゴーレムでありますので。疲れは感じません」

「むー!」

R4-Bは羨ましそうにふたりを眺める。ロートヴァルはまた考えにふけっているのか、黙って地面を見つめている。R4-Bも考える。今の自分の肉体が神様のものかもしれないだなんて。いったいどんな感じなのかしら?炎は操れるのかな?ロートヴァルは、本当はいったい、何者なんだろう?そして、彼はぼんやりと、旅の終わりに想いを馳せる。ロートヴァルがすべてを思い出したら、旅は終わってしまう。その後はどうなるのだろう?お別れしなきゃいけないのかな?R4-Bは少しだけ、胸が苦しくなる。ずっと、もっとずっと、ロートヴァルと一緒にいたいな。彼は思う。思えば長い間、僕はひとりぼっちだった。寄り添ってくれたのは数年前に出会ったチェシャだけ。お父さんとお母さんはずっと昔に、遠く、虹の向こうへ行ってしまった。近所にアップルパイを作ってくれるおばあちゃんがいるけれど、一緒に暮らしているわけじゃない。長い間…大人からすればほんの短い数年間のことかもしれないけれど、僕にとっては本当に長い間、僕はお家でひとりだったんだ。彼は目をつむる。天使や悪魔にとって、その歴史から神様というものは身近な存在だ。悪魔の僕も、いつか神様と出会うかもしれないと思っていた。それにしても、ずいぶんと予想外な出会い方だけれど。でも…R4-Bは目を開けると、ロートヴァルの横顔を見る。むつかしい顔をして考え込んでいる彼を見てふふ、と微笑むと、彼は立ちあがる。それでも今は、僕はひとりじゃない。


ロートヴァルは考え込む。自分のこの肉体が、ゼロという神のものかもしれないということ。自分はゼロではなかったということ。安心すれば良いのか、不安になれば良いのか、それは今の彼にはわからない。兎にも角にも、自分は自分が思っているほどただ者ではないらしい。神の持ち物だった肉体に己の魂が宿るなど、なんと驚くべきことか。自分がゼロではないかと思ったときもそうだったが、なぜこうも自分は神と接点が多いのか。怖くなってくるほどだ。ロートヴァルは目を伏せ、静かに唸る。ゼロの肉体に宿れるものなど、神の類しか考えられない。そして、ゼロに近しい神はひとりしかいない。命の神・メビウス。しかし…ロートヴァルはしかめっ面をする。

メビウスは「女神」だ。


三人は半時ほどゆっくり休憩すると、再び立ち上がって坂道を歩き出す。美味しそうなキイチゴのなる茂みを横目に、せっせと歩く。

「あのキイチゴ、美味しそうだなぁ」

「勝手に採って食うなよ。行儀が悪いし、虫がいるかもしれん」

「…はぁい。ああ、残念」

R4-Bは少しだけがっかりしながら返事をする。たしかに、勝手に採って食べるのは、ロートヴァルの言うようにお行儀が悪い。虫がいる可能性もおおいにある。こんなに美味しそうなのに!R4-Bはぎゅっと目をつぶり、キイチゴの誘惑を我慢する。

一歩、また一歩と坂を登っていくうちに、木造建築の神殿のてっぺんが見えてくる。

「もう少しだ!」

R4-Bはその光景に元気づけられると、疲れた重い足を精一杯動かし、残りの坂を登る。せっせ、せっせ。

やがて、三人はとうとう、坂の頂上、山のメビウス神殿にたどり着く。

「ついた〜!」

R4-Bははぁはぁと息をきらしながら喜ぶ。

「お疲れさん」

ロートヴァルがR4-Bに向かってにこやかに言う。R4-Bはえへへ、と笑顔を返す。

山の地方のメビウス神殿。荘厳な雰囲気の、木造建築の神殿。山の向こうの東の国から入ってきた建築方法が取り入れられているのか、どことなく異国感のある風貌をしている。三角形の屋根は端っこが反り返っており、入口には“トリイ”と呼ばれるらしい、へんてこな門がある。

ふたりはひとつ深呼吸すると、コートのフードを目深にかぶったジェイドとともに、入口から神殿の中へと静かに入る。

薄暗い。火の灯されたいくつものろうそくたち。すすのにおい。その奥の祭壇にあるのは、木を彫って作られた、なめらかで美しい小さな女性の像。長い髪を風になびかせ、静かに微笑んでいる。

ロートヴァルはその像をじっと見る。まさか、自分が…?しかし何も思い出せない。もっと近づいてよく見てみる。ロートヴァルはあることに気づく。このメビウスをかたどったであろう像には、頭に大きなツノが、左右にそれぞれ一本ずつ生えている。そのシルエットはまるで、そう、まるで火事で気を失ったときに見た夢に出てきた、光り輝く女性のシルエットにそっくりだった。あれは、やはりメビウスだったのか。

この肉体の持ち主であるゼロは、傷ついたメビウスを世界の果ての神殿へと運んだという。おそらく、いや、間違いなく、ジェイドがいた黒い森の神殿だ。ゼロはきっと、眠りについたメビウスを見て、愛する人を失ってしまったと感じたのだろう。永遠の別れではないにしても。…悲しかったろうな。ロートヴァルはその肉体に宿る記憶を思い起こす。ゼロは世界を焼いたあと、かろうじて炎をまぬがれた黒い森に、メビウスを運んだ。そして、即席の固くて冷たいベッドにそっとメビウスを寝かせ…その後のことは、どうしても思い出せない。ゼロも傷を負っていた。ゼロはおそらく、ゼロは、ゼロは…?

ロートヴァルは首をひねる。

ゼロは、どこへ行ったのだろう?

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