第2章 デビュタントボール

第23話 デビュタントボールの準備

 帝国エルシアンのデビュタントボール。

 毎年七月に皇宮で開かれるその催しは、二十歳前後の娘や息子がいる貴族の家庭にとって無関心ではいられないものである。


 通常、女子は十六~十八歳、男子は十八~二十四歳の間のいずれかの年に、この舞踏会にて社交界デビューを果たす。


 地方に拠点を持つ田舎貴族ですらその時ばかりは家門の財力をかけて、特に娘の装いには力を注ぎ、出席した貴族の子弟や親たちを魅了しようとする。相手の決まっていない若者にとって婚活のための第一歩となるのもデビュタントボールだからだ。


 とまあ、人生をかけた舞踏会となるのがデビュタントボールなわけだが、メイにとってはただの見物。そこまで気負って準備するほどのことでもないとたかをくくっていた、さっきまでは……。


「とにかく、帰ったら君に仕えている子たちにデビュタントボールに行くことを告げて準備を協力してもらうように頼むんだ」


 ロージェは助言した

 多分皆慌てふためくだろうが、と、ぼそりとつけくわえながら……。

 

 メイは黙ってうなずいた。


「あと、パートナーは決まっているのか?」

「えっ?」

「エスコートしてくれる相手だよ」

「ああ、それってやっぱり必要?」


 そこからか!


 ロージェは脱力してその場に突っ伏してしまいそうになった。

 

「ルゼリア公爵に頼むんじゃないの?」


 クリスティアンが素直に尋ねた。


「絶対無理!」

「だろうな……」


 メイとロージェが口々に言った。


 ルゼリア公爵は婚約者であるエルベ伯爵令嬢をエスコートするために今回のデビュタントボールに参加する。物語の重要な転換点であるデビュタントボールで、公爵とヒロインであるメリッサ・ド・エルベがちゃんと一緒に参加するかどうか確認したいというのも、メイがデビュタントボールを見学に行く動機の一つである。


 よしんばそれが無くても、報道と違って聖女と公爵の仲は険悪(少なくとも公爵は一方的に嫌っていた)なので、エスコートを頼むなど無理な相談である。


「報道と違ってルゼリア公爵家は聖女に冷淡だよ。公爵がおそらくそうだから使用人たちもそれに倣っているって感じだけどね」


 ロージェがクリスティアンに説明した。


「じゃあ、他にあてはあるの?」

 クリスティアンが聞いた。

「うっ……」

 メイは言葉につまった。


 物語を思い出してみると、デビュタントボールにてアイシャがとある人物と接触しているシーンがあるのだが、その時アイシャは一人だった。

 パーティ自体一人で参加したのか?

 それともエスコートする人間が誰かいたけど、それは物語にとって重要ではなかったので省かれたのか?


 今となってはわからない。


 アイシャはデビュタントボール以前も頻繁にあちこちのパーティに出席していた記述がある。そのアイシャならエスコートの相手の一人や二人簡単に探せるだろうが、この世界に来て六日ほどしか経っていないメイには無理な相談である。


「商会への追加依頼で当日エスコートしてくれる人をお願いしたらいいかな?」

 メイはギリー商会隊員でもある二人に問いかけた。


「いや、そんなことするくらいならロージェにでも頼んだ方がいいよ。追加料金がもったいないだろ」

 クリスティアンが助言した。

「でも、って何だ、でもって!」

 ロージェが不満げに言う。

「皇宮での催しへのエスコートなんて、そんなお高い場所でそつなく上品にふるまえる奴がうちにいると思うか? だったらお前の方がまだましだろう。どうせ護衛で傍についているわけだし」

 クリスティアンが促した。

「いや、おれも社交界には正式に参加したことがないんだがな……」

 でもだの、ましだの、その言われようにロージェは不満を漏らしているが、何かを懸念し躊躇している。

「場の慣れは他の隊員よりはあるだろ」

 クリスティアンがさらに推す。


「あの、ロージェができるならそれで頼みたいけど、何が不都合なの? 衣装とか?」


 二人の会話にメイが割って入った。


「いや、女性と違って男の衣装なら、デビューするわけでもないし、どうとでもなる、問題はそこじゃない」


 ロージェが答えた。


「「問題は?」」


 クリスティアンとメイが首をかしげる。


「クリスティアン、さっき言っていたよな。皇宮には魔法を無効化させる装置が埋まっているって」


「あっ、そういうことか!」


 ロージェの言葉にクリスティアンが何事か気づいたようだ。


「何?」


 メイが尋ねる。


「う~ん、他人が聞いている可能性のある場所ではちょっと……」

 クリスティアンが言いにくそうにした、そして、

「宿に帰るか、そこでなら……」

 

「そうだな、俺たちが使っていた宿に行こうか、ここからそんなに遠くないから」


 メイはロージェとクリスティアンに促され図書館を出て、屋敷から乗ってきた馬車に乗った。


 シャルルリエ南通り三丁目から裏通りを進んだところに、レンガ作りではなく木組みの柱に漆喰の壁でできた三階建ての建物があり、そこで馬車は止まった。


 長期滞在者向けの素泊まり可能の宿『リュネポワソン』。


 少し塗装の禿げた木の扉を押して、三人は中に入った。

 入ってすぐの空間は食堂を兼ねており、昼時より少し早いので客はまだまばらだった。

 

「ロージェじゃないか、久しぶりだね! 今までどこ行ってたんだい?」


 カウンターの奥の厨房から背が低く小太りの中年女性が出てきて声をかけた。


「久しぶり、おばちゃん! 仕事で留守するって言ってただろ」


 ロージェもまた家族のような親しさで返事をした。


「おやま、可愛らしい娘連れてきちゃって! 上に行くのかい?」

「ああ、まあね」

「うちは連れ込み宿じゃないんだけどね」

「そんなんじゃないよ」


「そうかい、ちょいとお嬢ちゃん、変なことされたら大声で叫ぶんだよ。合鍵持ってるからすぐ助けに行くからね」


「だから、違うって言ってるだろ!」


 女性とロージェのかけ合いをメイはぽかんとした表情で聞いていた。


「ごめん、ごめん。上に行こう」


 ロージェが切り上げてメイを二階に案内した。


「今日のおすすめ三人前。出来たら部屋に届けてね」


 クリスティアンが昼食メニューを注文して、二人の後に続いた。

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