第19話 再び皇立図書館へ

 昨日の図書館ではさんざんであった。


 貴族の子弟のくせにやっていることは町のごろつきレベルである。


 図書館を出た後、メイはシャルルリエ通りの紳士服店に向かうつもりだった。しかし、ロージェから言われた。

「男装したら図書館でも騒がれる心配がないというけど、ルゼリア邸から男物の服で図書館まで行くつもりなのか? それともどこか着替える場所でもあるのか?」


 確かに……。


 ルゼリア邸から男物の服を着て出かけたら屋敷の人間に奇異に思われるだろう。

 傍についているメイドさんたちの目を盗んでという事はできそうにないし……。


 だったら馬車の中で移動の途中カーテンを引いて着替えようかな?


 とも考えたが、この世界のドレスは脱ぎ気がめんどくさくて、移動の際にそんな狭いスペースで着替えるのは至難の業。


「女性用のズボンならギルド隊員御用達の店があるよ。デザインは簡素だけど布地自体は貴族が着用してもおかしくないような品質のものも数少ないけどある」

「女性の護衛もいるの?」

「依頼主によっては、護衛対象が女性だから同じく女性の護衛を希望する人もいて、少ないけど居るよ。君は戦う必要がないから薄手の動きやすいものでいいんじゃないか?」


 ロージェが紹介してくれた隊員御用達の店。

 シャルルリエ通り南二丁目から裏道に入ったところ。

 実はそこの数件手前の表通りに近いところにはギリー商会の支社もある。


 店員に相談して、メイは絹と羊毛が混ぜられた平織りのズボンを二着、茶のピンストライプと紺の無地のものを店で裾丈を合わせてもらって購入した。

 同布の帽子もセットで。

 これなら商会の女子社員がたまに着用していると似ているので大丈夫だろう、と、ロージェからもお墨付きをもらった。



 その翌日、メイはドレスの下に昨日購入した女性用のズボンをはいた。裾が出ないように少し折り曲げれば普通にドレスを着用しているだけにしか見えない。そして同じく購入したばかりのマントを羽織る。

 元の世界の時、制服の下に時々体操服を着用して登校していたのを思い出した。

 図書館に向かう馬車の中でメイはひもを使ってドレスの裾を少したくし上げ、マントからは女性用のズボンだけが見えるようにして、髪を一つにまとめ帽子をかぶった。これで遠目からは何となく少年のように見えるだろう。


 再び皇立図書館。

 数多くある部門の中でロージェは「初等教育」の部門に行くことを勧めた。


 この世界のことをまったく知らないのなら、まずおおまかに全体像を知るのが近道なので子供用のわかりやすく書かれた本を使うのがいいだろう、どのみち文字の練習もしなければならないのだから、と。


 軽く屈辱を感じたが彼の言うことも一理ある。

 

 初等教育の部門は十~十五歳くらいの少年と付き添いの大人のグループが何組かいた。夏休みなのでいつもより多いとロージェは言う。


「さて、どうする? 字を覚えるのが先か、それとも、まず読みたい分野の本があるのか?」

 ロージェは聞いてきた。

「じゃあ、文字を教えてくれる?」

 メイは答えた。


 わかった、と、ロージェは言い、子供用の文字学習の教材を取ってきた。

 それは貴族の子弟が家庭で学習する際にもよく使われる本だという。

 

 文字の一覧が書かれたページを開きロージェは説明し始めた。

 この世界、いやこの国だろうか、全部で二十七個の表音文字が存在する。


 アルファベットに似た形だが若干違う。

 ロージェは具体的に各文字の音を発音して教えてくれた。


 たかだか二十七個の文字、覚えるのは正直楽勝。

 日本語をなめてはいけません。

 表音文字が平仮名と片仮名合わせて百近く、漢字という表意文字に至っては何千あるかわからない、それらを駆使して文章をつづっていくのが日本語なのだから。


 しかし、発音と文字の照応はすぐに覚えられても、メイの頭の中にある単語とこの世界で使われている文字で表された音の違いに困惑した。


 例えば「リンゴ」という単語を日本語で書く場合、実際の発音と仮名の表音文字は正確に対応するが、この世界の文字は違う、ちゃんと音通り照応してくれていない。そうかと思えば、銀行でロージェに書いてもらった「メイ・ユタニ」という名前。これはちゃんと発音通りになっている。


 これはどういう事だろう?


 メイは考え、ある仮説に行きついた。


 しかしその仮説が当たっていたとしたら、この世界の文字を読むのはともかく書くのはかなり厄介だ。教えてくれているロージェは最初はあっという間に二十七文字を覚えたメイの記憶力に感心したが、いざ、それを使って単語をつづっていくと、ありえない間違いをすることに首をかしげていた。

 

 二人がそうやって互いに困惑しているところにゆっくりと近づいてくる人がいた。


 肩より少し上に切りそろえたまっすぐな萱色かやいろの髪と藍緑色の眼をしたロージェより一回り細身の男は、彼の後ろに立ち、

「やっぱり、ロージェじゃないか。何やってるんだ?」

 と、親しげに声をかけた。


「クリスティアン」

 ロージェは後ろを振り向いていった。


 誰?

 メイはいぶかった。


「クリスティアン・アベール。友人で、魔導士ギルドに所属したギリー商会の隊員仲間でもある」

 ロージェが紹介し、クリスティアンも初めましてと頭を下げた。

 

「何やっているんだ、こんなところで? 聖女様の護衛はどうしたんだ?」

 クリスティアンが再び尋ねた。

「ああ、今もそうだが」

 ロージェが答える。

「で、聖女様はどこにいるんだ? そこの女の子は誰? もしかして女性隊員も一緒に任務に加わったのかい? けど、見ない顔だね、新人?」

 どうもクリスティアンは目の前にいるメイを「聖女アイシャ」と認識していないようだった。そして目の前にいるメイのことをロージェと一緒に任務にあたっている女子隊員か何かだと勘違いしている。

 ついでにいうと、服でごまかして女性に見えないようにしていたのにバレバレ?


「だから、聖女ならここにいるよ」

 ロージェはメイを示して言った。


「えっ! いや、報じられていた外見によると……」


 やっぱりそこですか。

 それが原因で「聖女アイシャ」に見えないのね。

 まあ、それが普通ですよね。


 メイは大きくため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る