第5話 彫像の貴公子

 二日目である。


 外出用の靴もないし、屋敷内でできることをしようとメイは思った。

 

 まず、テーブルの上に山積みにされている新聞や小冊子に目をとめた。


 文字は日本語の平仮名片仮名および漢字と異なり、アルファベットともちがう独特のものだった。しかし、眼にした瞬間、その文字の読みや意味が一気に頭に入ってきて読めるようになった。


 なんなのだろう?


 頭の中に一気に意味が入ってくる感じ?


 メイはソファーに腰かけ、メイドたちが用意してくれているお茶と菓子を口にしながら、それらに目を通していった。


 新聞は『帝都日報』と称されており、主に皇宮政治や経済にかかわる記事、そして貴族の冠婚葬祭とそれにまつわる人間模様、それをゴシップ雑誌風に記している記事が混在していた。


 小冊子はそれを平民たちの興味を引くようさらに砕けた形で報じられている。


 一番古い日付のものは、皇宮のセナ湖に女性が現れた「奇跡」の記事であった。

 アイシャはおそらく自分に対する評判をこれらのメディアを調べて把握していたのではないだろうか?


 公爵がアイシャに一目ぼれをして、皇宮から彼女を無理やり引き取ったとか。

 彼には婚約者がいて三角関係による争いは避けられないだとか。

 下世話な好奇心を満たしながら思わせぶりな記事が書かれる。

 どこの世界も噂の広げ方は同じようだ。


 他人事なら楽しめるけど、結果を知っているからね。


 だって「婚約者」の方がヒロインなんだから。


 それにしてもお茶と一緒に出されたサブレ、美味しいな。


 サブレとはクッキーの中でもバターの風味が強く、サクサクとした砂のような食感がするものをいう。砂のようにほろほろと崩れる分、かけらがテーブルの上などあちこちに落ちそうなものだが、このサブレ、食べていてもそれが全く落ちずきれいに口の中に入っていく。おかげで飛び散らかった欠片を指ですくって舐めるようなはしたない真似をせずに済んでいる。さすがは公爵家で提供されている優れものである。


 貯まっていた小冊子や新聞に全部目を通すのに小一時間かかった。


 さらにメイは、この世界のことを詳しく知りたい、そのために月並みではあるが、地理や歴史、その他もろもろのことを記した書物を読みたい、と、考えた。


 これほど大きな屋敷である、そういったことが分かりやすく書かれている書籍の一冊や二冊あるのではないか?


 メイドに聞いてみてもよくわからなかったので、この館を取り仕切っている偉い人、つまり執事に聞けばいいと思った。


 ただ、元のアイシャなら知っているであろう執事の顔も名前もメイは知らない。


 メイは部屋を出て屋敷を歩き回り、出会う者に片っ端から執事はどこにいるかを尋ねた。


 声をかけ続けていると廊下の向こうから、背の高い男が歩いてくるのが見えた。


「すいません、執事の方が今どこにいらっしゃるかご存じですか?」


 メイが尋ねた。


「ヴィンターに何の用ですか?」


 丁寧だが突き放したような返事が返ってきた。


 ヴィンター?


 執事の名はヴィンターというのか。えっ、呼び捨て…。


 よく見るとその男は、今までに見た屋敷の人間の誰よりも上等そうな衣服をまとい、すっと伸びた背筋は長身の身体を一層高く見せ、上からの威圧感を感じさせた。


 もしかして物語の男主人公のルゼリア公爵さま?


 小説がコミック化されたのにメイは目を通したことがある。


 公爵は絶世の美男子設定だったが、なるほど、三次元に変換すると、ギリシャ神話を模した彫刻が服着て歩いているようになるのか。

 無表情のまま見下ろしてくるから、よけいに彫像ぽくみえるのだけど…。


「えっと、ルゼリア公爵さまですよね」


 確認したかったので、メイはおずおずと声をかけた。


「公爵さまなどと親しげに呼んでいただきたくはないものです。閣下と呼ぶようにと、いったい何度言えば…」


 公爵はため息をつく。


 メイとしては最大限に敬意を表した言葉遣いのつもりだったけど、これでも親しげに言うなと文句言われるのか。


 そういえば物語の中でアイシャも同じようなことを注意されていたような…。


 うっかりしていた。


 だけど「閣下」なんて呼称、元いた世界じゃメイは、自称悪魔のタレントに使われているのしか聞いたことなかった。


「あの、ルゼリア家にある書物をできれば拝見したいのですが」

 おずおずとメイは言った。

「我が家が所蔵している書物を、なぜ?」

 なんか余計に怒らせている感じがする。メイは訳が分からない。

「え~と、あの…」

 メイは口ごもった。

「下賤なものは恥の概念に乏しいから困る。よしんば、本当に書物に興味があるだけなのだとしても、あなたはただの客人で、我が家の図書室にあなたを入れるほど信頼を置いているわけではありません。」 

 公爵はそれだけ言い捨てるとメイからさっさと離れていった。


 本を借りたいと言っただけで、下賤とか恥とか信頼とか、意味がわからない。


 初対面からここまで気分の悪い態度を示してくるイケメンも珍しい、イケメンでなくても珍しい。


 メイはこれでもかなりの読書家である。


 身体が丈夫でなかった分、そちらの方に興味がむいた。

 活字と言えば、とりあえず目を通さねば気が済まないタチ。

 フィクションからノンフィクション、一般教養の類からオタク的なジャンルまで、広く浅くではあるが、それなりに網羅する知識を有するようになっている。


 本を読みたいと言っただけなのにあの言われよう。

 やっぱりさっさと出ていくに限る。


 メイはアイシャの、つまり今は自分の部屋に戻り、クロゼットルームで換金可能なブツを探すことにした。


 もし本物のアイシャが帰ってきたら、とか、いろいろ状況を想定して考えたりもし、アイシャの私物を処分するのはためらわれたが、腹をたてさせられたせいで背に腹は代えられないという気分になってもいた。


 装身具を引き出しから取り出しまず、一番大きな箱を開いた。


 大粒のオーバル状のブラックダイヤモンドを小粒のホワイトダイヤモンドが花びらのように囲んだネックレスとイヤリングのセットである。


 箱を開いてしげしげと眺めたが、あまりにも立派すぎ。

 メイ自身が売って現金にするのもはばかられ、再び元あった場所に置いた。


 ほどほどに立派なものの方がいい。


 その後アクアマリンのブローチなど、5つほど手ごろそうなものを選び出した。


 次の一日もそうやってクローゼットルームをあさっては、やはり本当のアイシャが帰ってきた時を心配したり、背に腹理論で思い直したり、ぐるぐると思考を巡らせながら過ごした。

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