第10話 旦那様ってすごいです

 ローブをまとった王宮魔法使いが長い長い呪文詠唱を終えて、術具を青空にかざす。すると雲一つない青空からすごい勢いで雨が降り注ぐ……運動場一枚程度の限られた面積の地面に向けて。


 その向こうでは巨大な砂山に向かって呪文を詠唱している女性がいる。その砂山の幅が徐々に狭まり、中央の高さはどんどん高くなる。詠唱が止まった時、女性の前には見上げてもその先端がわからないほど高い砂の塔がそそり立っていた。彼女がふうっと息を吐くと、砂の塔は支えを失ったかのように崩れ去る。


「ふあっ、すごいです! これがアルスフェルトの誇る水魔法と、土魔法なのですね!」


 魔法演習場の見学席に陣取ったリュシエンヌは、興奮しきりである。ローゼルトにも魔法使いは多いが火魔法一辺倒であったし、劣等生の彼女にわざわざ上級魔法を見せてくれる者もいなかったのだから。


 砂の塔から戻ってきた女性は、魔力を目一杯使ったらしく、顔色が紙のように白い。その肩も大きく上下に揺れている。


「ああ、久しぶりに大きい技を使うと、厳しいわね」


 その姿を見て、周囲の魔法使いたちがすうっと道を開け、頭を垂れる。その女性はリュシエンヌが昨日晩餐で向かい合っていた人……この国の王妃であったのだから。


「王妃様! 感動しました、あんなことができるなんて! では、失礼いたします」


 駆け寄ったリュシエンヌが、王妃の白い手を、自らの手でふわりと包み込む。


「いかがでしょうか?」

「ああ、何か暖かいものが流れ込んでくるわね、これは気持ちいいわ……」

「では、失礼して……これならいかがでしょう?」


 そう言って、王妃の身体を、胸にぎゅっと抱き締めるリュシエンヌ。栄養不足で不健康に細い手足が痛々しいが、上背は王妃よりわずか高い。


「うわあ……これは来たわって感じね! 全身から魔力が染みてくるわ!」


 そして一分ほど。王妃の身体を解放した彼女は、王妃に問う。


「魔力は、どのくらい貯まっていますか?」

「うん、かなりだと思うけど……あら?」

「どうなさいましたか?」

「……満杯だわ。こんなことって……自然回復だと、三日はかかるのに」

「やりましたっ! お役に立てました!」


 うきうきとガッツポーズのようなことをやっているリュシエンヌを見て、王妃はつぶやく。


「こんなものすごい最終兵器の価値にローゼルトは気付かず、うちに贈ってくれたわけね。後で返せって言ってこないといいけれど」

「ええ、母上。絶対に返しませんよ」


 碧色の瞳に強い光を浮かべて、マクシミリアンが応える。


「う~ん、王妃様やディアナ様に魔力を差し上げるときは、ゆっくりじわっと染みていく感じで、何の違和感もないのですけど……マックス様に魔力を抜いて頂いている時とは感覚が違うのですよね」

「え、マックスにも魔力を渡してるの?」

「ええ、私が魔力過多にならないように、何回も。だけどなんだか無理やり広げられて引っこ抜かれるというか。痛いとかじゃないんですけど、ちょっと苦しいというか……」


 驚く王妃に、何か変なことを言っただろうかと怪訝な思いで応えるリュシエンヌ。王妃はため息をついて、傍らの息子に説教を始める。


「マックス、あなた、がっつきすぎよ。そんな速度で魔力を抜くのは婚姻後にしなさい……まあ婚約しているのだし、早く契りを結んでしまえばいいのに」

「いや、リュシーの魔力が美味しすぎて、つい欲張ってしまうというか。契りうんぬんは、もう少し先になりそうなので」


 何のことだか理解できていないリュシエンヌが尋ねると、王妃が丁寧に説明してくれた。


「あのね、男女の魔力は異質だから、普通はごくゆっくりしかやりとりできない……だからたくさん抜かれると苦しいの。だけど、大人の関係を結んだ二人なら、いくらでも魔力を共有できるのよ。だからリュシーが妃になったら、マックスは後継者レースを圧勝してしまうでしょう。なにしろマックスの魔法は誰より強力だけれど、魔力食いで一日一発しか撃てないものね」


 いきなり生々しい話になって、頬を紅に染めるリュシエンヌだが、少し嬉しくもある。自分が妃になれば、マクシミリアンが存分に腕を振るうために、この使い道のなかった魔力を活かしてくれるのだと。


「マックス、未来の妃に見せてあげなさい。あなたの本当の力を」


 マクシミリアンが演習場の責任者に何かささやくと、あちこちに散らばっていた人影が、すべて消えた。二十ほど数える間何かを念じていたらしい彼が、無人になった大地に向かいその手をかざし、短く唱えた。


「氷の槍よ、貫け」


 その瞬間、上空で数えきれないきらめきが生まれたように見えた。そのきらめきは瞬く間に降ってきて、次々地面に突き刺さった。地に突き立って一帯を白く染めているそれをよく見れば、それは千本をゆうに超える、長大な氷の槍。こんな魔法を使えば、一撃でも戦の趨勢を変えることができるだろう。この旦那様はすごい、この人を支えたいという想いが湧き上がってきて、止まらない。


「凄いわね、以前に見たものより、槍が倍くらいに増えているんじゃないかしら?」

「今までは、魔力が切れないよう余裕をもって撃っていたのですよ。リュシーが近くに居れば、その心配をしなくていいので全力を出せますから」


 王妃と話しながらも、居合わせた高位魔法使いの賞賛に軽く手を上げて応える王子は、今日も文句なくかっこいい。そんな感想を抱きつつ見惚れていたリュシエンヌは、この男が次にすることへの警戒を、全くしていなかった。


「ひゃうん!」


 いきなり抱き締められて不意打ちで魔力を一気に抜かれ、またあられもない悲鳴を上げてしまう彼女なのだった。


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