2.幼なじみをやさしく抱きしめた
「あ。久しぶりじゃん。ちょっと彼のことで相談……いいかな?」
沙那に初彼氏ができてから3か月が経った、12月。しんしんと雪が降る帰り道、たまたま沙那に会った。報告を受けたぶりの再会。
「……」
沙那の姿を見て、俺は驚いてしまう。俺たちの家は自転車で10分ぐらいなので出くわすのは驚くようなことじゃない。
じゃあ何に驚いているかというと……。
「きっと、良くない相談なんだろうな」
――あんなに天真爛漫だった沙那の笑顔が、暗くどんよりと曇っていたこと。
なにかに怯えているような、ひきつった笑顔。10年以上知り合いだが、こんな顔は見たことがない。どうしたんだよ。
「良くない……ことなのかなぁ」
「沙那の様子を見る限りは、ね」
「簡単に言うと、櫂斗くんが最近おかしいんだ。これからどうしたらいいかわからなくなっちゃった」
付き合って3か月って1番楽しいぐらいなんじゃ?
高校生ってもう子どもじゃない。遠出をしたり、キスをしたり……ちょっとエッチなこともしたり。関係が深まってきて、でも飽きもなくて。どんな愛情表現でもできて、何をしても新鮮で楽しい。
そんな時期じゃないの? 知らんけど。(童貞だもんな)
「ちょっと長くなっちゃうけど、いい?」
沙那はぽつぽつと話し出す。
聞く限り、沙那の彼氏――
沙那の希望は全無視で、デートコースは勝手に決められる。
甘えようとしても不愛想に、つまんなそうにあしらわれる。
ラインだって1日に数回しか返してくれない。
「…………」
これだけならまだ倦怠期なのかな、とギリギリ擁護できなくもない。まあ十分キモいけど。
俺のはらわたが煮えくり返ったのはここから。
恥ずかしいとイヤがっても、外でお尻や胸をベタベタ触られること。
家に行ったとき、強引にベッドの上に押し倒されて下着の中に手を入れられそうになったこと。
それをスマホで撮ろうとされたこと。
そして――。
「あと、最近はお金もよく貸してって言われるんだよね」
「……」
「ほら、うちってお金持ちなほうではあるし……さ」
「……確かに、沙那の父さんは外資系コンサルで働いてる。けど……けど」
ギリリと歯を食いしばる。
俺はブチギレていた。
「沙那。別れたほうがいいんじゃない?」
「えっ……」
「沙那が選んだ彼氏さんを悪くは言いたくないけどさ、こんなのおかしいよ。クソ男じゃないか」
……知らない男に、かけがえのない大事な幼なじみが汚された。沙那のほがらかな笑顔が奪われた。こんなの、俺からして黙っていられるはずがない。
「で、でも……」
「なにを迷うことがあるのさ。沙那だってイヤだから相談してきたんだろ?」
「もちろんイヤだなって思うこともあるよ。けど……」
目を泳がせて、震えた声で必死に言葉を絞り出す沙那。
「……櫂斗くんは、私が初めて好きになった男の子だもん」
「……」
絶句。
「前も言ったけど、根はしっかりしてていい人なんだ。付き合いたてはめっちゃ優しかったし」
「……沙那?」
「だから今はたまたま、ちょっと乱れちゃってる時期なだけだよ。そうそう。櫂斗くんが悪い人なわけないよ」
まるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
……沙那は騙されてる。そう思った。
「恋ってそういうものだよね? 辛いときこそ、彼女の私が支えてあげないとなんだよね?」
そう、沙那はウブな女の子だから恋愛についてこんなに疎い。
はっきり言おう、間違えてる。
最初は甘い蜜で釣っておいて、いざ魚が釣れたらエサはやらない。典型的クソ男のやり口。
こんなの優しくもなんともない。後から利益を得るために、優しさらしきものを『投資』していただけ。
沙那みたいな可愛い女の子を、思い通り無茶苦茶にしたい。
猿みたいな性欲を、沙那で発散させたい。気持ちよくなりたい。
……あわよくば、お金もたかりたい。
そんなところだろう。クソ野郎め。
「……あれ。ちょっと愚痴ったら、すっきりしてきたかも」
「……」
「ごめんね、私グズだからうじうじ悩んでばっかりで。でも、話してるうちに自分のやらなきゃいけないことに気づいた気がする」
大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら、軽く狂ったような目で沙那が言う。
――「私、こんな彼女じゃダメだよね。櫂斗くんに、もっともっと尽くさないと……!」
「許せない……」
怒りの矛先はもちろん桐龍。
だって沙那、彼氏ができたって言ったときあんなに嬉しそうだったじゃん。なのに今はこんなに痛々しい作り笑いで。
行く末なんて決まってる。これだけの仕打ちを平然としてしまえる桐龍は根っからクソ男で、これからも態度を改めることなんてないだろう。
でも沙那は、来るはずのない明るい未来を夢見て縛られている。身動きが取れず、都合のいいように搾取されるだけ。もはや洗脳に近い。
桐龍は沙那の初恋、そして女の子としての大事なものをぜんぶ蹂躙した。沙那のウブな心につけこんで。悪魔め……。
「沙那」
怒りまじりの声がおもむろに出る。
「ぐすっ……。えっ……、どう……したの?」
「今、男がらみで色々と大変だよな。疲れてるよな」
「う、うん……」
唐突に話し出した俺を、沙那がリスのような澄んだ瞳で見る。
今から、俺がやろうとしていること。それはもしかしたら道徳的に間違っているのかも。
でももう我慢なんてできなくて。
沙那を守りたい。救いたい。元気を取り戻して欲しい。そんな衝動に突き動かされるように、近づいていく。一歩、二歩と薄く積もった雪を踏みしめて。
「だから、その……イヤだったら言って」
「え、なにを……わわわっ!」
「桐龍なんかといるぐらいなら……俺といるほうが幸せだと思う」
――ぎゅうっと優しく、沙那の身体を抱きしめた。
熱くなった沙那の体温が、肌ごしに伝わってくる。
なにキザなこと言ってんだ。少なくとも童貞が許されるレベルの発言は越えてる。
――でも、とにかく沙那を呪縛から解き放ちたかった。その一心。
だって沙那は……。
「1番昔からの……大切な友達だもん。ほっとけないよ……」
「……っ!」
「俺、しょんぼりした沙那は見てられないんだ……っ!」
腕越しにのぞく沙那の顔がポーっと赤くなる。鼻息が「ハァハァ」と荒くなって、瞳が動揺でゆらゆらうごめく。
「ほ、ホントにイヤだったら……言って。突き放して」
一応とはいえ、沙那には彼氏がいる。しかもまだ桐龍のことも少なからず好き。……そんな女の子を、別の男が抱きしめる。見方によっては不貞行為、略奪だ。
これで幻滅されてもかまわない。嫌われてもかまわない。
俺は……身を挺した賭けをした。
「…………じゃないよ」
「え?」
沙那が俺の耳元に顔を動かして、ボソっとささやく。羽音ぐらい小さくて聞き取れない。
でも。
――俺の背に回された腕が、ねっとりと甘えるように胴体に絡みついてくる。
それこそ、沙那の答えだった。
「…………ヤじゃ……ないよ」
そして沙那は、弱々しく、されど強い意志を持って――。
「みっちー……、私を助けて……っ。私のそばにいて……っ!」
真っ赤に染め上げた頬、いたいけな上目遣い。すがるように俺に言ってきた。
「ね、ねぇ……」
「なに?」
「こ、こんなことされたら、その、しゅ……」
「しゅ」
「しゅ、しゅきになっちゃうかも……」
……そんな弱みにつけこむようなことするかよ。むしろ逆。沙那のためを思って抱きしめたつもりではあるから。
「ちょっろ。そんなんだから地雷男を踏んじゃうんじゃないの~?」
「……ひ、ひっど! じょ~だんだからっ! いまさらみっちーと男の子と女の子の感じになるわけないじゃん!」
照れを隠すように目をぎゅうっとつむりながら言ったのち、沙那は――。
「でも、ありがと。これから、ちょ~~っとお世話になりますね?」
ぎゅうっと、俺をさらに強く抱きしめ返した。
「……うん、俺なんかでよければ」
「元気になるまで当分は甘えさせてほしいなぁ。みっちーにい〜っぱいひっついて、い〜っぱい遊ぶの!」
「いいよ。気の紛らわしぐらいはしてあげられる」
「ぽ、ぽ……っ」
雪降る冬の日。
当たり前のように仲良くしていた幼なじみと、少し特別な関係になった。
そして、沙那を守る以外にやらなきゃいけないことはもう一つ。
「桐龍、お前だけはマジで許さない。沙那をこんなにしやがって……、待ってろ。この苦しみを何十倍にもして仕返ししてやるよ」
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