隻眼の王

白銀隼斗

第1話

 血と血が交わり悲鳴のあがる戦乱の世。凍えるような冬の最中に少し大きな諍いが起こっていた。

 西、一条軍。東、西城軍。元々仲の悪い当主で日々の鬱憤が溜まり切っていた。それが今回、一条側からの侮辱で爆発し、合戦へと発展した。

 互いの大将は頬を赤く染め、閻魔のように眼を吊り上げている。負けては何を言われるか、兵達の緊張は最高潮に達していた。その時。

 大将の元に兵の一人が転がり込んできた。やけに慌てた様子で、甲冑を鳴らしながら身を乗り出した。

「なにごとだ」

 兵は傾いた兜を正す事をせず、片膝をつきながら声を張った。それは裏返っていて、緊張感を刺激した。

「中央に謎の人物が出現! 黒い着流し姿で、背は六尺程! 髪はざんばらで牢人と思われます!」

 然し内容は意外と軽いものだった。大将はなんだとほっとしたと同時、なぜそんな事で慌てる必要があると怒鳴りながら立ち上がった。兵は狼狽えて尻もちをついた。

「そ、それが……」

 言葉を紡ごうとする兵に対し、大将は「もういい!」と言って歩きだした。周囲の重臣が止めようとする。だがそれ以上に必死だったのは彼だ。主に対して脚を掴んだ。

「なりませぬ!」

「なぜだ! ただの狼藉者だろう! 儂自ら追い返してくれる!」

 ぐっと足を持ち上げるが、兵は両手で掴んだ。老いた家臣が一人、彼の甲冑を掴んでひっぺ剝がそうとした。

「異様なのでございます! その者は異様なのでございます!」

 声を荒げ、必死に当主を引き止めようとする。然し家臣の方が強く、あっと手が離れてしまった。当主は槍を寄越すよう言って、一本の長い槍を掲げて去っていった。

 空が曇り、冷たい風が吹く。広く平坦な地の中心に、一人の男が立っていた。黒い着流しの袖を揺らし、曇り空を見上げる。

 長い前髪がはけて、異形の左眼が見えた。

「今度は、なんだ」

 低く冷淡な声が小さく鳴った。


 名も無き坊主は一つの村に留まっていた。錫杖を片手に困った表情をする。眼前には老婆が一人いて、周囲には赤子を抱いた女や大柄な男が彼を見ていた。

「この通りでごぜえます」

 老婆は枯れた両手をすり合わせ、何度も何度も頭をさげた。名も無き坊主はとても法力の高い僧侶で、まだ三十前後だと言うのにかなりの妖怪を退治してきた。彼はややあって大きく溜息を吐いた。

「わかりました。あと一日、ここにおりましょう。然しそれ以降はこの村を去ります。寺に七つか八つの娘を置いてきているので、あまり長居は出来ないのです」

 なるべく優しい声で答えた。老婆は崩れるように安堵し、周囲の村人もほっと胸を撫でおろした。

 坊主はとある村に妖怪退治を頼まれやってきた。寺に残した娘は、彼が従えているくのいちに世話を任せた。然し本命をやってしまったあと、村長含めてみなに「暫くのあいだでいいから、村にいてほしい」とせがまれた。

「参ったな。札も貼ったし浄化もしたから、妖怪なんてこの先うん十年と来ないのに」

 彼にあてがわれた部屋の隅で肩を落とした。然しそれらを言ったところで、何も手立てがない彼らは安心出来ない。何せこの村に巣食っていた妖怪はかなり強力で、十年以上も病や不作で責め立てられていた。今更札の一枚や二枚如きで安心出来る方がおかしいのかも知れない。

「……それにしても、今年は比較的平和だ。なあ?」

 縁側で腕を後ろに突っぱねた。大きく呼びかけると後ろですたっと音がした。おりてきたのは、農夫の恰好をした小汚い男。片膝をついたまま口を開いた。

「このまま、太平の世になると良いですね」

 淡々とした声に坊主は振り向き、そしてぷっと吹き出して笑った。

「おめえ、なんだその口調は。何か悪いものでも食ったか」

 身体の向きを変え、胡坐をかきなおした。男はややあって笑い、いやあと言いながら姿勢を崩した。

「一回やってみたかったんでい。こういうの」

 へへへとどこか恥ずかしそうに笑う。坊主は「やめろ。気色が悪い」と辛辣に言い、空を見上げた。どこか遠くの方でトンビが鳴いている。

「それで、わざわざ近くに寄ってきたって事は何か話があるんだろう」

 男は彼の従える忍びの一人で、普段は農民として適当な村で生活している。彼の過去を知るのはくのいちとこの男、そして羽柴秀吉だけだ。

「話というか、半分噂に近いもんなんだがな……」

 横に座り直して話し出した。

 一条と西城がとうとう戦をおっぱじめたというのは彼も知っている。合戦には強い陰の気が貯まりやすいから、戦の類はなるべく耳に入れているのだ。

 然し緊張状態のなか、戦場となるはずの平野の中心に妙な男が現れたと知らせが入った。それは黒い着流しを着た六尺もの大男で、月代ではなく短いざんばら髪のような容姿をしていた。刀は佩いておらず甲冑も着ていない、知らせを聞いた一条側の総大将が自ら追い出しに行った。

「そん時一条は槍を持ってった。いざとなれば一方的に突けるからだ。刀でやるより安全だろうな」

 こちらに背を向ける男は細身で、ひょろりとした印象を受けたらしい。一条はおいと大きく、怒鳴るように声をかけた。然し男は振り向くどころか、一切反応を示さなかった。

「西城の事で気が立ってたから、一条は槍を構えたんだ」

 戦を邪魔するなら殺すと脅して様子を見ていた。然し一つも反応を寄越さない、一条はとうとう痺れを切らしてざっと地面を蹴った。

 一気に駆け、槍を握る手に力を入れた。男の左胸を目掛けて切先を突き出した。

「然しそいつは防いだのさ。刀も槍も持ってねえ野郎が。何で防いだと思う?」

「単に腰に持っていなかっただけで、懐刀を忍ばせていたんだろうよ」

 忍びの男はゆっくりとかぶりを振った。その神妙な眼つきに坊主は眉根を寄せる。男は続けた。

「一条が言うに、そいつは“背中から黒い腕を生やして、素手で槍の頭を掴んだんだ。”その時着物の上がはだけて、全身に巡る妙な刺青と何本もある傷痕が見えた。然も背中には龍の絵があったと」

 熱弁する男に坊主は眉間の皺を更に深くした。

「それが本当なら妖怪の類じゃねえか。なぜもっと話が大きくならない」

 人型の妖怪となればかなり強力、一夜にして噂が広まるはずだ。鬼の類がそうなのだから。

「どうやら一条が口止めをしてるらしい」

「なんのために」

「それは知らねえが、どうやら捕まえたらしいぜ」

 にっと忍びの口角があがった。

「“その鬼を”」

 城の地下牢にそれは繋がれていた。蝋燭の僅かな灯りに鎖が光り、ぼんやりと輪郭を現わす。

「おい」

 槍を片手に持った男が冷たく声をかけた。顔をあげたので鎖が鳴る。真っ赤な瞳が薄闇に光った。男はその様子に身震いをしつつ、なるべく高圧的な態度で言葉を紡いだ。

「名のある坊様が来る。暴れなければ退治はしないそうだ。大人しくしておけよ」

 声の節々が震えている。それは一つ瞬きをしただけだ。男は固唾を飲み込み、その場から立ち去った。ややあって複数人の足音が近づいてくる。

「あれが、先日捕らえた鬼でございます」

 やって来たのは三十前後の若い僧侶と、それなりの身なりをした男。赤い瞳をあげて坊主を見た。ふっと眼が合う。

「一人にさせて頂けませんか」

 静かな声が反響する。案内人の男は鬼と僧侶を交互に見て、渋々引き下がった。一つの足音が小さくなってゆく。

 名も無き坊主は唾を飲み込んだ。錫杖を置き、格子の前で片膝をついた。

「あなた様は、“神仏の類”でございますね?」

 緊張した面持ちに鬼は口を開いた。

「我は、閻魔大王だ」

 坊主は鍵をこじ開けるとなかに入り、閻魔大王と名乗った男の拘束を解いた。項垂れた鎖が左右に揺れる。男は自身の手首を軽く擦った。

「詳しい話は後に致しましょう。まずはここから出るべきだ」

 腰をあげて見渡した。他に出られるような隙間も穴もなし、表から出る以外に方法はない。

「……なぜ分かった」

 落ち着いた声音に坊主は一瞥をやり、壁を触った。

「……少々慣れておりまして、眼が合った時点で判るのでございます」

「だとしても判断が早いな」

 男は飄々とした表情で牢から出た。火の灯りがよくおりて、彼の顔立ちがよく見えた。名も無き坊主もかなり大柄な体格だが、それ以上に背が高く威圧感があった。

「判断が早い事に定評がございまして。一先ずわたしの術であなた様を隠しましょう。さすれば何事もなく城から出られる」

 振り向いて答えた。

「だがお前さんが来た後に我が消えたら、怪しまれるのはお前さんだぞ」

 坊主は笑った。強気で、とても僧侶とは思えない笑みだった。

「その時は、暴れたので退治をしたと言えばよいのです。すればわたしの評判は更にあがり、あなた様は追われる事もない」

 その答えに閻魔大王は軽く口角を引いた。

 言った通りに彼の姿を消し、坊主は何事もなく城を出た。途中呼び止められたので、「事が終わりましたので、失礼いたします」と眼を伏せて立ち去った。

 近場に古い小屋があるのを知っているので、一先ずそこへ立ち寄った。土埃が酷くとても長居出来る空間ではないが、次をどうするか話し合うぐらいには使えた。

「それで、あなた様は閻魔様なのですね?」

 錫杖がりんと鳴る。すきま風が流れて皮膚の先が冷えた。

「ああ」

 坊主は顎を触って眼を逸らした。

「そう、でございますか……」

 思い悩むような仕草に問いかけた。

「何か不都合でもあるのか」

 続けてこう言った。

「そもそも、“この世界はなんだ”」

 顔をあげて少し眉根を寄せた。

「世界、とは……六道の事でございましょうか?」

 閻魔大王はかぶりを振った。

「それとは違う。なんと説明したらいいか……」

 表情があまり変わらないお人なのか、悩んでいるようで悩んでいないようにも見える表情で腕を組んだ。名も無き坊主はその様子を見つめ、口を固く結んで眉間の皺を深くした。

 この世界には既に閻魔大王が存在する。名も無き坊主は特殊な体質で、“生きたまま地獄へ行ける。”その為実際に大王を見た事があり、声を聞いた事があり、話をした事がある。

「あのお方とは随分、違うようだがな……」

 背丈も容姿の年齢も全く違う。然し眼前の男は確かに神仏の類で、閻魔大王と同じ独特な威圧感があるのも確かな感触だ。

「少し距離はございますが、わたしの寺に一度向かいましょう。ここから北にあがって行けば裏側に出るはずです」

 指をさして笑みを浮かべた。先を歩きながら険しい表情で考えた。

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