私には沙奈ちゃんという友達がいました

奈々野圭

前編

 ある晴れた日の月曜の朝、小学校から始業開始のチャイムが鳴り響く。これを合図に授業が始まるのだが、今日は様子が違っていた。


「今日、三年一組に新しいお友達が来ました」


 先生の言葉で教室の中がざわつく。転校生が来るなんて話はまったく聞いていなかったからだ。


「皆さん、静かに。それじゃ、入ってきていいですよ」


 ガラガラと音を立てて扉が開かれると、一人の女の子が現れた。そのまま、先生の横まで来る。


「さ、笹倉瑞希ささくらみずきですっ。よろしく、お願いします」


 瑞希は緊張していた。すぐさま、ぺこりと頭を下げる。すると、クラスメイト達から拍手が上がった。それにホッとしたのか、少しだけ表情を緩める。だが、未だに緊張しているせいか、すぐに真剣な顔つきに戻った。


「では、空いてる席にどうぞ」


 瑞希は後ろの方の空いてる席に誘導される。瑞希は席に着いても、緊張が抜けなかった。


 ――瑞希は人見知りである。以前通っていた学校でも、友達が少なかった。そのためか、瑞希は休み時間になっても一人で過ごす羽目になる。新しい環境に馴染めなかったのだ。



 ――ある日のことである。いつものように、瑞希は一人で家に帰っていた。


「こんにちは!」


 そんな瑞希に、一人の少女が声をかける。見たところ、瑞希よりか年上に見えた。彼女は笑顔を浮かべている。その笑みはとても可愛らしくて、見ているだけで心が落ち着くような気がした。


「……えっと?」

 突然話しかけられたことに戸惑いながらも、瑞希はなんとか返事をする。


「ごめんなさい。急に声をかけて。驚いたよね? この辺りでは見かけない子だなって思ったから」

 少女は謝るが、顔は笑顔のままだ。


「私、水無瀬沙奈みなせさなっていうんだ! 君は?」

 沙奈と名乗った少女は、さらに質問を続ける。


「わ、私は……」

 瑞希は口を開くものの、言葉が出てこない。次第にいたたまれなくなってきた瑞希は、逃げるようにその場を後にしてしまう。


「あらら」

 沙奈は瑞希の小さくなっていく後ろ姿を、その場で立って見送った。




「ただいま……」

「おかえりなさい。今日はどうだった?」

 家に帰ってきた瑞希を母、雅子が迎える。


「うん……。特に何も無かったよ」

「それならいいけど……」


 雅子は瑞希が何か思い悩んでいるように見えた。もしかして……。

「何かあったら、お母さんに言いなさい。お母さんは、瑞希の味方だからね」

 雅子は顔に心配の色を浮かべる。


 何故、母は突然こんなことを言い出すのか。瑞希はわからなかった。「もしかして、瑞希はいじめられているのではないか」と思ったのではないか――。


「お母さん。私はいじめられてないよ」

 瑞希は慌てて否定する。確かに、クラスメイトとは仲良くできていないかもしれない。だけど、いじめられるほどではないはずだ。


「そう? ならいいけど……もし、困ったことがあったらいつでも相談していいからね」


 瑞希の言葉を聞いた雅子は、安堵の息をついた。




「――言えなかった。知らない子に話しかけられたって……」


 瑞希は自分の部屋のベットの上に転がり、一人、思い悩んでいる。

 向こうとしては、ただ仲良くなりたかっただけだろう。それなのに、逃げ出してしまった。


 瑞希はベッドの上に置いてあるテディベアを抱き抱える。このテディベアは、瑞希が1年生の時に、誕生日プレゼントとして両親から貰ったものだ。3年生になった今でも、瑞希は枕元に置いている。


「逃げたこと、謝った方がいいよね……でも、会えるかな……」

 瑞希はクマに向かって話しかける。


 沙奈は、どこに住んでいるのか分からない。今日だって、たまたま通りかかっただけだろう。また会えるとは限らないのだ。瑞希はため息をついた。


「水無瀬沙奈……だっけ……」

 瑞希は忘れぬように、名前を反芻する。


「……綺麗だったな……ああいう人を、美人って言うのかな……」


 ぼんやりと天井を見つめながら、瑞希は呟く。一目見た沙奈の姿が目に焼き付いていたのだ。


 髪は黒く艶やかで、クセがない。沙奈はそれを後ろでひとつにまとめている。身長は瑞希の頭ひとつ分程高い。そのためか、スラリとした印象を与える。茶色の瞳が印象的な顔は整っていた。世間では「可愛い」と言われるのだろうが、瑞希にとっては大人びた雰囲気を受ける。


「また、会えるかな……会いたいなぁ……」

 瑞希は一晩中、沙奈のことばかり考えていた。



***


 ――翌日。瑞希はいつものように帰り道を歩いている。


「こんにちは!」

 またしても、少女が声をかけてきた。


「あ、あなたは……! 水無瀬、沙奈さん……?」

 瑞希は驚きながらも、なんとか言葉を紡ぐ。


「覚えていてくれたんだ! 嬉しいな」

 沙奈はにっこりと笑う。

 その笑みを見て、瑞希はドキリとした。やはり、綺麗な人だと改めて思う。


「昨日は、逃げたりして、ごめんなさい」

 瑞希は頭を下げた。


「いいのいいの。私こそ驚かせちゃって」

 沙奈は手を振って気にしていないというジェスチャーをする。


「ありがとうございます。私は――」瑞希は自己紹介をした。


「ねぇ、瑞希ちゃんって呼んでいい? 私のこと、沙奈ちゃんって呼んでいいよ」

 互いのことをよく知らないというのに、沙奈はいきなり下の名前で呼び合うことを提案する。


「う、うん……。分かった」

 瑞希は少し戸惑ったが、断る理由もないので承諾した。


「やったー! これからよろしくね、瑞希ちゃん!」


「よろしく、お願いします……」


 瑞希は挨拶を返すが、どこかぎこちない。お互いよく知らないのに、沙奈はぐいぐい来るから怯んでいるのは否めない。それ以上に、自分は冴えないのにこんな美人と話していて良いのか、という思いの方が大きかった。


「ねぇ、これからそこの公園に行かない? 私、瑞希ちゃんとお話したいの」

 沙奈は笑顔で言う。


「えーと、ごめんなさい……真っ直ぐ帰らないと、お母さんが心配するから……沙奈ちゃんちはいいの?」


「うちは大丈夫だけど……そっか」


 瑞希に断られたので、沙奈はしょんぼりした様子を見せる。


 ――しばらくして、沙奈はこんなことを言い出した。

「そうだ、瑞希ちゃんちに行っていい?」


「えぇ」

 沙奈の提案に、瑞希は変な声を出してしまう。


「急にこんなこと言われても困るよね……お母さんに挨拶でもしようかなと思ったんだけど」


「挨拶って……」

 沙奈は妙なところでしっかりしているなと、瑞希は感心する。


「ダメ……かな……?」


 沙奈は茶色の瞳で瑞希を見つめた。瑞希はその目に逆らいがたいものを感じる。


「……いいですよ」

 瑞希は沙奈の提案を受け入れた。


「本当!?」

 沙奈は嬉しそうに飛び上がる。


「じゃあ、行きましょうか」


 そう言うと、沙奈は瑞希の手を握った。


「えっ……」

 瑞希はドキリとする。同時に、握られた手が汗ばんでいるように気がして、何だか申し訳なかった。


 二人は手を繋いだまま、一緒に歩き出す。そして、瑞希の家に着いた。



「ただいま」

「おかえりなさい」

 瑞希の挨拶を聞いて、雅子が出迎える。


「あら、その子は友達?」

 雅子は玄関の前に立っている沙奈を見てそう言った。


「はい……」

 瑞希は照れくさそうに返事をする。


「お友達が出来たのね。お母さん、嬉しいわ」

 雅子は沙奈に微笑みかけた。


「初めまして! 私は――」沙奈は自己紹介をする。


「それにしても、瑞希に年長さんの友達ができるなんて」

 雅子は不思議そうに沙奈を見た。


「変ですかね?」


 沙奈は雅子を見つめ返す。雅子と目が合った。しばらく、互いをに見つめ合う。


「……あらやだ。私ったら変なこと言って。ごめんなさいね。沙奈ちゃんもお上がりなさい」

 雅子は沙奈を家の中に招く。


「ありがとうございます。では、お邪魔します」

 招かれたので、沙奈は家の中に入った。


 雅子は「お菓子の用意をするから」と言って、玄関の方に向かう。その場は瑞希と沙奈の二人きりになる。


「瑞希ちゃん。瑞希ちゃんのお部屋、見たいな」

 沙奈は瑞希の部屋が気になっているようだ。


「いいけど、あんまり面白くないと思いますよ?」

「全然構わないよ! 楽しみだなぁ」

 沙奈は目を輝かせていた。

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