第7話

 その夜。

 日が暮れてあたりが暗くなるのを待って、商店が軒を連ねる街の一角にある「パール服飾店」に我が主と共にやって来た。

 すでに営業時間は終了しており、裏口からの入店だ。

 そんな「お忍び」感を醸し出しているのはもちろん、辺境伯に女装癖があるという噂を流されてはたまったものではないだめだ。


 昼間の屋敷での怒号を聞きつけたメイドのメアリーがおずおずと提案してくれたのだ。

「伯母に話してみましょうか」と。

 これに飛びついたマリエル様が、火急の用件ですぐにドレスを仕立ててもらいたいという手紙を書いて使いをり、こうしてやって来たわけだ。


「いらっしゃいませ」

 裏の戸口を開けて人の良さそうな笑顔を見せたのは、メアリーの伯母トーニャである。

 彼女はこの服飾店の従業員で、針子を取りまとめるリーダー的な役割を任されている。

 マリエル様の母、ダイアナ様のドレスを仕立てる際もあれこれ融通を利かせてくれる頼もしい存在で、店主よりもトーニャのほうが何かと役に立つ。


 パール服飾店は老舗店ではあるが、軽薄な性格の息子に代替わりしてからどうも守秘義務が果たされおらず評判がガタ落ちている。

 ドレスを仕立てる際にはいろいろと個人的な、そしてナーバスな要望を客から相談されることがつきもののようだが、今の店主に代替わりしてからというものそのナーバスな情報がよく漏洩しているのだ。

 あそこの娘は肩に大きなやけどの痕がある。

 あの娘は父親が誰かわからない子を妊娠している。

 その噂の出どころがパール服飾店の店主だと囁かれているものの、本人がそれを否定してしらを切りとおすものだから今のところは何のお咎めも受けていないが、このままでは店自体がどうにかなってもおかしくないだろう。

 使いに持たせた手紙に「少々込み入った事情ゆえ店主には内密に」と追記したため「それでは閉店後に」という返事をトーニャからもらい、この時間になった。


 この街でドレスを仕立てられるのはこのパール服飾店しかないため、急を要する今回はよその街で仕立てるという選択肢がないのが辛い。

 いや、そもそも我が主のドレスをオーダーすること自体が辛い。



 VIP用の個室に通してもらうと早速切り出した。

「実はですね、警備隊のちょっとした余興でマリエル様が女装することになったのです」

「まあ……」

 静かに告げるとトーニャは目を丸くしながらソファに腰かけるマリエル様を見つめた。


 マリエル様が膝の上で両拳を強く握りしめながら緊張した様子で口を開く。

「それが明後日の予定なんだが、どうにかなるだろうか」

 急を要する場合は既存のドレスを手直ししてどうにか体にフィットさせるのが一般的だ。

 しかしこの巨体が収まるドレスなど存在するはずがない。

 そうなると、採寸、型紙作り、生地選び、裁断、仮縫いというフルオーダーの手順を踏まなくてはならない。明後日に納品ということは作業できるのは実質明日1日のみだ。


 どうにもなりません! とピシャリと言ってくれることを期待していたのだが、トーニャの目がむしろ輝きを増したように見えたのは気のせいだろうか。

 こういう難題を突き付けられると逆に張り切るタイプなのかもしれない。


「女装と言いますと、ドレスを着用しなければいけないのでしょうか」

「いや、とりあえず女性に見えればいい。だから最悪スカートだけでもオッケーだ」

「なるほど。それでしたら巻きスカートという手がありますわ。四角い布をぐるっと腰に巻き付けるだけですので、どうにかなります」

「おお! 助かる。さすがだな」


 ああ、なんてことだ。

 どうにもならないと言ってもらいたかったのに、どうにかなるだなんて!

 心の中で盛大に舌打ちしている間もマリエル様とトーニャの話は進んでいく。


「そうなりますと、上半身はお手持ちのシャツになりますがよろしいですか?」

「正装用の白いシルクシャツでいいだろうか」

「あら、ぴったりですわ。それと、女性になりきるにはお化粧とアクセサリーも必要ですわね。ネックレスは通常の倍……いえ、4倍ほどの長さのチェーンが必要かしら」


 それはもはや、猛獣につける鎖では!?

 

「お待ちください。それで本当に女性に見えるでしょうか?」

 無駄な抵抗かもしれないが反論を試みると、トーニャは不思議そうに首を傾げた。

「マリエル様のお顔立ちは大変麗しいので、お化粧の施し甲斐があります。ウィッグをつければダイアナ様によく似た雰囲気になるのではないかと」


 体つきだけを見て怖がられることが多いため、トーニャがしっかりマリエル様の顔立ちを認識して称賛してくれたのは大変喜ばしいことだ。

 そのはずなのに、この状況ではちっとも嬉しくない。

 試しにウィッグと巻きスカートにできそうな布を持ってくると言って張り切った様子で部屋を出て行くトーニャを複雑な気持ちで見送った。


「見た目がどうにかなっても、声や口調はごまかせませんよ。どうなさるおつもりです?」

 見事なバリトンボイスをごまかせるはずがない。

 

 するとマリエル様は、んんっと咳払いをして口を開いた。

「こんにちは。あたし、マリエル。ケチばっかりつけるカークはうぜえですわ。黙りやがれですのよ」


 首を絞められたガチョウのような寄声を聞いて背筋に悪寒が走る。


 ああ、声も口調も最悪だ!

 目の前が真っ暗になった。

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