そうだ、クレープを食べよう

 今日は銀行に行ってあちこちに振り込みを済ませてから帰り、午後から本腰を入れて仕事をする。今日はほぼ事務作業だから営業仕事をしなくていいのはいいけれど、細々とした表計算の作業はいちいちつらい。

 夕方になってようやく終わり、それを会社のサーバーに保存してから伸びをした。今日は一日バタバタしていたけれど、春陽さんは今日はどうしてたんだろう。夕食当番も春陽さんだけれど。

 私はようやく台所に立ち寄ったら、なにやら甘い匂いが立ち込めていた。

 テーブルを見てみたら、写真を撮ったらしいクレープが並んでいる。クッキングカーでよく見る巻いて手づかみで食べるタイプではなく、おしゃれにお皿に盛られてフォークとナイフで食べるタイプ。

 私が思わず「わあ」と言った途端、慌てて春陽さんが出てきた。


「す、すいません! 今日はずっと試食してて全然片付かなくって! すぐつくりますね!」

「いや、別に。今日の晩ご飯これでよくない? こんなにあるのにもったいないし」

「だ、駄目ですよぉ。甘いだけで全然栄養ないですから!」

「一日くらい大丈夫でしょ。それにこういうのって、出来たて食べないとおいしくないでしょ?」

「そ、そうなんですけど……」

「でもすごいね。こんな綺麗なクレープ、私初めて見た」

「あー……クレープって、元々フランスの郷土料理ですから。最近だったら屋台のカジュアルなお菓子ですけど、もっといろいろ奥深いですよ」

「へえ……でもどうしたの、いきなり。クレープ焼きはじめて」


 今日は朝からいろいろ忙しくって、春陽さんがクレープを焼いていることだって気付かなかったから、いきなりクレープを焼きはじめてもこちらも事情がよくわからない。

 春陽さんは言う。


「今回は小麦粉で簡単料理ってテーマだったんですよ。お菓子づくりって、きちんと量るところから料理ですけど、それを苦手とする人が多いから、どうにかならないかっていう話でした」

「まあ、たしかにグラム単位で料理するってなったら、まず量りを出すところからが億劫だし、倦厭しがちかも」

「そこまでですか?」

「お菓子づくり苦手な人って、そもそも家に量りがない人が多いと思うよ。だから量りがなくてもつくれるホットケーキミックスやクッキーミックスが売れる訳で」

「まあ、たしかにそうですね……そこは全然考えたことありませんでした」


 お菓子をつくるのが仕事の人や趣味な人だと、そもそも最初から面倒臭いっていうのがわからないもんなあ。日頃化粧しない人からしてみたら、化粧して肌が傷むのが嫌っていうのが理解できないーっていうのと一緒で。

 春陽さんが納得して考え込みはじめたのを見つつ、テーブルを指差す。


「これって食べても大丈夫な分? 写真は撮った?」

「あ、それは全然大丈夫です。まだ冷めてないから、そのまんま食べてもオッケーです」

「そーお?」


 ひとまずひと皿覗いてみた。丸く焼いたものを、四角く包んである。包んである中身は、りんごにカスタードと、味の定番だ。

 置いてあったフォークとナイフで食べてみると、生地は思っているよりももっちりとしていて、カスタードとりんご、軽く振ってあるシナモンとも相性は抜群だ。おいしい。


「おいしい……でもこういう風に全然食べないな」

「元々郷土料理ですからね。甘いクレープはクレープシュゼット。日本だったら定番なのは、レモンと砂糖で味付けしたものでしょうか。おかずのクレープはクレープサレで、こちらは卵料理が定番です」

「なんかあちこちで魔改造されて、今だったら屋台のお菓子って感じになっちゃったんだねえ」

「あれも郷土料理から宮廷料理になって、各地に広がったって感じですから、どこで魔改造されてもおかしくなかったんだと思いますよ。日本食だってフランスだと蕎麦もラーメンも全部フォークで食べて、まずすすりませんから」

「あ、たしかに」


 ひと皿食べ終えたあと、もうひと皿目に留めてみる。こちらは春陽さんの説明通り、クレープサレのようだ。トマトとチーズの優しい匂いに、ハーブがかけてあっていいアクセントになっている。香りからして、ドライバジルとドライオレガノだ。

 こちらもひと口分切ってから、口に頬張ってみる。


「……なんかこれ、生地が甘くない?」

「わかりますか? クレープサレの場合は、生地の甘さを控えめにしているんですよ。生地の甘さが勝ち過ぎてしまったら、折角のおかず感が台無しになってしまいますから」

「なるほどねえ……そう考えると、パンって意外とすごいのかも」

「すごい、ですか?」

「うん。パンっておいしいしそのまんまなにも塗らなかったら甘いけど、なにを乗せても別に甘さが勝ち過ぎることないから」

「なるほど……」


 少しだけ春陽さんは考え込みはじめた。私、またお菓子つくらないばっかりに余計なこと言っただろうか。


「あの、春陽さん?」

「わかりました」


 なにが。私がそう言う前に、春陽さんは捲し立てる。


「甘くないクレープってたしかに需要ありますよね。その上、計量しなくってもつくれるっていうのはたしかに重要でした。ちょっとしばらくの間、計量カップでクレープがつくれないかいろいろやってみます!」

「え、あ。うん。食べるのは手伝うから……?」

「はい!」


 クレープってなんにでも合うし。ジャムやはちみつ、バジルペースト、野菜。しばらく食べるんだったら、いろいろ合わせる具材も考えたほうがいいのかな。

 しばらくはクレープ漬けとなり、春陽さんが計量カップでつくるなんにでも合うクレープ生地のレシピを考案するまで、付き合うこととなったのだった。

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