彼岸の国のアリス〜助かりたければウサギを殺せ〜
アヤト
第一章『失楽園編』
精神病という名の力
『不思議の国のアリス症候群』
小さい猫がビルより大きくなったり、自分より大きな大人が小人のように見える病気である。視覚による病気ではなく、脳による炎症や精神疾患の可能性が高いが詳しいことは判明していない。
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「さて、アリスちゃん。今何が見えてる?」
「....怖い、化け物が見えてます」
「その化け物は何してる?」
「...笑ってます。コッチを見て...」
大きな大学病院の精神科の診察室で鏡を持った医師からの診察を受けている少女。中学生にしては派手な日本人離れした金色の髪を長く伸ばし、サファイアのような青い瞳を持った少女『姫川 アリス』。イギリス人の父親と日本人の母親の間に生まれたハーフの少女は生まれた時からこの世には居ない化け物の幻覚が見える病気を患っていた。見える場所は窓や水面やガラス等の反射する性質を持つ物に限定しており、見える物は今のところ化け物だけである。『不思議の国のアリス症候群』と似た症状のこの病気は『鏡の国のアリス症候群』と名付けられ、週に一回の診察を行うことになっている。この病気を患っているためアリスは鏡や水溜まり等の物が見えないように下を向いて生活していたせいで周りの子供たちから「暗い」「ウジウジしてる」等といった印象を持たれてしまい、次第に学校へ行かなくなってしまった。
アリスの目には医師から見せられてる鏡の中に化け物がこちらを見てニタニタと笑っている。百足みたいな紫色で長い体躯に斑模様のように苦しみに歪んだ顔が体についている。そのような体を持ちながら頭部にあたる部分には中年の男の顔を持った化け物。その化け物がアリスのことを見ては笑い、姿を消したかと思えばまた現すというのを繰り返している
「その化け物の絵を描ける?」
「.....」
医師から渡されたスケッチブックに今見た百足のような化け物の絵を描く。画力は高くないが出来るだけ正確に特徴を捉えるため鏡に映るムカデ男を時折見ては描き写して医師へ渡す。それを見た医師はその絵からどのような原因があるのかを探る。幻覚症状のある患者が見る幻覚には患者の心理を深く投影している場合が多いからだ。顎に手を当てそのムカデ男の絵を考察する
「男性...毒虫...斑模様...。男性に対する恐怖心か?アリスちゃんはお父さんについてどう思ってる?喋れる範囲でいいよ」
「....お、お父さんは、私が生まれる前に私を産むかどうかをお母さんと揉めて会ったこと無いです...」
「そっか、ありがとうね」
アリスの言葉を聞き手元に置いてある紙に経過を書いていく医師。いつものように診察が終わり安定剤や眠剤等の薬が処方される。それらを受け取り、母が待っている病院の受付へ向かう。受付の椅子に座りながら目を瞑り浅い眠りに入っている女性がアリスの母親『姫川 結衣』だ。日本人らしい黒い髪を腰まで伸ばし、整った顔立ちと清潔感はあるが、少し寄れた服を着ているし頬が少しコケている所から疲労が見える。そんな疲れている母親を起こすのを躊躇うアリスだが、アリスが近づいて来た足音に目を覚ましアリスに微笑む母親
「あら、終わった?じゃあ行こっか」
「...うん」
疲れているだろうにそれを出すことなく優しく微笑む母親がアリスは大好きである。しかし、好きな母親が自分のせいで疲れているというのを中学生であるアリスは分かっていた。それに週に一回の病院代も馬鹿にならない。病院代や生活費を稼ぐため母親は病院じゃない日は毎日スーパーで働き夜は家で内職をしている。家事は料理等の鏡を見なくてもいいものは手伝っているが、明らかに時間が足りないのは誰の目にも明らかであり、いつ倒れてもおかしくはなかった。そんな母親を楽にさせるには早く病気を治すことが先決なのだが、治すどころか日常生活すら行えない自分にアリスは嫌気がさしている。
母親が運転する車にアリスが乗ったのを確認すると車が発進する。自宅から病院までは車で5分程の距離しか離れていないのですぐに自宅へ着くが、その間に窓ガラスを見ないよう視線は自分の足元しか写さない。車が止まり家に着く。小さなアパートの2階の角部屋がアリスの家だ。築50年と年季の入った家に着くと母親に手を引いてもらいながら自分の部屋へ入る
「じゃあ、お母さん洗濯物するから。ゆっくりしててね」
「...分かった」
扉を閉めて自分の部屋で1人になるアリス。アリスの部屋は全ての窓を分厚いカーテンで遮り鏡や瓶などの反射物を一切置いていない。あるのはベッドとタンスにプラスチックの簡易的な机のみの簡素な部屋である。強いて言うならベッドに置いてある小学生の頃に買ってもらった白い猫のぬいぐるみが女の子らしさを出していた
「...ずっとこのままなのかな?」
1人になった部屋でぽつりと呟く、自分の将来の不安を。中学生になり本来なら勉強や部活に本腰を入れ始める時期に自分は部屋で1人自習の毎日。勉強自体は苦手じゃなく、何回かおこなった全国テストでも上位を取れるほど頭は良いアリスだが、多感な思春期の時期に母親と医者以外の他人とコミュニケーションを取っていないことが不安なのだ。これではいざ新しい環境に身を置いた時馴染めるわけが無い。いや、そもそもこの病気を何とかしなければその新しい環境とやらに出会う事すらない。そんな自分と自分の未来を考えると気分が沈んでしまう
「きゃああ!!」
「...お母さん?どうしたの?」
「.....」
少し嫌な将来を考えていた時、洗濯物を畳んでいる母親の悲鳴が聞こえる。不審者だろうか?それは無い。ボロいアパートの扉は開け閉めする度にデカい音と振動を発してしまうし、何より病院から帰ってきた時確かに鍵は閉めたはずだ。では、虫でも出たのだろうか?可能性はあるが、悲鳴から母親の声は聞こえず返事もない。虫嫌いの母親だからこそ黙って処理するなんてことはなく、ゴキブリが出た時は悲鳴を上げながら退治していた。
「お母さん?どうしたの?」
「.....」
返事は無い。
視界がぶれる。考えが頭の中で交差していく。アリスは立ち上がりドアノブに手をかけ自室を出る。もし、母親が病気や怪我で居なくなってしまったらと考えるだけでアリスの胸は苦しくなり目には涙が溜まる。フラフラとおぼつかない足で母親の居る部屋のドアノブに手をかけ回す。
「なに...これ?」
部屋に入ったアリスの目に映るのは『異形』だった。
この世に居るはずのない異形の生き物。しかし、この世に居ない化け物をアリスは知っている。百足のような長い体を持ち斑模様の様に苦しんだ顔が身体に付いており、しかし顔は笑顔の化け物。アリスが今日病院で見た化け物である。しかし、アリスが見ていたものは幻覚であると診断されたはずなのに、散乱した洗濯物と化け物が触れた机が大きく位置をズラしている事から幻覚ではなく、本当に存在していることが分かる。その化け物が母親を抱えてケタケタと体を揺らして笑っている。
「な、なんで?幻覚じゃないの?」
「ハハハ....!ハッハハハ...!」
「ま、待って!」
化け物は口を開けて笑うと母を抱えたまま窓へ走り出す。まさに百足。百本に近い細かい足を動かし素早く動き窓へ一直線に走る。窓ガラスにぶつかる瞬間、化け物の体は窓に妨げられることなく、その体は窓に吸い込まれるように消えていった。化け物と母が消え部屋に残るのは散乱した洗濯物と目の前の現実を受け止めきれず唖然としたアリスのみ。ありがとうの中には様々な疑問が浮かんでくる。
あれは幻覚じゃないのか?母は何処へ行ったのか?何故母が連れられたのか?幻覚じゃないのなら何故自分には見えていたのか?考えても分かるはずのない疑問に頭を支配されている。そして何より、『母は無事なのだろうか?』この世のものではない化け物に捕まり待ってたら無事に帰ってくるとは思えない。震える足で化け物が消えていった窓へ近づき恐る恐る手を伸ばす。
「進んだら、もう戻れないよ」
背後から声が聞こえる。声変わりのしていない透き通った少年のような声が。この家にはアリスと母しか居ないはずだが、あの様な化け物が居たことを考えるとそうとは限らない。アリスは振り返るが誰も居ない。確かに声は聞こえたのだが、声を出したであろう人影は見えない。
「こっちだよ」
「あ...」
喋りかけて来た人を振り返り探しているアリスに自身の位置を教えるその声の主の位置はアリスの目線より下の地べたに座っており、やはり『人』ではなかった。白い人口の毛にプラスチックの目を取り付けられた大きな猫のぬいぐるみ。アリスが誕生日に買ってもらいベッドに置いていたぬいぐるみが喋っている。幻覚が現実に干渉してきたり、自分のぬいぐるみが喋ってきたり、今日はアリスの理解を超えた現象が起こりすぎている。
「辞めておいた方がいい。お母さんを助けたいのは分かるけど、必ず君は後悔する」
「でも、お母さんが...助けないと....」
「どうやって?今だって足は震えてるし、ただの女の子の君に何が出来るの?」
「それは....」
猫のぬいぐるみの言う通り足は震え、頭の中は不安で支配され、心は恐怖で縛られている。だが、母を助けたい気持ちは確かにある。ろくに学校にも行けず、治療費もかかる病気を患った自分に対し文句1つ言わずに笑顔で接してくれている母を見殺しにすることなどアリスには考えられない。
「...どうしても、お母さんを助けたい?」
「た、助けたい」
「....そっか」
どうするかを考えているアリスを覗き込むように見つめ、答えが分かりきっている質問をする。プラスチックで出来ている瞳のはずなのに心の内を見透かされてしまうのではないかと錯覚してしまう視線にアリスは無意識の内に背筋を伸ばしてしまう。アリスの答えを聞いたぬいぐるみは「そう...」と俯き、何かを深く考えている。
「...分かった。君にお母さんを助ける力をあげる。正確には、力の出し方を覚えさせてあげる」
「どういうこと?」
「君やこの世界の人間が病気だと思われているものの大半は病気なんかじゃない。それは代償、別の世界で戦うことを選んだ故の代償だ。その代償の元を取る」
「...?」
「僕の目を見て」
ぬいぐるみが近づきアリスの足元まで来る。見上げてきたその目を見つめると胸の内から込み上げてくる謎の衝動が襲ってくる。血管の中にマグマを入れられたと錯覚する程に身体が暑くなり、胸が苦しくなる。時間にして数秒であろう時間がアリスにとっては何時間と感じるほどに長い数秒。身体の暑さが消えその場で倒れそうになるところを何とか踏み留まる。肩で息をしていた呼吸を少しずつ整えると、ぬいぐるみが口を開く
「僕の名前はチシャ。さぁ、お母さんを助けに行こうか」
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