灼かれた想望
時刻は少しだけ遡る。
アーサーが訓練で袋叩きに遭うおおよそ五日前。
ペーネロープとの激戦より前にアンスエーロは、大隊長執務室へと呼び出されていた。
「……正気ですか」
思わず敬愛する上司にそう言ってしまうくらいには、あり得ないと思ってしまうことを告げられた。
そう返答された張本人、フローレンス・リゴールは楽しそうに笑みを浮かべて続ける。
「ええ、正気よ。総合演習で三番隊だけで陣地取りやってもらうから」
アンスエーロは倒れそうになったがなんとか踏み止まった。
「そ…………れは、どのような意図で……」
「…………いやまあ私だってわかる。普通に考えれば『何言ってんのこいつ』って思われても仕方ないって」
「うっ……ひ、否定できません。少なくとも今、私は衝撃を受けています」
一兵卒として気軽に使える兵力は持ち合わせておらず、全員単独で生き残り敵を屠れる精鋭を目指して鍛え上げられてきた。
確かに練度は高い。
個人技で頂点を競い合える達人もいれば、連携で実戦を潜り抜ける猛者達もいる。
しかしだからと言って、限られた数名で敵部隊を壊滅させられる程夢のような力を抱いた集団ではない。
あくまで現実的に生き汚く護国を遂行するのが、今の彼ら彼女らの正体だった。
「確かに三番隊にはジンも居ます。私も含め、隊長格が二人揃っているため他隊に比べれば戦力は高いでしょうが……」
無理があるとアンスエーロは思った。
いくら圧倒的な実力を持っていても、連戦を重ね続ければいずれ体力が尽きる。
怪物や達人と称される傑物が命を落とすのは、いつだって戦場の中で、そして相手が強敵だとは限らない。
雑兵の槍一つで命を奪われる可能性だって大いにある。
そうやって散った大人達を目にしてきた彼女にとって、その選択は受け入れ難いものだった。
「……正直に言うとね。これは私の我儘なの」
「我儘……?」
椅子を回して、フローレンスは後ろへと振り向いた。
窓の外は暗闇で包まれている。
夜は更け、積み上がっていた書類は既にフローレンスの机から姿を消し、そしてまた翌日になって諸々の仕事を行わなければならない。
もうすっかり慣れきってしまったことだ。
「アンスエーロ。私はね、アーサーに夢を見てるのよ」
「…………あの男にですか」
「うん。アーサーはね、本当に凄いんだ……」
フローレンスの脳裏に浮かび上がるのはかつての彼。
国で最強の名を戴いておきながら、そんなものに興味なんて一切持っておらず昼夜ずっと魔法の事だけを考えている怪物。幼い頃から武で頭角を現していたフローレンスが何度も挑戦し、終ぞ勝利を得る事が出来なかった唯一の相手。
絶対的勝者。
権力にも憚られず、己のゆく道をただ気ままに歩いていく天才。
それがフローレンスが抱いてしまったかつてのアーサー・エスペランサという少年だった。
「私は結局一度も勝てなかった。十個ある相伝魔法のうち最も簡単だと言われる
何度も心折れた。
それでも諦めたくなかった。
魔法の使えないエスペランサ一族なんて価値がない。
精々その血に期待して次世代に期待される程度で終わってしまうのは、魔法使い一族に生まれてしまった宿命だった。
両親はそこまで露骨な事は嫌がっていたけれど、上の世代から突かれては抵抗も難しかっただろう。
だから努力した。
苦しみも痛みも嘆きも全部飲み込んで、己の未来をこの手に掴むために血反吐を吐いて。
その結果得たのは現在で、失ってしまったものも多い。
「…………今はまだ、小さな光かもしれない」
外の暗闇にぼんやりと、少しだけ淡い光が差し込む。
夜はまだまだ続く。
月の支配から抜けるまで陽は昇らない。
ではこの光は一体誰が、とアンスエーロが声に出そうとしたときに、気が付いた。
エスペランサ家は、光を象徴する魔法使いだったと。
「これから先、何度も消えそうになるかもしれない」
「……眩いとは言い難いですね」
「ええ。だってこれから始まるのよ?」
そしてフローレンスは再度振り向いた。
口角を吊り上げて、とても楽しそうに笑顔で笑いながらアンスエーロへと言う。
「貴族から没落貴族へ。
没落貴族から浮浪者へ。
そして浮浪者から
「まだ、ペーネロープにすら勝利してませんよ」
「勝つと分かってる戦いですもの。私は自分自身の目と勘を信じてる」
「それはまた……彼女が可哀想だ」
「ペーネロープを評価してない訳じゃない。寧ろ評価してるからこそ、きっとアーサーは呑み込んでくれる」
フローレンスの瞳に曇りは無い。
それが正しかったか、正しくなかったかわかるのは、まだ先のことだ。
「……どこまで落ちぶれようとも、アンタはアーサー・エスペランサ。勝って、勝って勝って勝ち続けて、自分が勝ち馬になれるくらいに取り戻してみなさい」
外の光はまだ消えない。
これが希望の明星になることを祈って。
己の盲目で終わらない事を信じて、フローレンスは瞠目した。
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