僕らは罪を知っている。

胡桃

第1話

「好きなの」

 ぽつん、と落ちた言葉は雨粒に似ていた。諦めたような笑みを浮かべた灯は、そのまま言葉を吐き出し続けた。飲み込んできた感情が濁流になり、もう彼女の意志では止めることができないのだろう。

「ずっと見てきたの。大好きなの。好きで好きで、……何より大切で、」

 太陽を閉じ込めて出来たようなきいろい瞳は薄っすらと濁り、涙の膜で揺らいでいる。静夜は零れてしまいそうな彼女の涙を、その指で拭った。指の背に触れる肌はいつもよりずっと熱を持っている。

「あかりちゃん」

 ゆっくりと、一音一音が灯の耳に入るようにその名前を呼ぶ。瞬きと共に、灯の瞳が静夜を捉えた。そこに存在する傷を、静夜はずっと昔から知っている。彼女が抱え続けた感情の名前を、静夜は隣で見続けていたのだから。

「すき、なの」

 灯の感情に合わせて空気が揺れるようだった。ここは静夜の部屋で、光源は開いたカーテンから差し込む外の光程度しかない。少し遠くで光る電灯から送られるそれは薄く、部屋全体を照らすことはなかった。

 それでも、二人でベッドに並んで座れば、じゅうぶんに顔を見ることは可能だ。瞬き一つ見逃すことはない。

「どうして、……どうして、なの」

「……どうしてだろうね」

 常であれば青空に似た瞳は夜の色を吸って仄暗く輝いている。静夜がそのまま瞳を伏せれば、それを嫌がるように灯の手が伸びた。細い指が喉をなぞり、顎に触れ、頬にあてられる。

「こんなに、好きなのに」

「うん、知ってるよ」

 ぱたり、と灯の瞳から零れ落ちた涙がシーツを濡らした。それを合図とするように、静夜の手が灯の手を自分の頬から引き剥がす。そのまま指を絡めて、無抵抗の体をベッドの上へ押し倒した。

 ベッドの上に、灯の長い髪がはらりと広がる。随分と長いこと灯が髪を伸ばし続けた意味を、静夜は知っていた。その祈りが、届かなかったことも。

 ひ、としゃっくりをあげる灯へ口づける。落ち着かせるように何度も何度も口づけを落として、その髪を片手で梳いた。

「っ、……き、………すき、なのに」

「うん、」

 灯の瞳に、新しい涙の粒が浮かぶ。口づけをやめて、静夜は彼女の眦へくちびるを近付けた。零れ落ちる前に涙を吸い取れば、彼女の痛みがそのまま静夜の心臓へ流れ込んでくる錯覚に陥る。呼吸をするのすら躊躇うほどの慟哭がそこには詰まっていた。

 薄く開いた灯の瞳が、その視線が、静夜をすり抜ける。

「────おにいちゃん、」

 そうして、ようやく口に出された単語ごと、二人は夜に沈んでいった。

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