1-3-3 VSグラスボア(怖い!)


「近づいてくる……」

「サトル?」

「エルフィーネ、こっち来て!」

「は、はい」


 エルフィーネがレダの根を集めたショールとショートロッドを片手にがさがさとそばにくる。

 エネミー表示の赤は一体か。やっぱり逃げない。


「どうしたんですか?」

「魔物がこっちに来るみたいだ。落とさないように預かるね」

「はい。一体どこから……」

「まだちょっと距離があるけど、たぶん逃げられそうにないかな。鞄の中で根っこを潰さないように祈ってて」

「ふふ、はい」


 レダの根がたくさん包まれたショールを丁寧に鞄に収納ストレージして、緊張を解そうと言ってみたんだけど、たぶんひきつってる気がして恥ずかしい。

 弓を構えながら彼女の前に出て、俺は魔物の姿を探して目を凝らした。

 やがて十メートルほど先の草が大きく揺れて、俺たちが薬草採取で踏みつけて開けたところに、大きく反り返った牙を持つイノシシっぽい魔物が現れた。

 よかった、こっちならさっきのパーティが向かったところからじゃない。もしそっちならあの人たちになにかあったってことだもんね。


「あれは…グラスボアですね。大きい…」

「まだ若いから逃げて欲しいなあ」


 グラスボアは草原地帯が主な生息域の魔物だ。セントバーナードぐらいの大きさだけど、体重はもっと重いかも。ゲームの解説書で、突撃の衝撃は軽自動車に体当たりされたぐらいって書いてあった。


「逃げませんね…」

「うん。戦うしかない。エルフィーネ、怖いだろうけど、目を離さないでね。突撃が来たら避けないと」


 にらみ合ったまま囁く俺に、エルフィーネが小さく頷く。

 俺の初戦はホーンラビットで勝利二回、これで三回目か…。このあたりじゃ強い方の魔物だから、がんばらないと!

 サーチすると、HPが多くてMPはなし。魔法スペル攻撃はない。

 よし、まずは鼻面に一発入れてやる!!


「!」


 しっかり狙ったけど、避けられた!


「ごめん、外した! エルフィーネ、突撃の動作に入ったから気をつけて!」

「はい!」


 グラスボアが突撃のために前足で地面を掻く。

 直後、ぐっと身体を沈めて突進してきた!

 うわ、早い!!

 俺は右に、エルフィーネは左に避けた。

 俺たちの間を重量級の茶色い図体が駆け抜けて、ぶわっと草が散って土と緑の匂いが鼻をつく。

 グラスボアは突進力はあるけど、その分急には止まれない。それに、方向転換のときに隙ができる!


「よし!」


 次の矢は的が大きい横っ腹に突き刺さって甲高い悲鳴が上がった!

 熊ほどじゃないけどこいつは頭の骨が固いから、弓で狙うなら断然横っ腹だ。

 前足の付け根の上に深く刺せたら心臓に入るんだけど、残念ながら今の俺の腕じゃ一発では決められない。

 傷を負って体勢を崩したグラスボアの二度目の突撃はなんなくかわせた。さっきよりも遅くなった方向転換の隙を逃さず続けて射かけて、そのうちの二回が命中してくれたのはラッキーだ!


「わ、わたしも…!」


 ここまで深手を負うとさすがに突進できないようで、前足を折って荒い息をつくグラスボアに、エルフィーネが決意に満ちた声でショートロッドを握りしめて近づこうとする。

 でも、それはだめだ!


「エルフィーネはここにいて。俺がとどめまでやる」

「でも、それではサトルばかり大変な思いを」

「だめだ。あいつの骨は固いし、その杖じゃ殴りつけたって大したダメージにならない。なにより、余計に苦しませちゃうし」

「あ…」


 はっと苦しそうな顔になったエルフィーネの手にぎゅっと力が入って、杖が音を立てる。

 こんな杖で殴ったら壊れるよね。やっぱりここは俺がやらないとだ。


「でも、一つだけお願いしていい? 危険な役割になるかも知れないけど、たぶんもう突進はしてこないと思うから」

「構いません! やります!」

「うん。左から回り込んで、あいつの気を引いて欲しい。万が一突進してきたら避けて。ごめん、頼める?」

「はい。任せてください」


 ここで引き受けてくれて助かった。だからこそ、俺も失敗できない。


「俺は後ろからこっそり回り込む。そんなに時間はかけないよ。約束する」

「気にしないで。できるまでわたし、きっと注意をひきつけますから」

「ありがとう。お願い」

「はい!」


 怖いだろうに笑ってくれたエルフィーネの小さな頭を撫でたくなったけど、セクハラなんてできないから、ガマンだ!

 わざと音を立てて正面に回り込んだエルフィーネを警戒して、グラスボアが何度も立ち上がりかけてはくずおれる。

 グラスボアの注意が完全にエルフィーネに向くのを待って、俺は鞄から取り出したボーラを片手に気配を消す「猫歩き」と「隠蔽ハイド」のスキルを発動してその背後に回り込んだ。

 そろそろ歩くうちになんとか立ち上がったグラスボアが、弱いながらも前足で地面を掻いてゆっくり体を沈めて行く。

 後ろ足が沈んで、伸ばし始めて…今だ!

 頭上で回したボーラを投げて、伸びた後ろ脚をしっかり捕らえる!!

 突進し損ねた勢いでずんと横倒しになったせいで、矢が自重でさらに深く刺さって、痛ましい悲鳴が上がった。

 もう気配を殺す必要がないから、俺は腰のナイフを抜いて一歩一歩近づいて行く。

 心臓の音がうるさい。吸っても吸っても、ぜんぜん息ができてる感じがしないし、手が冷たくなってきた。

 ……ホーンラビットのときは一撃で絶命したから、とどめを刺したって感じはなかった。

 だから、これが俺にとっては本当に初めてなにかの命を奪う瞬間のような気がする。

 動かせなくなった後ろ脚でもがき、深く刺さった三本の矢を生やしたグラスボアは血泡を零しながらも鼻息荒く、まったく諦めることなくギラギラした目で俺を睨んで威嚇してくる。

 血生臭い息を浴びながら、俺は思わず呟いた。


「ごめん……」


 狙うのは、頸動脈だ。このでかさなら相当深く刺さないと届かない。


「サトル、わたしが脚を押さえます!」

「え、でも」

「大型の獣を仕留める時は仰向けじゃないと難しいですし、とどめを刺す時が一番危ないですから!」


 駆け寄ってきたエルフィーネが俺と場所を代わって、脚を掴んでひっくり返してくれた。

 その瞬間、俺は刃を外向けに、頭の骨の、顎後ろの骨に当たるぐらいまで一息にナイフを刺し込んで、喉の外に向けて一気に引き切る!


「きゃ!」

「ごめん!」


 これで頸動脈と気管と食道を一気に切れるはずなんだけど、浅かった!

 大きな痙攣で脚を突っ張った勢いでエルフィーネが転んだけど、俺はもがくグラスボアに飛びついて、血が噴き出す傷をもう一回同じように切り裂いた。


「いっ!」


 大きな牙が腕を掠ってぱっと血が出る。擦り傷じゃなくて切り傷なあたり、やっぱり魔物の牙は鋭いな!


「サトル!」

「大丈夫! …よかった、ちゃんととどめを刺せた……」


 断末魔の痙攣をしていたグラスボアからぶしゅうっと噴き出た血の勢いがだんだん落ち着いて、やっと痛みを感じて俺はへたり込んだ。

 うう、怖かった…!!

 オウルばあちゃんが仕留めたあとなら熊とかゴブリンのなんか強い上位種とか怪鳥みたいなのとかいろいろ見たけど、なんかもう何発も射かけてとどめに手間取って…無様というか、グラスボアにも申し訳ない。

 もう絶対、食べ残しなんかしないぞ! 好き嫌いで食べ物を粗末にするやつは自分で狩りからやってみればいいんだ!!


「魔物相手にこんなこと言ってちゃだめだけど、こいつ、子どもとか奥さんとかいたらどうしよう…」

「雌ですから、いたとしたら旦那さまだと思います」

「こんなでかい牙があるのに!?」

「はい。雄の方が牙も体格も大きくなるそうですよ」

「怖っ! 雌でよかった!!」


 グラスボアから噴き出た血で濡れながら、ナイフで肉を裂いて刺さってた矢を抜いてたら、そばに来てくれたエルフィーネが太く血がにじんだ俺の腕の傷を見た。


「毒は…ないと思いますが、一応」

「いいよ、もったいない」

「いいえ。わたしは解毒アンチイオスの宝珠は持っていません。もしものことがあったら、高位の司祭様や回復術士ヒーラーのいる北の教会に行かなくてはいけませんが、謝礼がとても高額だそうですから」


 エルフィーネはそう言って近くにあったレダの根元を掘り、根っこをちぎって溢れた汁を腕の傷に塗り付けてくれた。

 火傷みたいにぴりぴりする!


「いたた!」

「痛むなら、やっぱり必要でしたね。あとはわたしが治します」


 顔を歪めて悶えた俺にそう言って、エルフィーネが杖の宝珠に触れながら傷の近くにかざした。

 渦を巻くように癒やしの魔力が広がって、みるみる傷口が塞がり、痛みがなくなった。


「へえ、すごいな。これが治癒ヒールか~」

「はい。教会でもよく使っていますから、得意なんです。かなり早く傷を治せたって褒めていただいたこともあるんですよ」

「すごいなあ。そりゃポーションは便利だけど、なんでエルフィーネを普通にパーティに迎えないのか不思議だよ」

「高額な宝珠を手に入れられたら、荷物持ちポーター以外でも呼んでもらえるかも知れないんですけどね。わたしは治癒ヒールしかできませんから、仕方がありません」


 そう言って苦笑したエルフィーネに、俺も何とも言えない気持ちになって「そっか……」と頷く。

 治癒ヒールができるエルフィーネでさえそんな扱いなんだ。ただの森生まれで森育ちの子の俺なんて、男だし荷物持ちポーターでさえ雇ってもらえないかも。

 まずは自信をもって名乗れるジョブを持たないとだめだな。


「ずいぶん日が傾きましたね」

「うん。もうすぐ日が暮れる。薬草も結構採れたし、血の匂いでほかの魔物まで来たら怖いな。そろそろ帰ろうか」

「はい。もっとちゃんと血抜きをして解体できたら持って帰りたかったんですが、さすがにできませんものね」


 手を貸してくれたエルフィーネに礼を言いながら立ったところでそんなことを言われて、思わず事切れたグラスボアを振り返る。


「え、もしかしてグラスボアって食べられるの?」

「はい。若い雌のグラスボアはご馳走です。状態が良ければ、お肉も牙も毛皮も高く売れますよ。森では食べませんでしたか?」

「鳥とウサギが多かったんだ。知らなかった!」


 それはいいことを聞いた!

 慌ててグラスボアのそばに戻って、ソロモン・コアを胸元から引っ張り出して鞄に繋げたアイテムボックスの容量を確かめる。

 ……うん、いける! っていうか俺、レベルが上がったみたいだ。なんかステータスのバーが伸びてる!


「サトル? まさか持って帰るつもりですか?」

「うん。いけそう」

「重いですし、第一そんな小さなナイフで解体をするのは無理ですよ」

「大丈夫。あとでやる!」


 血でべちゃっとした毛皮を撫でながら収納ストレージを発動したら、するんとグラスボアの姿が掻き消えた。

 さすがにレダの根を包んだショールとは容量がちがうな。中に入ったことを示すように、一回だけ鞄がゆさっとした。


「え…! まさか、中に入ったのですかっ?」

「うん。中に入ったら重さは感じないんだ」


 一息ついたら喉の渇きを思い出して、水筒を取り出して飲む。エルフィーネも自分の鞄から木製の水筒を取り出してほとんど一息に飲んでた。


「そんなに喉が渇いてた!? 休憩もなかったもんね。ごめん!」

「謝らないでください。今になって喉が渇いてたって思い出したんです」

「ああ…それはわかる」

「はい。ごめんなさい。わたし、魔物と戦ったのは初めてで……。自分で思う以上に緊張してたみたいです」

「そうだよね。ごめん、怖かったよね」

「とどめを刺すところまで、一人で戦ってくれたあなたの方が怖かったでしょう。……無事でよかった」

「えっと…じゃあ、二人とも怖かったってことで」


 そっと、もう傷が消えた腕を撫でて言ってくれたエルフィーネに笑いながら提案したら、エルフィーネは深い緑の目を丸くして小さく噴き出した。


「はい。そういうことにしましょう」


 綺麗な髪が乱れて汗だくだし、生成り色の服も俺ほどじゃないけど返り血や乾いた草がついてひどい有様だ。

 でもそう言って笑ったエルフィーネはとてもきれいで、思わず見とれちゃったよ。

 いかんいかん。相手は子ども、自制心だ、俺!


「うん! じゃあギルドに帰ろう。……さっきの人たち、無事だったらいいね」

「そうですね。でも強そうな方たちですから、きっと大丈夫だと思います」

「そうだよね」


 とりあえず、早く宿かどっかに行って、血まみれの服を洗いたい……。洗濯できるとこがあればいいなあ。

 しかも、心なしかサーチ範囲にちらちらと敵のシンボルの赤い点が増えた気がする……。

 これは危ないな。っていうか、魔力が切れてきたみたいでサーチが消えた。

 もう一回だけでもサーチしようと思ったけど、唱える前にぐらっとめまいがしたから、これ以上はやめておく。

 もったいないけど、魔物と虫のどっちもよくばり避けの草を燻さずにそのままお互いにこすり付けて、俺たちは二人でまたざかざかと足で草を蹴るように町を目指した。

 来るときに歩いたところなんだから少しは歩きやすくなっててもいいのに、草木って逞しいな! すっかり元通りだ。


「近くの依頼でも、結構時間がかかったね。グラスボアと戦ったのも疲れたけど、しゃがみすぎて腰が痛いよ」

「わたしもです。薬草採取の難易度は低めですけど、重労働の一つなのは間違いないですね」


 なかなか冷めない興奮を噛みしめて始まりの町へ向かいながら見上げた空は、太陽がもうだいぶ傾いて空の端っこに淡いオレンジの光が混じり始めてる。


「エルフィーネは小さい子をよく抱っこするって言ってたけど大丈夫? シスターってことは、もしかして教会が孤児院を兼ねてる感じ?」

「はい、そうです。慣れてますから大丈夫ですよ。よかったらサトルも遊びに来てください」

「うん、行かせてもらうね」

「はい。いつでも歓迎します」


 二人で笑い合いながら歩いていたら、一際強い風が吹いて、ざあっと草が揺れた。

 その隙間に、来たときには気配も読めずに襲われたオレンジの草玉が逃げていく姿が見えて、初めて自分の得た経験値を実感できた気がする。

 よし、次もがんばろう。

 少し乾いた草の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ちょっと重くなった鞄を肩にかけ直す。

 とにかく、この子を連れて無事に町に戻るまでが冒険だ。

 あと一息、気分はいいけど恥ずかしいから鼻歌はガマンして、俺は町を出るときよりも勢いよく大きな一歩を踏み出した。

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