1-2-5 その名はエルフィーネ


「ねえ、坊や」

「は、はい」


 これ以上目立たないように、会釈だけしてそろりと出ていこうとしたら、夫婦らしい冒険者の女の人の方が俺を手招いたんだ。

 二人とも三十代前半ぐらいかな? 旦那さんは背中に戦闘用の大斧を担いだパワーファイター、奥さんの方は腰に細身のレイピアを帯剣していて、軽剣士って感じ。

 どちらも黒髪の人間ヒューマンなのに、体格と雰囲気からツキノワグマと黒ヒョウの夫婦みたいだ。いかにもベテラン冒険者っぽい。

 もしかしてこの人たちも「ついて行ったげようか」なんてからかってくるのかと思ったんだけど。


「ライラよ。こっちの旦那はジェフ。あんた、パーティを組んで迷宮探索ダンジョンクエストってほどの仕事はまだしないでしょう?」

「サトルです。えっと、そうですね。いつか行ってみたいとは思いますけど…」

「ふふ、男の子だねえ。でもまあ、薬草採取して、ポーションを作って…って感じよね?」

「はい。しばらくはそうだと思います。強い魔物が出るようなところも行かないし」


 っていうか、駆け出しじゃ無理だしね。

 素直に言ったら、それまで黙って麦酒エールを飲んでた旦那さん、ジェフさんと顔を見合わせて頷き合ったライラさんが改まった様子でまっすぐ俺を見た。


「それなら、あんたが組めそうな冒険者を一人紹介するわ」

「え、組むって…パーティをですか? でも俺、報酬あんまり払えないし」


 びっくりして首を横に振ったけど、今度はジェフさんにも言われる。


「駆け出し同士だ。報酬は仲良く半分こしろ。二人いりゃ、一人は見張り、一人は採取ってこともできるし、持てる荷物も倍になる」

「おい、あいつは俺のところがーー」


 ジェフさんにはなぜか一番離れた席にいた若い男ばかりのパーティが文句を言ったけど、それはジェフさんが「まだ決まってねえ」とじろっと睨んで黙らせた。

 誰かわからないけど、ほかのパーティに入ることが決まってたら、さすがに申し訳ないよ。どうしよう!?

 困って思わずカウンターを振り返ったけど、ライラさんが「マイヤ、お願い」って声をかけて、すぐにマイヤさんが「はーい!」って返事して左の奥の部屋に声をかけたんだ。


「今回だけよ。ずっと組まなくてもいいさ。あんたにしろあの子にしろ、一人ぼっちで冒険者をさせるには心配でね。あたしたちも今夜にはここを発つし、まあおじさん、おばさんのおせっかいさ」

「え、お二人ともぜんぜん若いですよね!?」


 三十台前半って感じなのに、そんなこと言われたら俺なんかどうなるんだ!?

 いくら身体は若くても、中身はおっさんなんだってば!!


「いやだねえ! もう!!」

「そういやばあさんに育てられたって言ってたな!」


 しかもうれしそうに夫婦そろってめっちゃ頭とか撫でてきた!

 若いってだけでこの扱いの差よ…!!

 俺も通勤電車で見る中高生を「若いなぁ」なんてほほえましい気分で眺めてたし、そういうことなんだろうなあ。

 そのまま居たたまれない気持ちで待っていたら、マイヤさんが「お待たせ」って声をかけてくれた。

 あれ、誰か連れてきた。この人たちが紹介するって言ってた人みたいだな。

 獣人族ガルフのマイヤさんの後ろからおずおず出てきたのは、毛織の外套のフードを被った小柄な人物だった。

 ぱさっとフードを外すと、天使の輪がくっきりはっきり浮かんださらさらの黒い髪が、繊細そうなラインを描く白い頬を撫でて肩の辺りで落ち着く。

 うわあ、こんな綺麗な髪のおかっぱなんて初めて見た。

 ニキビに縁のなさそうな白くて滑らかな肌、伏せられた長くて黒いまつ毛が影を落として不安そうに、心細いみたいに見える。通った鼻筋、花びらのような形をした柔らかそうな淡い色の唇。

 簡素なワンピースの胸の前で、細い手が淡い緑の宝珠がはまった短い木の杖、ショートロッドをぎゅっと握ってる。

 お、お、女の子だ……。

 いや、それはべつにいいんだけど!


「誰っ!?」


 ゲームのときと同じ登場人物がいるって確認し始めたところでさ、いきなり知らない女の子が仲間になるフラグなんて怖すぎる! どういうこと!?

 びっくりしてジェフさんとライラさんをぐりんっと振り返ったら、にっこり笑ってウインクされた!!


「エルフィーネだ。東の教会のシスターなんだが、この子も冒険者登録をしたばかりでな。まだ誰ともパーティを組んでいない」

「あの…もしかして、わたしと組んでくださるのですか…?」


 ジェフさんに紹介された女の子がぱっと顔を上げた。

 まるで深い森のような濃い緑の目がまっすぐに俺を見て、とっさに「違います」なんて言えなかった。

 でも、すぐに「うん」とはもっと言えない!

 そりゃゲームなら、パーティを組むならダントツかわいい女の子がいいよ。

 でも現実は違う!

 命がかかってるんだ。なるべく強い冒険者と組みたい!!

 こんな、自分で戦えなさそうな、いかにも守ってやらなきゃ攫われそうなヒロインっぽい女の子と冒険するのは創作だからいいのであって、現実でいっしょに冒険しろって言われても困る!!

 俺もまだまだぜんぜんレベル低いし、守れないのにどうしろと!?


「あの、女の子ですよね!?」

「そうだよ、女の子だ」

人間ヒューマンの女の子が冒険者登録するのはあんまり多くないんだけどね……。この子もサトルくんといっしょで、冒険者になりたいんだって」


 深く頷いたライラさんの横で、マイヤさんも困った笑顔でそう教えてくれた。

 そして思い知った。

 俺も、この子と同じように見られてるんだってことを。

 そうだよね……。

 誰だって強い仲間と組みたい。

 つまり、駆け出しの俺となんか組みたくない。当たり前だ。

 護衛として雇ってお金を払ってなら、まあよっぽど危険な仕事じゃなけりゃいっしょに来てくれるだろうけど。

 この子だって、俺と組むなんてきっといやだろうな……。


「どうだ? 二人で組んだら採取ぐらいはやれるだろう?」

「もちろん深いところへは行っちゃいけないよ。一人が見張り、一人が採取を徹底することだ」


 うう、ご夫婦二人で畳みかけてこられた…! それにエルフィーネさんの視線が! 刺さる!!

 俺と組むのはいやじゃないの? ほかにいないからなの!?

 でも、いくら採取だけって言ったって、危険があるってわかってるところに、守る力もない俺が女の子を連れて行くのも…!!


「む、無理です。だって俺も弱いのに」

「わ、わたしも弱いです」

「だから無理だよ。だって守ってあげられないし」

「わたしも冒険者ですから、守ってくれなくても大丈夫です。わたし、荷物持ちポーターだってがんばりますから。もともと荷物持ちポーターで雇われる予定だったんです」

荷物持ちポーターって……」


 え、あの男ばっかりのパーティの!?

 びっくりして奥の席を見たら、お世辞にも感じが良いなんて言えない人間ヒューマンの男たちがにやにやこっちを伺っていた。

 拳に金属付きのグローブをつけたヤンキーっぽい拳闘士と、針金みたいにひょろっとした槍使い、背中を丸めてる小柄で出っ歯の、この中でも一番目つきが悪い男の三人組だ。

 そういえば、この子を仲間に入れるつもりだったみたいだけど、こんな華奢な子を荷物持ちポーターってマジで?

 なんだか、いやな感じだ。絶対悪だくみしてそうっていうか、そういう下心が隠せてない。

 三人で分担して持つ以上のなにをこの子に持たせる気だよ?


「あの、実はすごい力持ちとか?」

「あ…ごめんなさい。普通です。でも、がんばって持ちますから……」

「いや、そんなつもりじゃないよ。ごめん!」


 びっくりした。そうだよね、こんな見かけだけど実は巨人族タイタンとのハーフで力持ちとかかなって思っただけ!

 でもやっぱり、この子を危険に巻き込めないと思って改めて断ろうと思ったんだけど。


「サトルくん、聞いて」

「え?」

「冒険者に女の子が少ない理由はね、ああいう連中が荷物持ちポーターの名目で雇うからなの。本当に荷物持ちポーターの仕事をさせるだけならいいんだけどね……」


 耳元に口を寄せた俺にしか聞こえないぐらいのマイヤさんの囁きで、わかってしまった。

 くそ、……わかってしまったじゃないか!!

 思わずエルフィーネさんを見たら、彼女はひたむきな、そしてすべてを覚悟した表情でしっかり顔を上げて俺の返事を待っていた。

 ああ、この子はちゃんと理解してる。

 自分がどういう扱いをされるか知っていて、それでも逃げずにここにいるんだ。

 それがわかって、俺はぎゅっと拳を握った。


「あんまり重たい荷物なんか持てないですよね? そんなの、いじめてるみたいだ」

「そう思うでしょ? 君も一人だし、今は同じぐらいの駆け出しの子の登録がないんだよね。だから、一回でもいっしょにお仕事してみたらどうかなって思ったの。ね、お願いできないかな?」


 わざととぼけた俺の返事にマイヤさんだけじゃなくて、ジェフさんとライラさんも真剣な顔で俺の返事を待ってる。

 気がついたら、ここにいるほかの冒険者もみんなこっち見てるし、居心地が悪いったらない。こんな場面じゃなかったら、一も二もなく逃げ出したいよ。

 俯いて考える。

 俺が断ったとしても、この子はきっと文句も言わず、素直に引き下がるだろう。

 決して俺を恨んだりしない。それが伝わるぐらい、清冽な目と表情だった。

 それを知っていて、わが身可愛さに見なかったふりなんてできないよ…。

 だって俺は大人なんだから!


「エルフィーネさん」

「はい」


 だから俺は意を決して姿勢を正し、不安そうなエルフィーネさんを呼んだ。

 彼女の背が高いのか、俺が小柄なのか、少しだけ俺より高い位置にある、大きくて深い緑の目が潤んだように揺れながら俺を見て、もう全身で緊張した様子で俺の言葉を待ってる。


「あの、俺…本当に駆け出しどころか、今日、それもついさっき冒険者になったばかりです」

「はい。わたしも今日なったばかりです」


 あああ、上手く言えない! なんでこんなときは「交渉」スキルが仕事しないんだ!!

 俺は自分でもいやになるぐらいたどたどしく、でもなるべくわかりやすくだけは心がけて一生懸命言葉を紡ぐ。


「えっと…俺はずっと森でばあちゃんと二人で暮らしてて、街のことはなにもわかんないから、教えてくれたらありがたいです。俺もあんまり腕力に自信ないし、頼りにならないからそれもごめんね。だから荷物はいっしょに持ってもらうことになるけど、それでもいい?」

「はい。わたしもずっと教会で育って、世間知らずですが、サトルさんに教えて差し上げられることがあったらうれしいです。いつも小さい子を抱っこしてますし、身体が丈夫なことには自信があります。重たいものは半分こして持って帰りましょう」


 エルフィーネさんも俺と同じで、あんまりしゃべるのが得意じゃないのかも知れない。

 たどたどしく、でも一生懸命にそう言って、最後にふわっと笑ってくれたのがうれしかった。

 小さな白い花が咲いたみたいなその笑顔が、緊張で縮こまっていた俺の心を解してくれた。


「う、うん。じゃあその、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 でも握手する勇気なんかなかったから、ぺこっとお辞儀したら、エルフィーネさんも丁寧に頭を下げて挨拶してくれた。


「よし、これで一安心だな! 無理そうならさっさとサイモンに仕事を紹介してもらいな。坊主はポーションが作れるんだから、冒険者をやりながら薬師を目指すってのもできる」

「そうね。エルフィーネだって目もいいし器用だからね。もし冒険者がだめでも大店のお針子にだってなれるさ」

「うんうん! 衣屋にも紹介できるしね!」


 ジェフさん、ライラさん、マイヤさんとほとんどの冒険者はほっとしてくれてるけど、奥の方のあいつらからはなんか舌打ちが聞こえた!

 怖いからそっちは見ない! 見ないぞ!!


「あ…ありがとうございます」

「いいってことよ。うちのかみさんはぶきっちょでな。さっきは外套を縫ってくれて助かったぜ」

「冒険者同士、お互い様さ。まあ一回やってみるんだね」


 深く頭を下げたエルフィーネさんにジェフさんが照れくさそうに笑って、ライラさんもぽんぽんと彼女の細い肩を抱いた。

 仲間ができたって言うより、よその家の大事なお嬢さんを預かったというか、正直押しつけられた気分だ……。

 でもまあ、しょうがない。なるようになれだ。


「えっと、じゃあ早速お仕事いっしょに見ようか?」

「はい」


 き、緊張する…!!

 エルフィーネさんと今の自分の体格からだけど、中学生のころにくじ引きで体育委員になって、クラスの女の子と二人でいろいろやらなくちゃいけなくなったときみたいだ。

 あのときもべつにいやな顔とかされなかったけど、あっちも俺もおとなしいタイプでさ、お互い緊張してすごくぎくしゃくして気まずかったんだよな。


「こうして見たら、やっぱり魔法の草で有名なラトリ草の依頼が一番多いですね」

「うん。っていうか薬草と毒消しの原材料って定番なんだなあ」

「このあたりの薬草はいろんな薬の材料になりますから、それもあるでしょうね」


 緊急納品希望の依頼書が何枚かあるけど、それとはべつに「端数があればいつでも買取します」って大きいのが貼ってあるぐらいだもんな。

 ほかの仕事のついでに摘んできて、まとまった数は依頼書に合う数だけ現物渡しにして、残りは買い取ってもらう人が多いみたいだ。


「依頼を受けて集められなかったら失敗になりますし、もし失敗を繰り返したらわたしたちみたいな初心者だと認定取消になってしまうそうです」

「そっか。じゃあ依頼を受けてから行くんじゃなくて、薬草を集めてから依頼書を見て決めようか」

「はい」


 実は鞄の中に結構な数のいろんな薬草が入ってるから、いざとなったらこれを出せば大丈夫! 最初に失敗するのはいやだし、この安心感は大きい。

 よし、方針が決まった!


「じゃあ、さっそく出発しようか」

「はい。皆さん、ありがとうございました」

「おう、気をつけてな」

「絶対に無茶はしないんだよ」

「暗くなる前に帰ってきてね」


 二人でぺこっと頭を下げると、サイモンさんは無言で、ジェフさん、ライラさん、マイヤさんやほかの冒険者の人たちは笑顔で見送ってくれた。

 奥の連中はやっぱり面白くなさそうだったけど、突っかかってこられなくてよかった。

 先にエルフィーネさんを行かせて続いた俺の背中に突き刺さるいやな視線を思うと、もちろん警戒心は忘れちゃいけないけどね……。

 絶対、彼女から目を離さないようにしよう。

 少なくともいっしょにいる間は、このお嬢さんを守らなくちゃいけない。

 引き受けた以上、これは大人だって自覚がある俺の責任だ。

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