第36話 恋愛イベントが終わってました


 三日ぶりに行った奥御殿おくごてんはいつも通りだった。

 いつも通りに見えたけど。桜姫が真剣に読んでいる本が、花言葉の冊子から違う本に変わっている。

 手にしているのは、薄紅うすべにの可愛らしい色の書籍ほんだ。


 姫、本を読むタイプなんだ? これならすすめれば兵法書へいほうしょも読むかな?

 そんな事を思いながら、縁側えんがわに座る姫のそばに近づいたけれど、桜姫は真剣に本に目を落としたままだ。

 何の本を読んでいるんだろう。興味津々きょうみしんしんで私は姫に声をかけた。


「姫、本は面白いですか?」


 私に気付いていなかったらしく、姫の肩がぴくりとねる。


「あ、ああ雪村、来ていたのね」

「はい。所用でしばらく、こちらには来られませんでしたが、お変わりはなかったでしょうか」

「大丈夫よ? ふふ、何だか久し振りな気がするわね」


 優しく笑いながら、本をかたわらに置いてあった文箱ふばこにそっと仕舞しまう。


「私にかまわず読書を続けて下さい。姫はどのような本がお好きですか?」


 桜姫が曖昧あいまいに微笑んで誤魔化ごまかしている様なので、私も話題を変えることにした。


「そういえば私が来ていない間、花のやりとりはどうしていましたか? 返花があるならお届けしますが」


 曖昧だった笑顔が明確めいかくったので、私は再度、話題を変えることにした。




 ***************                *************** 


 雪村が子供の頃から勤務している侍女が、茶を置きながらゆったりと笑う。


「まあ雪村、三日ほどいただけなのに、随分ずいぶんと久しい気がしますね」

慈光寺じこうじの方へ行っておりました。ご挨拶あいさつしてから出発しようかとも思いましたが、早朝にちましたので。姫にもご不便をおかけしたかも知れません」


 結局、あれから花のやりとりはどうしていたのか。聞きたいけれどはっきり言えず、言葉をにごす。

 桜姫は触れてほしくなさそうだったけど、そこはやっぱり気になるよ。

 私の気持ちをさっしたのか、侍女のひとりが口をはさんだ。


「兼継様のお返花なら、安芸あきが届けに参りましたわ。小耳にはさんだのですが、雪村は安芸と、あまりお話はなさいませんの?」


 あきさん? 誰だろう。


 考えるような表情になった私を見て察したのか、侍女衆がざわりとさざめいて、顔を見あわせている。

 これは不味まずかったのか? 慌てて「そうですね、あまり」と誤魔化ごまかした後で、私はお茶をいれてくれた侍女に向き直った。


「慈光寺は昔のままでなつかしかったです。和尚も私を覚えていて下さって。お歳を召しても変わらずお元気そうでした」

「あちらの寺子屋てらこやは遠いから、貴方はあまり通わなかったのにねぇ」

「そうですね。世話役だからとおっしゃって、勉強は兼継殿が見て下さいましたし」

「貴方は学問より、身体を動かす方が好きな様子でしたけどね」


 年嵩としかさの侍女が揶揄からかうようにそう言うと、まわりの侍女衆が一斉いっせいに笑いさざめいた。

 ああ、何か雪村らしいな。私も笑いたい気持ちになりながら、お茶を手に取る。

 それを微笑ほほえみながらながめていたくだんの侍女が、何でもない事のように聞いてきた。


「そういえば雪村、貴方「女性に恋愛感情は持てない」と言っていたそうね?」

「ゆきっ……! もがっ」


 慌てた様子で腰を浮かせた桜姫の口に、侍女のひとりが饅頭まんじゅうを突っ込んでいる。

 ……何のことだとしばらく考えた後で、やっと寺に行く前の晩の事を思い出した。


 ああ、あの事か。あの時は動揺どうようしまくったけど、変な誤解はされなかったみたいだし、何てことはない。


「はい。兼継殿には子供あつかいされました。恋をよく解っていないと」


 お茶をいただきながら返事をすると、侍女衆から一斉に溜息ためいきれる。


「……天然よ」

「天然だわ」


 そんなひそひそ声が聞こえてきたので、そこは否定しておかなければいけない。

「実は中身が女なので、女の子相手に恋愛感情は持っていません」なんて、兼継殿に言えないだけだよ。

 そもそも「天然」って、あんまりめ言葉じゃないと思う。


「別に私は天然ではありません。兼継殿が私の事を子供扱いしすぎなのです」

「まあ! 雪村は兼継様に『子供扱いして欲しくはない』のですね?」

「はい」


 何を当たり前の事を言っているんだろう。

 そう思うんだけど、侍女衆の盛り上がりっぷりが半端はんぱない。



 ***************                ***************

 

「……雪村は、燃料を投下しすぎだわ」


 桜姫が頭を抱えながら私を見上げた。

 あの後、侍女衆を部屋から追い払って二人きりになった途端に、姫は説教モードに突入した。

 しかし本当に、何のことだかまったく分からない。


 訳がわからなくて戸惑とまどっている私を見て、桜姫が溜息ためいきをついた。

 そして文箱ふばこから、先ほど仕舞った薄紅うすべに色の書籍を取り出して、私の前ににかざす。タイトルは手で隠れていて よく見えない。


「いっそ知っていた方が回避できるかもしれないから教えておくわね。これは越後の侍女衆が作った冊子。冬の間の内職ないしょくにしているらしいわ」

「へえ。すごいですね」


 感心する私に、ええ、まあ、とつぶやいて咳払せきばらいをした後、桜姫が改めて口を開く。


「でも物語を作るにはモデ……ええと、知っている誰かを主人公に見立てて、それに想像を加える事があるらしいの。だからね、あまりおかしなことを話すと参考にされてしまうでしょう? くれぐれも気を付けてね」

「はい。しかし私は別に、面白い事など話していませんよ」

「そっちの「おかしい」ではなくて」


 ふおお、みたいな変な息を吐きながら桜姫が頭をきむしる。


 どうしよう、しばらく来ないうちに桜姫が変になった。





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