第19話 大阪脱出1

 

 しばらく茫然としていたらしい。

 やしきに駆け込んできた 慌ただしい馬蹄ばていの音で、私は我に返った。


「雪村様!」


 兄上付で登城していた家臣のひとりが、青ざめた顔でひざまずく。


「城で何があった!?」

「信倖様より、急ぎ登城せよとのお達しです。お急ぎ下さい!」

「分かった。兄上が城より戻られたら、急ぎ出立しゅったつする。真木の者はく支度せよ」


 私が固まっている間に、中の『雪村』が“表”に現れて指示を出し、弾かれたように駆けだしていく。


 駄目だ、まずい。この先の展開が解らない。

 ゲームではこんな展開は無かったよ!



 邸から走り出たところで、かたわらで空気が揺らぎ ほむらが並走する。

 その背に乗ると、炎をまとった白虎は、滑空するような速さで小路を駆け抜けた。



 ***************                *************** 


 大阪城は、想像していたよりも静かだった。

 ただ、ぴんと張りつめた ただならない気配が、痛いほど伝わってくる。


 ほむらを待たせて 搦手門からめてもんから中へと滑り込むと、青褪あおざめた顔色の桜姫が、兄上に支えられて立っていた。

 どういう訳か影勝様も一緒に居て、辺りに目を光らせている。


「雪村、少し不味い事になった。諸大名しょだいみょうの前で、桜姫が嵐をしずめてしまった。今は美成が抑えてくれているが、しばらく姫を隠す」

「雪村!」


 兄上の言葉が終わらないうちに、桜姫が駆け寄ってきた。

 戸惑いと恐怖がぜになったような表情で、ぎゅっと抱きついてくる。

 小さな身体を抱き返しながら、私は姫の背中をぽんぽんと叩いた。


「姫、大丈夫です。私が必ずお守りします」

「兼継に早馬はやうまを出した。越後へ行け」


 鋭い目つきのまま言った後、影勝様は、着ていた羽織はおりを投げ寄越よこしてきた。

 越後上森家の家紋かもんが入った羽織だ。


「それがあれば、越後までの道中はとがめられまい。……今ならまだ。急げ」


 国境を通るにはそれなりの手続きが必要る。

 上森の家紋があれば、越後までの道中はフリーパスになるって事だ。


 ……富豊とみとよ関所せきしょを封鎖されるまでは。


 影勝様の表情がわずかに苦々しく見えるのは、たぶん克頼様が、独断でやらかしてしまったせいだろう。

 桜姫の神力を説明するには、剣神公や上森家を巻き込む事になる。


 影勝様には大変な迷惑をかけているな。

 私は影勝様に頭を下げ、姫を抱き上げてきびすを返した。


「雪村」


 呼び止める声に振り向くと、兄上が神妙しんみょうな顔でこちらを見ている。


「いつもお前に、このような役回りをさせてしまう。すまない」

「姫をお守りするのは信厳公のご遺言です。それに私の意思でもありますよ」


 兄上は、まだ何か言いたそうに口を開いたけれど、それは言葉にならずに消える。

 私は兄上にも頭を下げ、今度こそ城の外へと駆けだした。



 ***************                *************** 


「少し飛ばしますから、しっかりつかまっていて下さい」


 その言葉が伝わったのか、疾走しっそうするほむらの速度が跳ね上がる。

 城で何が起ったのかは分からないけど、青白い顔色のまま震えている桜姫に問う気にはなれない。

 少しでも寒さがしのげるように、影勝様の羽織でしっかりと姫を包んで、私は周囲を見回した。


 途中、いくつか越えた関所では見咎みとがめられることは無かった。

 しかし空を見上げると、何体かの早馬はやうまが駆けていくのが見える。


 この世界の『早馬』も、伝達事項を知らせるために使うけれど、羽が生えた天馬で空を飛ぶから、伝達の速度がやたらと早い。

 スピードだけなら ほむらも負けない。でも今は二人乗せているから、幾分いくぶん遅い。

 そろそろ不味いかも知れない。


「姫、道を逸れます。獣道けものみちになりますが、少し我慢して下さいね」

「……雪村、ごめんなさい」


 小さな声が胸元で聞こえて、私は羽織ごと、姫を抱く手に力を込めた。


「克頼様が、何か無体むたいをなさったのでしょう。姫は悪くありませんよ」


 克頼がやらかすのは知っていたけど、それ以降が携帯版のゲーム展開とは違う。NEOでシナリオが変わったのかな?

 あのゲーム、改訂されても攻略対象が増えるだけで、ストーリー展開は変わらないと思っていたのに。

 そう思いながら、私は周囲の森の気配を探った。


 まずは追手おっての心配だ。それに森には野盗も居たりするから、油断は出来ない。

 とりあえず怪しい気配は無さそうなので、街道を逸れて山の中へと分け入る。



 しばらく駆けたその先。薄暗くかげる森の奥で人影がゆらりと揺れた。

 ……何体も何体も。

 野盗か? 咄嗟とっさに刀を抜きかけたけれど、あれは違う。


 戦が多いこの時代は『想いを残した霊が、成仏出来ずに地に縛られる』事なんて、よくある事だ。

 刀のつかに手だけ掛け、ほむらのスピードを一気に速めて、青白く揺らぐ自縛霊の間をすり抜ける。


 痛い思いをして死んだ人を、これ以上斬りたくない。



 土蜘蛛みたいな異形の『怨霊』は討伐できるけど、人の霊を相手にするのは苦手だな。

 こんな事で、いくさがあるこっちの世界でやっていけるのかな。


 ほんとにどうして私、『雪村』に転生したんだろう。難易度なんいど高いわ。

 私は桜姫に気付かれないよう、そっと息を吐いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る