第七話 運動靴とひと目惚れ

中島胡桃

 紫陽花をデッサンしている中島さんに、ぼくは極力明るく話しかけた。

「中島さんって絵、上手だね」

 ゆるりと中島さんはぼくを見る。

 比較的高い背丈。つるりとした瓜実顔。うなじのあたりで束ねたまっすぐな長い黒髪。太めの眉が、親しみやすさと意志の強さを表しているように見える。

「ありがとう」

「むかしからやってるの?」

「違うよ。中学に入ってから。木皿儀くんもうまいと思うけど」

「え、ああ」

「ちゃんと質感出てると思う」

「ありがとう……」

 ようやくお礼だけ返す。ぼくが照れてどうする。

 でも褒められるとは思っていなかった。内心ちょっと上達しているのではないかと慢心していた。動機が動機なので、喜びとうしろめたさがないまぜになる。

 思わず自分の画用紙を隠そうとするけれどちょっと大きくて、両手をカルトンの縁に伸ばしたまま固まってしまう。

 周囲へ視線をそらす。

 美術室の時計は午後四時を指している。ぼくと中島さんがデッサン用の席にいるだけだ。すこし前まで萩尾もいたはずだけれど、鞄だけ残して教室にはいなくなっていた。

 ぼくの変な姿勢を気にすることなく、中島さんはいう。

「最近、熱心だよね。木皿儀くんってもっと部活やる気ないんだと思ってた」

「まあ、宿題やっててもいいしね」

「おはぎちゃんが目当てとかじゃないの」

「おは――」

 牡丹餅。炊いた米に餡子をまぶした和菓子。あるいはそれに顔と手足が生えたゆるキャラのようなものを一瞬想像するけれど、もちろん違う。萩尾のことだ。

「違うよ。べつに目当てなんてないって」

「えー、ほんとに? たまに楽しそうに話してるじゃん」

「萩尾はいいやつだよ。嘉勢以外、みんな避けてるけど」

「ずばりいうね木皿儀くん」

 そういう中島さんもえらくマイペースで直截的だと思う。

 中島さんは眉根をよせる。

「べつに避けちゃいないけど、話すきっかけがないだけ」

 返す言葉はない。中島さんたちに、萩尾と友だちになるよう説得する義理などない。萩尾も余計なお世話だというだろう。

「木皿儀くんだって、あんまりわたしらに話しかけてこないじゃん」

「ぼくは人と話すの苦手だから」

「せっかく同じ部活なんだし、仲よくしようよ」

 どういう理屈なんだと思う一方、気になるところがないでもない。

 現在の美術部員は一年生のぼくたちでほぼ全員だ。二年生はおらず、三年生は数人所属してはいるけれど、受験勉強のために顔を出すことはない。部は萩尾と嘉勢とぼく、芹澤さんと中島さんのふた組に分裂しているように見えなくもない。

 中島さんは次期部長に推されているらしいし、ぼくを中継点にこのふた組の交流を考えているのではないか。萩尾はあんな性格だし、上野のこともあって嘉勢と芹澤さんはかなり気まずい雰囲気だ。つなぎ役なら、ほぼ部外者に等しいぼくが妥当だろう。

 普段なら、そんな役回りはまっぴらだ。しかし、これは芹澤さんの動向について知る好機でもある。

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