六月十八日水曜日③

 ぼくたちはこんどこそ準備室を閉めた。

 すこし冷静になったおかげで、さきほどの興奮が反省される。探偵ごっこがすぎる。くまたろうの妄想を打ち消すのではなかったのか。

「萩尾のいうとおり、血が扉まで飛び散っていたとして、右の戸だけ血がついてなかったとしよう。でもそれなら、扉が開いてたんだって見た人もさすがにわかると思う」

「まあ、そうだよね」

「そもそも血が飛び散っていなかったのなら、まあ、血だまりさえ越えられれば、犯人は出入りできることになるけど」

 扉に血がついていたかどうか、はっきりしないことには埒が明かない。芹澤さんか中島さん、あるいは三枝先生に尋ねればわかるかもしれない。

 でも、とぼくはいう。

「やっぱり血はついてたんだと思うよ」

「なんでわかるの」

「証拠はないけど。でも、上野には自殺する動機がないのに、これだけ騒がれてないところを見ると、やっぱり明らかに自殺したふうな状況だったんだよ、きっと」

「変な理屈。ふつう動機がないなら、殺人かもって思うじゃん」

 萩尾は頑として譲らない姿勢だ。

 直接の回答はせず、ぼくはつづける。

「それに、さっきもいったけど、芹澤さんはそんなことする子に見えないよ。たとえ誤って殺しちゃったとしても、正直に告白するんじゃないかな」

「わかんないでしょ。木皿儀、芹澤さんとそんなに話してもいないじゃない」

 気づいていたのか。

「遠くから見た印象も重要だよ」

「しれっといわないでよ。なんの証拠にもならない」

「常識的に考えてよ」

「常識ぶってるだけじゃないの」

 誰より萩尾にいわれたくはない。

「とにかく芹澤さんはない」

「じゃあ誰が犯人だっての」

 さっきも聞いたセリフだ。こんどは指折り数える。

「芹澤さんじゃなければ、中島さんか竹村くんか。あと萩尾?」

「わたしなわけないじゃん」

「でも、密室をつくれるやつから絞ればそうなる」

 ぼくは萩尾が口を開く前にきっぱりいう。

「やっぱり上野は自殺したんだよ」

 萩尾は無言だ。心なしかばつが悪そうに視線を泳がせている。

 数日経ってみて、萩尾自身も苦しいと思っているのだ。冷静になったついでに魔法も解ければいい。気分が変われば設定も変わる。幼いころからそうだ。

 それに今回は、ぼくだけならまだしも、部外者の芹澤さんまで巻きこもうとしている。撤回させるに越したことはない。

 じっさい上野の死は、萩尾にはあまり関係がないのだ。

「いちばんの問題は、嘉勢に届いた紙切れでしょ?」

「……うん」

「解くべきは密室の謎なんかじゃないよ」

「誰が書いたか?」

「いや。それだって、ただのいたずらってことですむなら、触れないほうがいい。嘉勢本人も放置してるわけだし、問題を大きくするべきじゃない。似た手紙が繰り返し送られてくるとか、変な噂が立って嘉勢にさらに迷惑がかかるとかじゃなければ――」

「もう立ってるよ」

「え?」

「噂、もう立ってる。木皿儀、グループ入ってないでしょ」

 グループ、とつぶやくぼくに、萩尾はスマートフォンを見せる。持ちこみおよび使用禁止という校則なのだけれど、有名無実化している。

 画面には、某有名SNSの、縦に列をなした吹き出しが表示されている。

「これはわたしのクラスのグループ。直接的なことは書かれてないけど、静奈ちゃんに原因があったんじゃないかって、ほのめかしてたりする人もいるの。しかも、話してるのは芹澤さんと仲いい子たちばっかり」

「……」

「なに黙ってるの」

「……いや。萩尾がクラスメイトとSNSをやっているという事実に驚いている」

「そっちじゃなくて」

 萩尾はため息をつく。

「木皿儀、スマホ買ってもらったの最近だもんね。グループあるなんて知らないよね」

「さすがに知ってるよ。ただ、いまさらグループ入れてとかいえないじゃん」

「べつに無理して入る必要はないと思うけど。芹澤さんの観察は、こっちでだってできるんだから」

「自分の社交性に自信がなくなってきた」

「へこみすぎだよ。わたしだって、入学式の顔あわせがきっかけで入っただけ。あんまり発言してない」

 なんでもないというふうに萩尾は、スマホをポケットにしまう。

「いいかげん、はぐらかさないでよ。どうするの」

「どうするって」

「静奈ちゃんにあらぬ噂が立ってるんだけど」

「それは――」

 嘉勢がつらいかによる、といおうとしてやめる。

 絞めつけるような息苦しさを感じる。萩尾にはわからないように、無表情を装う。

 あの嘉勢が渦中にいるという時点ですでにいやだ。かたちの掴めない暴力はもっと胸糞が悪い。怒りと恐怖がないまぜになって、最後には無力感しか残らない。

 けれど、つらかったとして、だからなんだ。

「ぼくたちには、なにもできないだろ」

 日が翳った。

 サッカー部員たちの声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 そろそろ下校時間だ。窓を閉めて、鍵を返しにいかなくてはならない。

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