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「おい蒼……先輩」

「あら、私を直に呼ぶなんてどうしたの? 他の男子に見られたらあんた明日を待たずして人生終わりかねないわよ」

 部活がない月曜日は裕介たちと自転車で帰るのが常だが、今日に限っては奴らとは別行動。

 高校の正門で帰ろうとする蒼を、俺は待ち構えていた。

「毎回あんたに声かけることまで命をかけないといけないの?」

 冗談よ。と蒼はクスクスと手を口元にあてて笑う。

 蒼はどうやら歩きでの登下校のようで、自転車を持っている様子はない。

 仕方なしに俺は自転車を降り、蒼の二歩ほど後ろを歩きだす。

 幸いにも(幸いかは分からないが)、あたりに横浜中央の生徒がいる気配はなかった。

「話が違うじゃねぇすか。別にそれはそれで問題ないけど」

 まずは一言。

 別に本気でGTS部に入りたかったというわけではない。

 綺麗にレールを敷かれているかと思って部室に行けば、一転してレールは途中で外されていた。なんだったらコーヒーをぶちまけられていたのだ。一言くらい文句は言いたい。

 しかし蒼は全く悪びれる様子はなかった。

「滝くんはなかなかあれでちゃんとした人だから、全然想定内。むしろ明日を待ってくれるだけ最悪の事態は免れたと言っていい」

「ちなみに最悪の事態だとどうなってたんだ?」

「そらもう今日の夜にはSNSというSNSであんたの痴態がバラまかれてたわ」

「俺に全く非がないのに命を奪おうとするのやめてくれない? 魔女狩りかなにか?」

 昨日から何かと俺の人生を終わらせようとしてくる奴だ。全く信用できない。

「そういえばあんた、昨日は俺の痴態を撮ることが目的だったんならあのビンタは余計だったんじゃないか?」

「思い出させないで。あんな汚いものとは思わなかったんだから」

「わざわざ乗り込んできてどんな暴君? それに汚くないんだが? 俺のエディは毎日ちゃんと洗ってるしキレイキレイなんだが?」

「前アルバートだったじゃない」

 どこまでも話題を逸らす奴だ。

 ここで大事なのは、俺はビンタをされる意味があったのかということなのに。

「次にこの話したら海城家の総力を挙げてちょん切るわよ」

「総力挙げる必要はなくない?」

 しかしこれ以上の詮索はとんでもない脅迫を受けてしまい、不可能になった。

 たった一本しかいない相棒に対して、なんて大げさな奴だ。

 照れ隠しにしては暴力の度合いが過ぎる。心なしか股間がヒュンヒュンしてきた。

「あんたには期待してるのよ、福良大海クン」

 そして蒼は突然後ろを振り向き、俺をしっかりと目を合わせて、言う。

 その瞳は燃えるような期待と、何か別の意志を孕んだ深き何かを感じる。

 魔女を狩る方だと思っていたが、これではまるで彼女自身が魔女のようだ。その怪し気に光る蒼い瞳に、何人の人間が魅入られてきたのだろう。

 圧力に負け、俺は思わずたじろくように目をそらした。

 意を決して再び目線を合わせようとするも、蒼は既に前を向いていた。

「昨日声をかけて、今日話を通して、紆余曲折も経ることなく明日には入部が認められることになる。スムーズでいいわ」

 紆余曲折はだいぶ経てるよ。

 口に出しかけたが、そこはぐっとこらえる。言っても意味がないのもあるけれど。 

「あんた何か勘違いしてるぜ」

 GTSでの勝利を俺に期待しているのであれば、それは間違いだ。

 輝ける刻の獲得をもたらすことを求めているのであれば、それは大いなる過ちだ。

「俺はGTSで勝つ気なんてない。サウナを楽しんでいたいだけ。プレッシャーをかけられるサウナなんて、何の気持ちよさもありゃしない」

 ふと、足が止まる。自転車を押す手がブレーキを掴む。

 街灯の元で、蒼の足が止まっていたからだ。

 光の下にいる蒼と、暗がりにいる自分。

 何かの対比だったのか。それは現時点では判断材料があまりにも乏しかった。

「それが、自分の人生がかかっているとしても?」

「それが、自分の人生がかかっているとしてもだ」

 蒼の言葉を、わざとらしく復唱する。

 どんな状況であれ、どんな過去であれ、その考えは変わらない。

 どんな秘密を握られていようとも。

 福良大海の根幹にあるものは、譲れないからだ。

「サウナの本質は、そんなところにはないんだよ」

 本質。

 では本質とは何かというのは、高校生の時分では答えられない。若い身空で答えることは出来ない。

 それほどまでにサウナは、ととのうとは、高校生が語るには深淵過ぎるテーマだからだ。

「だからGTSで勝てなくても、俺は何ら気にしない。勝つ気が元々ないんだからな」

 GTS部の部室で参加の意思を見せたのは、あくまでもポーズに過ぎない。

 やったけど勝てませんでした、という結果に終われば、入部は出来ない。普通なら蒼も諦めるだろう。蒼が普通の人間かと言われれば疑問ではあるが。

 蒼だけには言っておく。自分の真意を伝えておく。

 それは俺の本気を示すためでもあり、誠意を示すためでもあった。

 断じて蒼なんかへの誠意ではない。

 サウナへの。GTSへの。誠意。

「でも、『勝ってしまう』わ。あんたは」

 しかし蒼は、自信ありげに笑う。まるで俺の全てを知っているんだと、言わんばかりに。

 訝し気に、俺は蒼を見た。

「誰かがどれほど勝利を恋焦がれても、あんたは勝利を譲らない。だからあんたに託すんだもの」

 蒼は大仰に両手を広げて見せる。

 街灯に照らされる彼女は、まさにステージの上の主演さながらだ。

 あたかも氷上の踊り子。フィギュアスケートの踊り手のように、楽し気にその場を一回りする。

「サウナの帝王をね」

 主演が、脇役ですらない、路傍の石ころ程度でしかないはずの俺と目線を交わした。

 しかしその行動は、主演にしてはあまりに違和感があった。ちぐはぐだった。審査員から見れば審議の対象だろう。

 一体なぜ。何故こいつは。

「どうして俺なんだ」

「え?」

 俺以外にも選択肢はあるだろうに。

 何故、俺しかいないのだと主張してくるのか。その真意が読み取れなかった。

「別に、俺でなくとも喜んでそのサウナの帝王とやらをやる奴はいるだろうに。ましてやあんたは「あの」海城蒼。言うことを聞くやつはごまんといるってのに」

 単純な疑念。

 GTSから遠ざかっていた俺を、自らが出張ってまでGTSの舞台に立たせる必要は何なのか。

 裕介も言っていた。「あの」海城先輩が。と。

 使える駒は何でも使う。それがお金であろうと、家であろうと。そして自分であろうと。

 だが盤上へと登場させた駒にしては、俺は安すぎやしないだろうか。費用対効果コストパフォーマンスは最悪だろう。

 かつて活躍したものの、盤上を一度降りた駒。再度使う意義は何なのか。

「さぁ……何でだろうね」

 だが蒼は真意を語ってはくれなかった。

 それとも本当に、蒼自身ですらまだはっきりしていないからなのか。

 はぐらかす。はぐらかされる。

 蒼は初めて、何故か寂しげな表情を浮かべた。

「とにかく、明日は期待してるわ。私は間違ってなかったと、証明してみせて」

 そして彼女は青信号が点滅する信号を走って渡る。

 追いかけようとも思ったが、彼女が渡り切ったと同時に赤信号になった。

 

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