一五章 先史文明の塔

 ――明るい。

 後ろで音を立てて塔の扉が閉まる。そのとき、メインクーンが真っ先に思ったのがその一言だった。

 それぐらい、塔のなかは明るかった。

 外から見る限り、塔は全面が壁に覆われており、窓ひとつ見当たらなかった。つまり、外から光を取り入れることはできないはず。となれば、扉が閉まってしまえばなかは暗闇に閉ざされる。そのはずだ。ところが――。

 「外と同じ。いいえ、それ以上とも言っていいぐらいに明るい」

 メインクーンが思わずそう呟くほど、塔のなかは明るさに満ちていた。

 と言って、塔のなかに光源があるわけではない。北方大陸で広く使われている魚油のランプはおろか、松明ひとつ、ありはしないのだ。そもそも、そのような火によって作られる明るさとはちがう。塔のなかの明るさは外と同じ、つまり、日の光によって生み出される明るさそのものだった。

 もちろん、塔のなかに太陽がある、などというわけではない。それなのに、塔のなか全体が外と同じ、日の光に満たされている。

 「これは……空気そのものが光っている?」

 そうとしか言いようがなかった。

 まぎれもなく、塔のなかの空気そのものが日の光を発して、輝いているのだ。

 「空気のなかに日の光を溶け込ませている? そんなことができるものなの?」

 理屈の上では可能だろう。日の光とは要するに光の魔力そのもの。光の魔力を操り、大気のなかに充満させれば、大気そのものを太陽のように光らせることは可能なはずだった。しかし――。

 「そんなことが出来るなんて聞いたこともないけど」

 トリトン公国で『誰?』のもとで学んでいたときも、そんな技術に関しては見たことも、聞いたこともない。まして、この塔は少なく見積もっても七〇〇年から昔のもの。そんなにも長い時間、大気のなかに光の魔力を充満させつづけているとなると……。

 「いったい、どういう技術?」

 メインクーンがそう呟くのも無理のない、現代世界とは隔絶した技術だった。

 「これが第一文明期の技術、〝失われた技術〟だって言うなら……」

 つくづくと――。

 メインクーンは溜め息交じりに呟いた。

 「まるで、魔法ね」

 いささかおかしな表現になってしまったが、そう言うしかない。

 魔法を使えないものにとって魔法の仕組みなど想像も出来ないように、この塔にはいまの時代のヒトでは想像も出来ない仕組みが使われている。

 メインクーンは辺りを見回した。

 「……広い」

 思わず、そう呟いていた。

 塔のなかには何もなかった。ただ、ただ、床が広がり、周囲を壁か覆っている。装飾や調度品の類いはおろか、小石ひとつ落ちてはいない。

 がらんどう。

 まさに、そう言うのがふさわしい光景だった。

 ただし、敵もいない。すばるの言っていたような『魔物』などどこにもいないし、気配すらない。隠れている、と言うわけではない。いくら巧みに隠れたところで〝知恵ある獣ライカンスロープ〟の鋭敏な感覚から逃れられるわけがない。その〝知恵ある獣〟の感覚が何も捉えないというのなら、そこには正しく何もいないのだ。

 そのことは自信をもって断言できた。

 そして、何もない塔のなかは広かった。もちろん、外から見た塔が小さく見えた、と言うわけではない。何しろ、その頂点は雲にまで届くような恐ろしく高い塔なのだ。城がひとつ、丸々と入ってしまうような直径を誇る塔であることはわかっていた。しかし――。

 こうして、なかに入ってみる塔の内部はその印象よりもさらに広い。外から見たときより三倍は広そうだ。一面からしか見えなかったから塔の本当の大きさがわからなかったのか。それとも……。

 「本当に、なかの方が広い?」

 メインクーンはいぶかしげに呟いた。

 「見た目は小さいのになかに入ると驚くほど広い、なんていう家は物語のなかにはよく出てくるけど……まさか、それを実現させている?」

 これも、第一文明期に生み出された〝失われた技術〟だと言うことか。メインクーンは頭を振って、考えることをやめた。第一文明期の技術に関していちいち気にしていたら神経がもちそうにない。

 「それより……」

 メインクーンは周囲を見回しながら呟いた。

 「どうやって、上に登るの?」

 塔のなかには何もない。つまりは、階段もなければ、梯子もない、ちょっとした段差すらないと言うことだ。これでどうやって上にあがれと言うのだろう。

 上を見上げてみる。上にはたしかに天井があった。

 しかし、高い。

 恐ろしく高い。

 普通の家の天井の一〇倍、いや、それ以上に高そうだった。見上げているだけで首が痛くなってくる。

 あんな高さ、人間はもちろん、〝知恵ある獣〟だってジャンプして飛びつけるものではない。もちろん、飛翔の魔法を使えば別だが、

 「飛翔の魔法が必須なら使えるかどうかぐらい確認するはずよね」

 と言うより、昴であればメインクーンが生粋の戦士であり、巫女でも、魔導士でもないこと、つまり、魔法は使えないと言うことはわかっていたはずだ。塔の最上階に登るためには飛翔の魔法が必須だと言うのなら、飛翔魔法の使い手を付けていたはずだ。

 もちろん、『マヤカに会わせる』と言うのが嘘で、メインクーンを塔のなかに閉じ込めて野垂れ死にさせるのが目的だったと言うなら話は別だが。

 「そこまで陰険なやつではないはずよね。顔はたしかに陰険ぽかったけど、性格はそこまでじゃなさそうだったし」

 わたしを殺すつもりなら、そんなだまし討ちではなく堂々と処刑するはず。

 そう思う。

 会って間もない相手とは言え、メインクーンの昴に対する評価は決して低くはない。いい人、とか、仲良くなれそう、とか言うのとはちがう。

 悪人として信頼している。

 そう言うのが適切だろう。つまり、コソコソ隠れて悪事を行うような小悪党ではない。どんな大それた悪事も堂々とやってのける。それこそ、百万の赤ん坊を焼き殺す、と言うようなことであってもその必要性を堂々と主張し、顔色ひとつかえずに人前で平然とやってのける。

 そう言うタイプにちがいない。

 逆に言えば、自分が『それが必要だ』と思わないことはやらない、と言うことでもあるのだが。

 その昴が他人を騙して塔のなかに閉じ込める、などという姑息な真似をするはずがなかった。まして、『うっかり忘れていた』などと言う間抜けであるはずがない。最上階まで登るよう言ったからには、メインクーンひとりで登っていくための方法があるはずなのだ。

 「それを探し出すのもテストの一環と言うことね」

 となれば、探し出すしかない。

 自分はなんとしても覇者マヤカに会い、聞かなければならないのだ。

 なぜ、戦争を起こしたのか、と。

 メインクーンは塔のなかをくまなく調べて回った。と言っても、床と壁と高すぎる天井しかない殺風景な塔だ。改めて見てみるまでもなく周囲を一望できるのだが。

 「これは、なに?」

 塔の中央、そこに、おとな五人ほどが無理せず乗れるぐらいの大きさの円盤が置いてあった。円盤の中央にはメインクーンの胸ほどの高さまである小さな台座がついており、その上には小さな妖精を象った人形が乗せてある。

 「これは……〝手伝い妖精ブラウニー〟? なんで、こんな人形があるの?」

 メインクーンは呟きつつ、〝手伝い妖精〟の人形に手を伸ばした。そのとき――。

 ぞわり、と、メインクーンの首筋の毛がそそけ立った。

 危険が迫っている。

 獣の本能がそのことを察知している。

 それを知らせる前兆だ。

 メインクーンは己の本能に忠実だった。いぶかしく思い、身を危険にさらすような愚かな真似はしなかった。疑う前に動いた。転がるようにして前に駆け出した。なぜ、前に駆けたかというと、そこにだけは何もいないことがわかっていたからだ。

 まずは、逃げて安全を確保する。

 何があったか確認するのはそのあとでいい。

 その獣の生存本能のままにメインクーンは動いていた。

 ブン、と、音を立てて、一瞬前までメインクーンの頭があった場所を風が薙いだ。

 メインクーンは充分な距離を取ってから振り向いた。そこには奇妙な存在が浮いていた。菱形の胴体から二本の太い腕を伸ばした一つ目の生き物……。

 「生き物……なの?」

 メインクーンは思わず呟いていた。

 こんな存在、今のいままでたしかに存在していなかった。どこにもいなかったのだ。

 気配を殺してこっそり近づいた、などということも考えられない。どんなに気配を隠したところで物体が動けば大気は揺れる。その大気の揺れがどんなにわずかなものであったとしても〝知恵ある獣〟の鋭敏な感覚が見逃すわけがない。まして、この自分が気付かないわけがない。

 メインクーンにはそれだけの自信があった。と言うことは――。

 「いきなり、その場に現れた?」

 そうとしか思えなかった。

 その生き物? はフラフラと宙を漂いながらメインクーンによってきた。腕を伸ばした。殴りつけようとしているらしい。しかし――。

 ――遅すぎる。

 メインクーンはむしろ、呆れ返った。

 こんなトロさでヒトを殴れるつもり? これなら、素人だって余裕で避けられる。まして、わたしなら……。

 メインクーンは『避ける』などと言う意識すらせずに、その腕の一振りをかわしていた。

 かわされたあとの反応も鈍い。隙だらけだ。メインクーンは腰の長刀を抜き放った。謎の生き物? 目がけて水平になぎ払った。謎の生き物? の攻撃に比べれば百万倍も素早く、美しい、まるで熟練の画家が描いた線のように美しい斬撃だった。

 白く輝く刀身が謎の生き物? の身に吸い込まれた。

 ほとんど手応えもないままに謎の生き物? の体は真っ二つになっていた。

 その手応えのなさはむしろ、斬りつけたメインクーンの方が驚くほどだった。

 真っ二つにされた謎の生き物? はそのまま千切れ、大気のなかに溶け去った。まるで、渦に巻かれた紙が千々に千切れ、そのまま溶けて、消え去ってしまうかのように。

 さしものメインクーンも目を丸くした。

 ――実体じゃない⁉ まさか、魔力を凝集ぎょうしゅうして義体ぎたいを作りあげている?

 それと同じことをしている種族はたしかにいる。

 精霊と呼ばれる種族だ。

 精霊、妖怪、妖魔。様々な名前で呼ばれるその種族は実体をもたない。本人の意思そのものを核として魔力を集め、仮初めの体を作っている。しかし――。

 ――いまのが精霊族であったはずはない。

 メインクーンはそう確信していた。

 精霊族なら必ず、意思の存在を感じる。でも、あれには何の意思も感じなかった。となると、どういうことなのか。

 ――まさか、人工的に魔力を集め、義体を作った?

 もし、そうだとするとそれは、人工的に精霊族を生み出している、と言うことになる。あの謎の生き物? が昴の言っていた魔物だとするなら、そして、その魔物をこの塔そのものが生み出しているのなら、なるほど。何百年もの間、魔物が現れ続ける理由も説明できる。しかし――。

 そんなことが出来るなんて聞いたこともない。

 これも、第一文明期に生み出された〝失われた技術〟なのだろうか。

 ポウ、

 ポウ、

 ポウ、

 ロウソクの炎のような音がした。

 まわりに何体もの同じ姿をした謎の生き物? が浮いていた。

 「全部、倒さないとすまない……そういうことみたいね」

 メインクーンは改めて長刀を構えた。


 ……戦闘はあっけなく終わった。

 謎の生き物? は弱かった。冒険者どころか、その辺の一般人でも倒せるような相手だ。ただ、それなりの数が出現したので手間はかかったが。

 「あいつらが昴の言っていた魔物? あの程度の連中ならたしかに、塔の外に出ても大したことはないだろうけど……」

 しかし、それならわざわざ討伐隊を繰り出す必要もないはずだ。町中で警備に当たっている衛兵たちだけで充分、対処できる。と言うより、市民でも棒切れ一本もっていれば退治できる。

 「もっと強力な相手がいる。そう思った方がいいでしょうね」

 しかし、どうすればそいつらと出会えるのか。と言うか、どうやったら最上階まで行き着けるのか。

 目的はそこなのだ。

 魔物退治ではなくて。

 「とりあえず、これしかないわよね」

 メインクーンは塔の中央の円盤に戻った。その上に乗り、台座の上にある〝手伝い妖精〟の人形にふれた。さきほどはこの人形にふれた途端、謎の生き物? が出現した。だったら、この人形が何らかの鍵なのにちがいない。

 となれば、二度目にふれれば何が起こるのか?

 同じことが繰り返されるのか、もっと強い魔物が現れるのか。それとも――。

 ふわり、と、音もなく円盤が浮きあがった。そのまま、遙かな天井目がけて飛びあがった。

 「飛んだ⁉」

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