一四章 黒衣の宰相
メインクーンを執務室に通すと昴は軽く謝罪した。
「先ほどは失礼した。よけいな手間と時間を取らせてしまったな。君ほどの逸材に対して取るべき態度ではなかった。衛兵の教育が足りないようだ」
「そうね」と、ここであっさりうなずいてしまうのがメインクーンである。
昴は気を悪くした風もなくつづけた。
「改めて名乗らせてもらおう。私は
「『昴』なんてかわいい名前ね。似合わないわよ」
メインクーンのその言葉に――。
昴はかすかに顔をしかめて見せた。
「それを言わんでくれ。似合わないことは承知している。だが、親が付けてくれた名だ。捨てるわけにもいかん」
その答えにメインクーンはかなり意外な気がした。いかにもやり手で、冷徹で、人を人とも思わないような態度をしているくせに、けっこう親思いなのだろうか。そう思い、ちょっとだけ見直したメインクーンだった。
「そんな名前を付けるなんて、生まれた頃は可愛かったのかしらね」
「そうかも知れんな。あいにく、私は覚えていないが」
そんな答えを返してくるあたり、見た目とちがってユーモア感覚も持ち合わせているのかも知れない。メインクーンは少しばかりこの男に興味をもった。
「でも、『昴』って北の名前じゃないわよね? 南の方の名前だと思うけど」
「その通りだ。私は
「南尾部? 南から北までこの広い大陸を縦断してきたわけ?」
「ああ、その通りだ。仕えるにふさわしい主を求めてな」
「仕えるにふさわしい主?」
「私の望みを叶えてくださる方だ」
「あなたの望み?」
コホン、と、昴は軽く咳払いした。
「私に用があってここまできたわけではあるまい。君は国王陛下に拝謁しにきた。そのはずだろう?」
「ええ」
「ならば、私のことより、陛下のことを話した方がいいだろう。そうは思わないか?」
「そうね。お願いするわ」
「けっこう。それでは、陛下に拝謁する方法だが……」
昴はそう言ってから話しはじめた。
「そもそも、君はなぜ、陛下に拝謁したいのだね? 門番に言ったことの繰り返しになってすまないとは思うが、まずはそれを聞かせてもらおう」
「なぜ、戦争を起こしたのか。それを聞くためよ」
「なぜ、そんなことを聞きたいのかね?」
「わたしは物心ついたときから母とふたり、戦火に追われて各地を放浪してきた。食べるものもろくにない暮らしだった。修道院の炊き出しにあってもスープを盛ってもらう器がなく、母が自分の手にスープを盛って、わたしに食べさせてくれたこともある。あのときの真っ赤に爛れた母の手をわたしは一生、忘れない。
なぜ、わたしたちはあんな目に遭わなくてはならなかったの? それが戦争のせいだと言うなら、そして、その戦争を起こしたのがシリウス国王マヤカだと言うなら、わたしはその答えを聞かなくてはならない。なぜ、戦争を起こし、わたしたちを苦しめたのか。その理由をね」
メインクーンは迷うことなくそう言い切った。もちろん、迷うわけがない。真っ赤に焼けただれた母の手からスープをすすったあのときから、ずっと思ってきたことなのだ。しかし――。
いま、こうして話している相手はどこかの親父などではない。マヤカに仕える臣下、それも最も近い存在だと言える宰相なのだ。そんな相手にマヤカを糾弾するようなことを言ってのける。不敬罪で捕えられても仕方のないところだ。それを承知で言い放つメインクーンの剛胆さは尋常なものではなかった。
一方で、メインクーンのその告発を聞いても顔色ひとつかえることなく平然とうなずいてのけた昴もまた、並の神経の持ち主ではなかった。
「なるほど。苦労したのだね、と、私が言える立場ではないな。私こそ、この戦争に対する責任を負っているのだから。しかし、君はいい母上をもった。母上はいま、どうしておられるのかね?」
「死んだわ」
「亡くなった?」
「ええ。別に戦火に巻かれて死んだわけではないけどね」
「……そうか。失礼ながら君の母上のご冥福をお祈りしたい。許してもらえるかね?」
「ええ」
メインクーンのその言葉に――。
「感謝する」
昴はそう言って片膝をついた。両手を組み、目を閉ざし、短いが真摯な祈りの言葉を捧げる。その姿はまぎれもなく本心からのものであり、相手を籠絡するための演技などではあり得なかった。
祈りを終え、昴は立ちあがった。
改めて口にした。
「ありがとう。私が君の母上のために祈りを捧げることを許してくれたこと、感謝する」
「どういたしまして。母も喜んでいる……とは言わないけど、気持ちは受け取っておくわ」
「ありがとう」
昴は重ねてそう言った。
「さて。話を戻すとしよう。君にはたしかに陛下に拝謁を望む理由がある。その理由は正当なものだと認めよう」
「じゃあ、会わせてもらえる?」
「その問いに答える前にもうひとつ、聞かせてもらいたい。陛下にお会いしてどうするのかね? くどいと思うだろうが、私としては危険人物を陛下の御前に連れ出すわけにはいかないのでね」
「聞いてから決めるわ」
「そうか。とすると、陛下のお言葉次第ではその場で殺すこともあり得る。そう思っていいのかね?」
「ええ」
『ええ』と、メインクーンは迷いなく答えた。まっすぐに昴を見据えながら。その目にはなんのためらいも、躊躇もない。
昴は小さく溜め息をついた。
「陛下にお仕えする宰相を前にしてよくぞそこまで言い切れるものだな。そのまっすぐさ、それは〝
「そう思ってもらってもいいわ」
「そうか。しかし、そうなると、私としては君を陛下に会わせるわけにはいかんな。臣下として陛下の御身を危険にさらすわけにはいかない」
「あなたがいれば問題ないでしょう。あなたは強い。わたしが何をしようと、あなたがいれば止められるわ」
その言葉に――。
昴はじっとメインクーンを見つめた。
ふと、視線をそらした。
「……そうか。それがわかるか」
昴は小さく呟いた。
しばらく間を置いてから再びメインクーンに視線を向けた。
「さて、それでは改めて陛下への拝謁について話すとしよう。聞いているとは思うが、陛下は大陸統一の大望を果たすために広く人材を募っている。君が極めて優れた戦士であることは見ればわかる。君ならば陛下は喜んでお会いすることだろう。ただし……」
「ただし?」
「陛下に拝謁を望むものは君だけではない。他にも大勢の能力自慢が拝謁を願い出ている。大国シリウスに仕え、一旗揚げようとしてね」
「わたしはシリウスに仕えたいわけじゃないわ」
「私としては君が陛下のお心にふれ、仕える気になってくれることを真剣に期待するがね」
昴がそう言ったのはお世辞や冗談ではないようだった。
「ともかく、陛下に拝謁を望むものは大勢いるわけだ。そして、もちろん、陛下は他にも多くの職務を抱えており、極めて多忙な身であらせられる。そのため、一日に会える客の数には限りがある。現時点でもすでに何十人という能力自慢が拝謁の順番を待っている。普通であれば君にもその順番を守ってもらわなければならない。すると、一ヶ月は待つことになる」
「そんなに待たせるつもり?」
メインクーンの瞳に剣呑な光が宿った。
昴はかすかに苦笑したようだった。
これは実に驚くべきことだった。
冷徹無比な宝剣。
その名で呼ばれる黒衣の宰相がこんな表情を見せるなど、もし、部下の誰かが見ればあまりの意外さに驚き、逆に怯えたにちがいない。
「そう睨まないでくれ。私はたしかに強い。だからと言って、〝知恵ある獣〟と戦うことを望むほど、好戦的でもなければ、無謀でもない。それに、私は『普通なら』と言った。順番を待たずに拝謁する方法もあるにはある」
「どうすればいいの?」
メインクーンはかわることなくまっすぐに尋ねた。
昴は答えた。
「外に出よう。君に見せたいものがある」
メインクーンが連れて行かれた先、そこは王都メグの中央、見上げるばかりに高い塔がそびえる場所だった。
高い。
恐ろしく高い塔だ。
先端は雲まで届いているように見える。
こんな高い塔は見たことも、聞いたこともない。いったい、どうすればこんなにも高い塔を築くことが出来るのか、見当も付かない。
「この塔には〝丘〟に入る前から気付いていたけど……何なの、これ?」
「第一文明期の遺跡だ」
「第一文明期?」
「その反応だとラ・ド・バーンの歴史については知っているようだね」
「勉強したから」
メインクーンはそう言ってから話しはじめた。
「ヒトの歴史は南尾部のしずかの海にはじまる。その地でヒトは文明を育み、ラ・ド・バーン全土へと散っていった。その歴史は大きく分けて四つに分類される。
しずかの海にとどまり、文明の基礎を築くまでの黎明期。
高度な文明が花開いた第一文明期。
その文明が滅び去り、混迷を極めた大崩壊期。
そして、現在の二次文明期」
「その通りだ」
滔々と淀みなく語られるメインクーンの説明に、昴は満足げにうなずいた。自分の出した課題に満点の答えを出した生徒に対する教師の態度だった。
「この王都メグは、この塔を中心に建設された第一文明期の
「でしょうね」
メインクーンは納得してうなずいた。
これほど高く、堂々とそびえ立つ塔だ。人々の耳目を集めないわけがない。
「そして、この〝丘〟は大国シリウスの王都として長らく繁栄することとなった。この塔をシンボルとしてね。しかし、困ったこともある」
「困ったこと?」
「そう。この塔からはときとして魔物が現れる」
「魔物?」
メインクーンは眉をひそめた。
「第一文明期って言ったら、もう何百年も前でしょう。確か大崩壊期が五〇〇年ほど続き、現在につづく二次文明期がはじまったのがおよそ二百年前。第一文明期の遺跡と言うことは、少なくとも七〇〇年から昔のものということになる。そんな時代の塔から魔物が現れるの?」
「その通りだ」
「いくら魔物だからって、どうしてそんなに長い間、生きていられるの? それも、こんな狭い塔のなかに閉じこもって」
「そこが第一文明期の驚異というものだろう。あの時代の文明はいまの我々にはとうてい想像も出来ないほどの高みに至っていたらしいからね」
そう語る昴の口調には何とも言えない悔しさがにじみ出ていた。
「ともかくだ。この塔からはときとして魔物が現れる。とは言え、年に二、三度のことではあるし、まわりには常に部隊を配置しているから特に被害が出ると言うことはない。それでも、魔物が現れる場所が〝丘〟、それも、王都の中央にあるとなれば人の心はざわめく。不安に駆られる。そんなものを放置したままでは国家の統治能力、ひいては陛下のお名前にも傷が付く」
「そうでしょうね」
「そこで、先手を打って塔内部の魔物を討伐することにしている。定期的に討伐隊を送り込んでいるのだが、今回は君にその役目を果たしてもらいたい」
「わたしに?」
「そうだ。魔物たちを討伐し、塔の頂上に行き着く。それが出来れば君は自分の能力を充分に証明したことになる。また、王都のために戦った英雄、と言うことにもなる。つまり、特別扱いをされる資格を手に入れる、と言うわけだ。そうなれば、他の能力自慢を差し置いて陛下に謁見しても誰からも文句は出ない。どうかね? 挑戦してみるかね?」
もちろん、生命の保証は出来ないわけだが。
昴はそう付け加えた。
「この塔の頂上にたどり着けば、すぐにマヤカに会わせてくれるの?」
「私の名誉に懸けて約束しよう」
その言葉に――。
メインクーンはうなずいた。
「やる」
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