一〇章 何、この矢は?

 メインクーンが先頭に立ってから探索速度は一気に一〇倍にも跳ね上がった。

 何しろ、メインクーンにはエキノドルスたちのように身を屈めて辺りを注視したり、地面に耳を押し当てて音を探ったりする必要はない。ただ、当たりを眺め、匂いを嗅ぎ、空気の流れを感じ取る。ただ、それだけでどこに何があり、どんな相手がいるか感じとることができる。

 それはまるで、あちこちに建てられた案内図を見ながら進んでいるかのような姿だった。卑劣な小悪党ではあっても冒険者としての実力は確かなはずのエキノドルスたちが唖然として、口を挟むこともできないほどのスムーズな探索振りだった。

 実際、メインクーンにとっては案内図が建てられているも同じだった。〝知恵ある獣ライカンスロープ〟特有の鋭敏な感覚に加え、『誰?』のもとで学んだ様々な探索の手法――痕跡の見つけ方、匂いの嗅ぎ分け方、気配の探り方――それらを駆使すればどこに何があるかを感じるなど簡単だった。廃墟のなかから町の構造を読み取り、どこに貴重な資源が収められているかを見抜き、かすかな痕跡から魔物の存在を感知する。そのすべてが手にとるようにわかる。自分の能力の高さにエキノドルスたちが唖然とし、ある意味、怯えてさえいるのもはっきり、わかった。それもまた、『誰?』のもとで学んだ忍術のひとつ、人の心を読み取る洞察術の賜だった。

 ――噂は噂として、かの人たちが一〇年以上にわたって冒険者として生き抜いてきた実力の持ち主であることは間違いない。そのベテランたちでさえ、わたしの能力には驚いている。恐怖さえ感じている。わたしの能力は中央でも充分、通用する。

 メインクーンはそう確信した。

 その確信を裏付けるかのように次々と廃墟となった町に残された宝や資源を見つけ、あっという間に一財産、手に入れてしまった。廃墟に潜む数少ない魔物を見つけては、その双刀であっさりと切り捨てた。エキノドルスたちのように三位一体のコンビネーションに頼る必要などない。右手の短刀と左手の長刀。その二本の刀を魔法にように操り、たったひとり、正面から魔物に挑み、ねじ伏せることができた。そのたびにエキノドルスたちからはっきりと感じ取れる驚きと怯え。その感情の乱れがメインクーンに自分の実力をさらに確信させた。

 「い、いやあ、すごいな、お前」

 何度目だろう。廃墟に潜む魔物をあっさりと切り捨てたメインクーンを見て、エキノドルスがようやくそう言った。しかし、形ばかりは感心していても、その表情も口調もこわばっている。それはまさに、ネコと思っていた相手がトラの子であることに気がつき、下手をすれば自分が食い殺される羽目になる。その危険に気がつき、怯える飼い主、と言うのにぴったりの態度だった。

 「し、新人でそれだけできれば大したもんだ。お前ならきっと良い冒険者になれるさ。ま、まあ、おれたちにはまだまだ及ばないがな」

 はっはっはっ、と、エキノドルスは笑ってみせる。その笑いはどんなに鈍感な子供にでも単なる虚勢と分かるようなものだった。

 「ありがとう」

 メインクーンは短く言うとさらに奥へと進んだ。

 ――ここには何かがいる。

 メインクーンの鋭敏な感覚はすでにそのことを感じ取っていた。しかし、それが何かまではさすがにまだわからない。

 「ねえ」

 メインクーンは先頭に立って進みながら、後ろを振り返りもせずに尋ねた。

 「な、なんだ?」

 「やっぱり、ここには生き物の数が少なすぎると思うのだけど。ここに来るまでの遭遇率に比べてあまりにも生息密度が低すぎる。ベテラン冒険者としてはどう思う?」

 「あ、ああ、そうだな……」

 エキノドルスは小首をかしげて考え込んだ。卑劣な小悪党であっても冒険者としての実力と実績は本物。この程度の質問に答えるのは造作もない。

 「……まわりに比べて廃墟のなかの生物密度が低いことには主にふたつの理由がある。ひとつは〝丘〟に設置されていた魔物よけの仕掛けがいまだ機能している場合だな」

 「魔物よけの仕掛けって?」

 「魔物よけの呪法、魔物や怪物たちの嫌う音や匂いを放ちつづける仕掛け。侵入防止用のトラップ。そんなところだな」

 「そんな仕掛けがあるなら、そもそも廃墟にされたりせずにすむんじゃない?」

 「そうでもない。この手の仕掛けは野性動物やそれに近い低レベルの魔物になら効果はある。けど、高レベルの強力な魔物には通用しない。そんな魔物に襲われてしまえば〝丘〟は滅びる。そして、その後も魔物よけの仕掛けだけは生き残っている、と言う場合は少なくない」

 「なるほどね」

 「それに、前にも言ったとおり、〝丘〟が滅びる理由は魔物や怪物に襲われた場合だけじゃない。住人同士の争い、疫病や飢饉、交易路が分断されたことによる離散……色々な理由がある。そんな理由の場合、魔物除けの仕掛けが生き残っているのは当然だからな」

 「それもそうね」

 メインクーンに感心されて『先輩冒険者』としての自信を取り戻したのだろう。エキノドルスは余裕ぶった先輩面に戻っていた。『講義』をする口調も以前通り、なめらかなものとなっていた。

 「そして、廃墟のなかの生息密度が低いことにはもうひとつの理由がある」と、エキノドルスは『先生』らしく偉そうな態度でのたまった。

 「もうひとつの理由?」

 「強力な魔物が住み着いている場合、だ」と、エキノドルスは胸を張って『教え』た。

 「強力な魔物が住み着いていれば、そいつを怖れて弱い魔物や怪物は近づかない。単なる野性動物なら言わずもがなだな。あるいは、そいつがまわりの生き物を食い尽くしてしまうことで生息密度が減ると言うこともある。そんな強力な魔物ほど気配を感じさせることもなくうまく潜んでいるもんだ。まんまと退治できりゃあ、良い金になるぞ」

 「討伐依頼が出ているわけでもないのに報酬が支払われるの?」

 「ああ。ある程度以上の危険度の魔物や怪物の場合、依頼の有無に関係なく、退治すれば報酬が支払われる。もちろん、その分、半端なく強力な相手だけどな」

 「そう」と、メインクーンはエキノドルスの講義に対して小さくうなずいた。

 「それなら、うまく稼げるチャンスかもね」

 「なに?」

 メインクーンの言葉に――。

 エキノドルスの顔色がかわった。

 「さっきから感じるのよ。いままでに見つけた魔物たちは格の違う、強力な気配をね。あなたの言ったとおりうまく隠しているけど……完全に隠せるものじゃない。かすかだけど強力な気配をはっきり感じるわ」

 メインクーンはそう言うと一行を案内して歩きだした。

 「こっちよ」

 いつの間にか立場が逆転しているようだった。『先輩』に引率される『新人』であったはずのメインクーンが、いつの間にやらエキノドルスたちを先導している。エキノドルスたちはそれに引っ張られて、戸惑いながらも引き回されている。そんな印象だった。

 「な、なあ、おい……」

 最初にその違和感を口にしたのは、いかつい外見とは裏腹に根は小心者のラジカンスだった。

 「あいつ、やっぱり、やべえよ。〝知恵ある獣〟をカモにしようなんてやっぱり、間違ってたんだ。今回はこのまま『良い先輩』として終わりにしようぜ」

 「何だと?」

 「あいつのおかげでけっこう稼げたんだしよ。このまま普通に調査して、帰って、報告して、終わりにしようぜ。一回のクエストでの報酬としては破格の稼ぎになる」

 「ば、馬鹿野郎! いまさら何を言ってやがんだ。あんな上玉、逃がしたりしたら一生、後悔するぞ」

 「そうとも。見ろよ、あの顔、あの体。あんな引き締まった体を味わえるチャンス、めったにねえぞ」

 サジタリアも口を揃えた。

 ラジカンスは不満げに頬をふくらませた。

 「そ、そりゃあ、おれだってそう思うけどよ。命あっての物種だろ。死んじまっちゃ割に合わねえよ。それにほら、分かってるだろ?」

 ラジカンスは声を潜めた。『分かってるだろ?』とささやく表情が迷子になった子供のように心細そうだった。

 「……あいつ、小娘のくせにメチャクチャ強えよ。下手に襲ったりしたら返り討ちに遭うのがオチだって」

 「心配いらねえよ。そのために先頭に立たせて戦わせてるんじゃねえか」

 認められたい。

 評価されたい。

 そんな思いを強くもつ新人冒険者はちょっと褒めて、先頭に立たせておけば、張り切って戦い、体力をすり減らす。とくに日頃、年上の男から評価されることのない若い女はその傾向が強い。褒めて、褒めて、おだててやれば、すぐにその気になって体力の限界まで戦いつづける。そうなればどんなに強くてもやりたい放題。後は身ぐるみはいで放置しておけば魔物たちが片付けてくれる。

 エキノドルスは経験上、そのことをよく知っていた。いままでに何人もの若い女性冒険者をそうやって毒牙にかけ、死なせてきたのだ。その手法の有効性を疑ってはいなかった。

 「そうとも。心配いらねえよ。あいつだって若い女。年上の男から褒められりゃあ、すぐにその気になって戦いつづける。いくら〝知恵ある獣〟だって無限の体力をもっているわけじゃねえ。このペースで進んでいれば、いずれは疲れはてるさ。そうなりゃあ、どんなに強くたって抵抗できねえ。思う存分、あの引き締まった体を味わえるってもんだ」

 エキノドルスはそう言って舌なめずりした。しかし――。

 その口調にはどこか、無理に自分自身に言い聞かせているような響きがあるのだった。

 ラジカンスはなおも納得しない様子だった。

 「けどよ。あいつの言うとおり、強力な魔物ってのがいたりしたら……」

 その問いに答えのはサジタリアだった。

 「そのときのためのこいつだろ」

 愛用の弓の弦を弾きながら小さく呟く。その目が不気味に輝いていた。

 メインクーンの感覚はやはり確かだった。ほどなくして廃墟の一角に潜む巨大な怪物を見つけていた。

 「ディ、ディノシックルだ……!」

 ラジカンスが小さく悲鳴をあげた。その顔は恐怖にこわばり、すでに腰が引けている。いっそ、小便を漏らしていないのが不思議なぐらいの姿だった。

 「恐ろしい鎌?」と、メインクーン。怪物の姿をマジマジと見つめる。なるほど、その名の通り、怪物の両腕は巨大な鎌となっている。

 メインクーンは小首をかしげた。危険度の高い魔物や怪物に関してはトリトン公国の戦士団からも、『誰?』からも繰り返し教えられた。しかし、『ディノシックル』という名前を聞いたことはないし、こんな姿の怪物は書物でも見たことがない。トリトン公国のある辺境地域には生息していないのか、めったに出会えないレアものなのか、それとも……。

 ラジカンスはすでに逃げの姿勢に入りながら答えた。

 「き、危険度Bの怪物だ。あ、ありゃあダメだ、ヤバい、ヤバすぎるって。速く逃げよう。気付かれたら全員、食い殺されるぞ」

 「もう遅いみたいよ」

 「なに⁉」

 「気付かれている。こっちに来るわ」

 メインクーンがそう言った、そのときだ。

 ヒュン! と、弓弦の音が響いた。

 つづいて、ブスッ、と、何かに突き刺さる音。

 ――ブスッ?

 メインクーンは自分の足を見た。右足のふくらはぎ。そこに――。

 サジタリアの矢が刺さっていた。

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