第二話 戦争を起こした相手に会いに行く。

七章 冒険者になる

 「覇者マヤカがまたぞろ軍を動かしたらしいぜ」

 冒険者風の壮年の男が酒の入ったカップを手に、声を潜めてそう言った。同じテーブルに着いていた仲間の男がうそ寒そうに首をすくめた。

 「またかよ。今年に入って三度目じゃねえか。最近、またぞろ動きが激しくなってきたな」

 「ああ。大陸統一を掲げて戦をはじめて二〇年。何がなんでもやり遂げようって腹らしいぜ」

 「冗談じゃねえなあ。本人は好きでやってるからいいが巻き込まれる方はいい迷惑だぜ、まったく」

 「まったくだよな。大陸を統一しようってえのはいいが、やり方は考えてほしいよな」

 冒険者の男たちが酒を飲みながら噂話に興じている。北方大陸最大の国、シリウス。そのシリウスの最北端、もっとも辺境に近い位置にある町。辺境と中央とを結ぶ言わばハブとして機能している町、その町のなかの小さな酒場でのことだった。

 「ねえ」と、少女の声がした。

 「その話、くわしく聞かせてくれない?」

 男は声のした方を振り向いた。驚きのあまり、目を見張った。そこに立っていたのは人の姿に獣の耳と尻尾を生やした肉体を、忍び装束に包んだ少女だった。

 「ラ、〝知恵ある獣ライカンスロープ〟……?」

 男が驚くのも無理はない。普通、〝知恵ある獣〟は町に近づいたりはしない。森や野山のなかでひとり、暮らすのが〝知恵ある獣〟というものだ。町中で〝知恵ある獣〟を見かけることなどめったにない。ましてこんなまだ十代半ばとおぼしき少女など。

 酒場のなかがざわめいている。誰もが〝知恵ある獣〟の少女を見つめ、声を潜めて話している。皆、〝知恵ある獣〟の少女を直に見るのははじめてなのだ。ただし、騒ぎになっているのはただ単に『めずらしいから』と言うことではない。

 少女のその美しさも理由だった。

 〝知恵ある獣〟特有の、何者にも媚びることのない凜とした美しさ。それは、人間には決してもつことのできない野性の獣の美しさ。〝知恵ある獣〟特有の魅力として半ば伝説として語られるその美しさを具現化した存在。それが、いまこの場に立つ少女だった。

 〝知恵ある獣〟の少女はまわりのざわめきなど無視して男に尋ねた。

 「覇者マヤカって誰? 大陸統一とか、軍を動かしたとか、どういう意味?」

 「あ、ああ、言葉通りの意味だよ。覇者マヤカってのはこの国、北方大陸最大の国シリウスの王でな。二〇年前、大陸統一を掲げて戦争を起こしたんだ」

 「……二〇年前」

 「そうさ。もちろん、それまでだって大陸が平和だったってわけじゃない。戦争なんざ日常茶飯事。焼け出される連中なんざいくらでもいた。それでも、覇者マヤカが統一戦争に乗り出すまでは全面戦争なんてものはなかった。幾つもの小競り合いが同時に起きている、と言う状況だった。そんななかで即位したマヤカはいきなり大陸統一を宣言し、侵略戦争をはじめたのさ」

 「そして、マヤカはたちまちのうちに近隣諸国を征服し、領土を倍増。その働きによって『覇者マヤカ』の称号を与えられたのさ」

 と、仲間の男があとを引き取った。最初の男は酒を一口あおると深くうなずいた。

 「そういうこった。まあ、そうは言っても順調だったのは最初の数年間だけで、すぐに他の国も体制を整えて反撃を開始。とくに、北方第二の国であるヴェガが女狐の指揮のもと……」

 「女狐?」

 「ああ、ヴェガの王妃さまだよ。なんでも大層な美人らしいが権謀術数に長けた陰険な女らしくてな。そう呼ばれているのさ」

 「そう」

 「でまあ、この女狐のもと、ヴェガが本格的にシリウスに対抗しはじめてな。さしもの最強国シリウスも勢いをそがれ、戦況は泥沼化。それでも、覇者マヤカは大陸統一の野望を掲げ、戦いをつづけているってわけさ」

 「そう」と、〝知恵ある獣〟の少女は答えた。それから、男に尋ねた。

 「そのマヤカとやらに会うにはどうすればいいの?」

 言われて男は声もなく仰天した。『こいつ正気か?』という目で少女を見たのは……誰も責められないところだろう。

 「お、おいおい、お嬢ちゃん。バカ言っちゃいけねえ。相手は北方最強の国の王さまだぞ。まして、大陸統一を掲げる覇者ときてる。おいそれと会えるような相手じゃ……」

 「どうすれば会えるのかって聞いたのよ」

 男の言葉は、おとならしい分別のある諭し方というものだった。しかし、そんなものは〝知恵ある獣〟の少女には何の意味もなかったらしい。あくまでもまっすぐにそう尋ねてきた。その言葉には十代の少女とは思えないゾクリとするような迫力が込められており、男はそれ以上、質問をかわすことは出来なかった。

 「……そ、そうだな。大陸統一と言っても現場で指揮をとるのは配下の将軍たちで、覇者マヤカ自身は王宮から離れることはない。だから、まずは王宮に行くことだな」

 「王宮に行けば会えるの?」

 「ただ行ったって衛兵に追い返されるだけさ。だが、そうだな。冒険者にでもなれば……」

 「冒険者になれば会えるの?」

 「もちろん、ただの冒険者じゃ無理だ。だが、覇者マヤカは大陸統一のために常に戦力を求めている。とくに名のある相手なら自分から招いてスカウトする。だから、冒険者として名を馳せれば……」

 「冒険者として名を馳せれば会えるの?」

 『会えるの?』と、〝知恵ある獣〟の少女は繰り返した。恐ろしくまっすぐに質問を繰り返してくる少女だった。男はうそ寒いものを感じながら最後の答えを返した。

 「多分、な」

 「そう。ありがとう」

 〝知恵ある獣〟の少女は短く礼を言うと、指先で弾くようにしてコインをテーブルの上に置いた。

 「お礼にここは奢るわ」

 この場どころか五、六回は飲めそうな枚数のコインをおいて、少女はきびすを返して歩きだした。酒場中を唖然とさせて、少女は酒場を出ようとした。冒険者の男はあわてて腰を浮かせると、その背に向かって問いかけた。

 「お、おい、ちょっと待てよ、お嬢ちゃん。あんた、名前は?」

 その問いかけに〝知恵ある獣〟の少女は振り向きもせずに答えた。

 「メインクーン」

△    ▽

 メインクーンがトリトン公国を出奔してから二週間がたっていた。人間なら二ヶ月はかかる道程をメインクーンは二週間で踏破してきたのだ。そして、付いたそうそう、有意義な話を聞くことができた。

 ――覇者マヤカ。

 シリウスの王。

 二〇年前、侵略戦争を開始し、大乱世を引き起こした存在。

 ――だったら、わたしとわたしの母が戦火に追われ、流浪する羽目になったのはマヤカのせいと言うことになる。

 だったら、会わなければ。

 覇者マヤカに。

 会ってどうする?

 ――会ってから決める。

 それがメインクーンの答え。

 そのために冒険者になる必要があるというのならむしろ、好都合だった。

 メインクーンの目的。

 それは世界一の金持ちになり、金の力をもって戦争を起こせない世界を作ること。そうすることで自分を苦しめた戦争をこの世から根絶すること。そのためには世界中の誰よりも稼げる手段を手に入れなければならない。トリトン公国大公ナローリーフから支給されていた年金はすべてもってきているので、自分ひとり生きていくだけなら一生、金に困ることはないだろう。しかし、その程度の財では意味がない。『戦争を殺す』という目的を達成するためには巨万の富が必要なのだ。それこそ、大陸中の冨を自分のもとに集約するような。

 そのためには途方もない額の稼ぎを得られる手段を手に入れなければならない。その第一歩として冒険者になるというのは悪くない選択だ。冒険者になれば各地に眠る宝も手に入れられるし、名を馳せることが出来れば有力者とも会いやすくなる。有力者とのパイプが出来れば巨万の富を得るための手段も得られやすくなると言うものだ。冒険者となり、名を馳せることは、覇者マヤカに会うためだけではなく、『戦争を殺す』というメインクーン本来の目的にも合致する。

 「では、まずは冒険者になることね」

 ――まず、冒険者になる。そして、自分が実際にはどの程度強いのかを知る。

  メインクーンは当座の目的をそう定めた。

 トリトン公国ではすでに敵なしだった。魔物退治も何度もやった。トリトン公国では、と言うより、北の果ての辺境地域ではメインクーンは最強だった。

 それは間違いない。とは言え、辺境での最強が中央でも強いとは限らない。もしかしたら、辺境での最強など中央では話にもならないほど弱いものかも知れない。冒険者として名を馳せようと思えば、中央において自分がどの程度、強いのか知っておく必要がある。辺境と中央とを繋ぐハブとして機能しているこの町でなら、中央のレベルの一端なりと知ることが出来るはずだった。

 ――それに、こっちに来てから聞いた『あの言葉』が正しいのかどうかも知っておかないとね。

 メインクーンは心にそう呟くとその足で冒険者ギルドに向かった。

△    ▽

 「……冒険者としての正規の資格を得る方法はいくつかあるんですが」

 まだ幼さの残る冒険者ギルドの受付嬢は、はじめて見る〝知恵ある獣〟の少女に戸惑いながらも丁寧に説明してくれた。

 「一番、手っ取り早いのは中級以上の冒険者三名以上から推薦を受けることです。その推薦状さえあればいますぐ免許を発行できるんですけど……推薦状なんてありませんよね?」

 「ええ」

 「推薦してくれそうな中級冒険者の当てはありますか?」

 「いいえ」

 「ですよね。となるとあとは、こちらで手配する資格審査にパスするか、やはり中級以上の冒険者パーティーに同行して認めてもらうか、あるいは……」

 受付嬢がそう言ったときだ。

 「その役、おれたちが引き受けた」

 自信に満ちた声がした。

 振り向いたメインクーンの先、そこに三人組の男たちが立っていた。



 

 

 

 

 





 

 

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