異世界派遣は楽じゃない

バカの天才

【 第一部 仕事はじめ 】

序章ー1 「『それ』」

 ・・・俺の異世界は楽じゃない。



 似たような味の飯、日を遮りそびえたつビル、途絶えることを知らない工事の音、煩わしい街中の喧騒


 うんざりしていた日常も、今は恋しい。

 レイはぽけーっと口を開け、現状を味わう。


 月明りを通し風に揺らぐ木々、一糸乱れぬ虫の声、誰もいないと錯覚させる森の静寂


「あとは味の無い飯があれば完璧な対比だな…」


 ぽつりとつぶやくこの小言も、きっと誰にも聞かれない。


 競争によって常に比較に晒されてきた前の世界と、右も左もわからない今の世界。一体どっちがいいんだろうか。

 森に覆われた草の中で佇み、レイは普段思ってもないことを考える。


「それなら安心するといい。ここの飯は不味いぞ」



 ――バサバサッ



 木々の鳥たちが一斉に飛び立った。

 それと同時だろう、突然の返答にぎょっと振り返る。


「っっ!?」


 不意に現れたこの男の一声は、あんぐり開けた口を閉ざすには十分だった。

 あぁそうだ、この男だ。いや、男の姿をした何かだ。

 なぜならこいつ、初対面はこの男姿、その前は女だったのだから。

 そして人間の姿をした『それ』は、俺をこんなところへ飛ばした張本人だ。

 以前と違うとすれば前はスーツを、今はファンタジーのモブの旅人のような服装をている。


「今さらこんなことで驚くなんて、退屈な人生だったんだろう」


 胡散臭い笑みを浮かべながら『それ』はそう言い放った。


飛鳥馬あすまれい

そう、俺の今までを振り返れば確かに退屈だったんだろう。日本の平凡な家庭の一人っ子として生まれた、それ自体は幸運だっただろう。

 決して順風満帆とは言えない学生時代を過ごし、逃げるように上京した。

 大学にいけば今までを取り返せると踏んだが、同期と言える人もできないままに就活に失敗。


 ささやかな娯楽と腹を満たすために、その日暮らしの日雇いの派遣社員だった。

 黒髪は染め残しが目立ちに、平均的な身長。軽作業という重労働のおかげか以前よりやや筋肉がついてきた。幼少期とは違い、目には自信の無さが現れている。


 そんな語ることも少ないレイの人生で一番の失敗は何か。 

 本気で何かを成し遂げようとしなかったこと?後悔を活かそうとしなかったこと?


 ・・・否


 好奇心と刺激を求めて、怪しい派遣会社の面接に行ったことだ。


「ハァ、俺の生涯は面接の時に喋っただろう…」


 理解しがたいこんな状況だが、見知った顔を見れたことの安心感による安堵の息か、あまり見たくない顔だったため、がっかりによるため息か。


「やる気をみせろ新人、欲しいものがあるんだろ?それに、どのみち仕事をしなきゃ帰れないぞ」


 ・・・あれ、そうだったっけ。


「あんた、もっと優しい人かと思ったんだけど」


 今は見たくないあの顔も、日雇い現場で最初に会った時は違った。

 坊主頭にでかい鼻、太い眉と雑に剃ったような無精ひげ、気の優しそうなおっさんだと思った。

 どうしたらいいかわからない時に質問して、その後少し喋った程度。厳しすぎない良い塩梅な人。そんな退屈の中にいた1人なのに、どうしてこうなった。


「はははっ!十分優しいだろう、こうやって顔をみせてやったんだからな。それとも前の女姿のほうがやる気がでるか?」


 そう言うと、まるでショーでも見せるかのように両手を広げ立ち振る舞うと一回手を叩いた。叩いた音が鳴りやむと男の姿はみるみると変わっていく。

 皮膚や骨だけでなく身に着けていた衣類ごと歪む。歪み、歪み、歪み続けて、

 やがて身長はやや小さく、坊主頭からは髪が生えそろう。でかい鼻は小さくなりヒゲは消えた。


「ビビディ・バビディ・ウーだかなんとか……、お前の世界で見たガラスの靴を落とす少女の話から着想を得たんだ、実に夢があって神秘的だ」


 ついでに声も変わったようだ。


「ウーじゃなくてブーだ、それにあれは着替えだけだし馬車もあった、第一こんなグロテスクじゃない…、これじゃあまるで小学生の頃に作った粘土の人形だ」

 

「そうか?それよりも見ろ、いいだろうこの姿。実に便利だ。美貌は劣情を煽り、劣情は言葉を少なくする。容姿というのは実に奥が深いな。事実、事務所に来たお前は顔を赤くしてこちらの言うままだったぞ?」


 仕方ないだろう、眼前の『それ』は美しい少女だった。

 腰まで届く長い金色の髪、こちらを見透かすような青い瞳が2つ。美しさとあどけなさは相利共生という他ならない。目と髪の色と合わせた華美な服装は私を見ろと叫んでいる。

 先ほどまでの不快な笑みは、こちらをからかうかのような煽る笑みとなり胡散臭さを消し飛ばす。なにより、どことなく感じさせる気品は奴の言う通り劣情を誘う。


「お前の見せる笑みが煽るのは劣情じゃなくて不安だろう」

 と言いたかったがレイは言葉にできなかった。


「……気味が悪い」

 こっちはちゃんと口にでた。


「おとなしめな黒髪が好みか?」

 飄々とした顔でやつはとぼけた。


「違う!突然女になったり男になったりするのがだ」


「お前の世界では寛容的だっただろう?トランスジェンダーだの性転換だのって騒いでいるだろう。お前向けにいうと…そう、あれだ…ジャンルってやつだ」


「もう訳が分からない……」


 レイは頭を抱える、本気で頭を抱えるのは人生で初めてかもしれない。

 そんなレイを無視するかのように言葉を続ける。


「優しさといえば、初めての現場は引率が必要だろう?」 


 私がそうだと言わんばかりに両手を広げ胸を張るということは、まぁそういうことなんだろう。


「引率って……、そもそもここはどこで現場ってなんだよ」


 抱えた頭を離し奴を見る。そうすると再び『それ』は手を叩く。

それからまた歪み、美しい少女など最初からいなかったかのように小汚い旅人の男に戻るとこう言い放った。


「まったく……、派遣する前に一通り説明したし契約書も見せただろうに」


「あぁ、その後空から落とされてなきゃ覚えてたよ」


 レイにとっては最悪の光景だ。最後に見た景色は東京タワーのてっぺんに突き刺さるように落ちた場面だったからだ。それも奴が手を叩いた後に。それだけは鮮明に覚えている。


「大体あんたは何なんだ、突然。この状況も…。頭が追い付くわけがない。意味が分からない」


 沈黙が続く。座り込み、頭の中をほじくり返すようにしても死の一瞬とそれまでの欠片しか思い出せない。


「聞いたことない派遣会社に行った。きれいな人がいて、でも実は男で、空に飛ばされて、最悪な最後を迎えて…断片的にしか覚えてないのに」


 思い出そうとすればするほど、混乱する。


 





 イミガワカラナイ







「錯乱しているようだからハッキリ説明してやろう、新人。よく聞いておけ」


『それ』は笑みをやめ、石に腰を掛ける。そのまま突然手を叩くと錯乱したレイの頭の中が真っ白になったかと思うとスっと頭が冴えた、まるで顔でも洗われたかのように。またなにかされたのだろう。


「まず、そうだな。殺したことについては謝罪しよう」


 声色が変わっている。低い声、放たれる威圧感とその凄みからは想像できないような落ち着いた口調は『それ』が得たいの知れない強大な何かだと感じさせられる。これならまだニヤついてくれていたほうがましだったとさえ思うほどに。


 ん・・・?


 ごくりと唾を飲む。


「ま、待てよ、殺したっていったのか?や、やっぱりあれは現実で、空から落ちて死んだのか…?」


 ・・・言葉では軽々しく話せるが、死んだことを簡単に受け入れることができるわけない。あれはちょっとした行き過ぎた妄想でこれも夢かなんかで・・・

 気分が悪くなり、呼吸も早くなる。


「あぁ、そうだ。俺が殺した。だが乗り物に轢かれようが、空から落ちようが大した差はない。死はそれまでの自分との決別、そして新しい世界を実感されるに十分な刺激となるからだ」


『それ』は続けて喋り続ける


「死とは契約だ、お前は俺と契約した。契約に基づき派遣された世界で俺の代わりに仕事をしろ。そうすれば契約に従い俺はお前の願いを叶える。Win-Winかつ単純な話だ」


 淡々と語ってくれているが、当然理解は追いついていない。

 唯一理解できたものは・・・


「契約…派遣された世界ってことは…、少なくとも俺がいた世界じゃないのか…!?」


「驚くことじゃないだろう?おまえの世界にはたくさんの本や映像があったじゃないか。死んで目覚めて美女がいて…、まったく知らない人間と言葉を交わす。否定はしない、そういう世界や派遣方法ももちろんある。だが決して甘い世界ばかりじゃない、キュートな女神も無しだ」

「煙と灰、戦争で荒れ果て、人の数より武器の種類のほうが多い世界、便所もままならない貧困の渦巻く世界、剣と魔法、そして人の命が1コインで買えるほど安い世界、1人の女を巡って人口の8割が殺しあう世界等々」


『それ』は笑みを浮かべ、声色を戻す。放っていた凄みもない、今はただのおっさんに戻ったようだ。


「どれも滅びそうな…、ねじ曲がったおとぎ話みたいだ」


 レイはそう言うと、ため息とともにまた頭を抱える。テンションは下がる一方だ。


「安心しろ新人、ここはそう悪いところじゃないぞ。それにお前好みの可愛いくて従順な女もいるだろう、それを得るかどうかはお前次第だ。飯は不味いし、命も軽いがな」


 前の世界だって結局自分次第だった。


「……死ぬことが契約ってなんだよ、わざわざ空から落としやがって。もっと楽な方法はなかったのかよ。もう高いところ登れなくなりそうだ」


「試したかったのさ。天空から石をもって落ちていく少女とそれを受け止める少年の話に心を惹かれてな。お前の世界では受け止めたのがタワーだった、それだけだ。」


「泣けてきたな…」


 色々聞いた挙句の結論は、この一言に落ち着いた。


「あぁそうだ。あとこの言葉を肝に銘じておくといい」


『それ』は据わった目をしながらこう言った。まるで自分に言い聞かせているように・・・







 「異世界派遣は楽じゃない」


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