第2章 精霊たちの世界
第50話 クロの夢
がっしりとした男の人の腕に抱きかかえられ、長いらせん階段を昇ってゆく。
いつものことだ。
夢の中でロゼラインはそれを自分が経験していることのように感じた。
だが、少し違和感が……?
抱えてくれるその人の身体のパーツの縮尺が違うのだ。
人間のロゼラインの目線からすると間近にある男の人の顔も抱きかかえる腕も大きすぎる。
ときどき下に降ろしてもらい、男の足元にまとわりつきながら一緒に昇る。
これもいつものことだ。
ロゼラインはここで自分の見ている映像が猫のクロの記憶であることに気づいた。
クロはその人のことが大好きだった。
いつも連れていかれるその建物の中でクロは時々ネズミを追いつめる。
そうすると、その人も他の人間もクロを褒めてくれる。
ほかにも何匹か猫がいてそれなりに交流があった。
人と関わるのも楽しくクロは幸せだった。
自分を抱きかかえてくれる人はいつものように塔の上からの景色を眺めるために、クロを一緒につれていってくれるのだと信じて疑わなかった。
高い塔のてっぺんはぴゅうぴゅうと風が激しく吹きすさぶ。
それでも高い塔から下の広場を見下ろすのが好きな男は、猫と一緒にしばらく下界を見下ろした後、再び階段を降りてゆく。
降りる時には足元が不安なのか、猫を下に降ろし歩かせる。
猫は人を先導して階段を一気に駆け降りると途中で立ち止まり、振り向いて男が追い付くのを待つ。
それを繰り返しながら地上まで降りてゆく。
今日もそうやって一緒に楽しんむのだと思っていた、しかし、
「ノワール、ごめんな……」
小さくつぶやいた男は猫を塔のてっぺんから投げ落とした。
宙へ投げ出された黒猫は自分に何が起こっているのかわからなかった。
いくら猫が高いところが得意と言っても、街で一番高い鐘塔の上から投げ出されては受け身が取れない。
何が起こっているのか理解する間もなく猫の身体は地面にたたきつけられた。
「惨憺たる光景だ」
「よくもこんなむごいことを」
人間には視認できない二体の精霊が街の広場の惨状を談じていた。
塔の上から投げられた猫はクロだけではなかった。
投げ落とされ絶命した猫の魂たちは自分の死を自覚できず、なきながら広場をうろついていた。
「それにしてもこの世界は、我々を『柱』とした世界よりも魂のエネルギーが事象に影響をもたらす力が弱い。にもかかわらず小動物を忌み嫌ってこんな残虐なことを……」
「そなたが司る『魔法』を扱う『魔女』の手下という濡れ衣からだったな、ウルマフ」
「だからなんだ、俺に罪の意識でも感じろといいたいのか? この世界では『魔力』という魂の力が影響を与える事例はごくわずかだ。それでもその幻象だけはしっかり根付いているようだがな」
二体の精霊のうち一体はサタージュで、もう一体はウルマフと呼ばれていた。
「この猫の魂たちはいったいどうなる?」
「じきに迎えが来るだろう。猫など人間に近い生き物の魂の互助組織みたいなところがひきうけてくれる」
しばらくすると光のかたまりが猫の魂を集めそのまま消えていった。
別の次元へ連れていったのだとウルマフが語る。
しかし、すべての猫の魂が消えていったわけではなかった。
黒猫の魂が一匹、広場を歩いている人間の足元にまとわりついては一生懸命アピールしていた。
どうして気づいてくれないの?
声はだんだん大きくなり、不満げな色合いが含まれていったがそれでも人間は気づかない。
この猫は人間たちが自分を裏切ったことに気づいてないのだろうか?
むごい現実を突きつけてさっさと魂の回収係に身をゆだねるよう言うべきか?
その選択を実行する前に黒猫は二匹の精霊の存在に気づきまとわりつき始めた。
クロがいたイーペルの街は毛織物工業が盛んだった。
大事な商品をネズミから守ってくれる猫を人間たちは大事にしていた。
しかし人間と猫の蜜月の時間は長くは続かなかった。
猫が魔女の使い魔と見なされ、猫を多く飼っていたイーペルの街は風評被害に苦しんだ。そして長年の友であった彼らを裏切り、猫を塔の上から投げ落とす儀式を行うことでその疑いを晴らそうとしたのだった。
☆―☆―☆―☆-☆-☆
【作者メモ】
イーペルの猫祭り
ベルギーの南西部(フランスの国境近く)のイーペルで三年毎の五月の第二日曜日に開催される猫尽くしのお祭り。
中世毛織物業が盛んだったこの街はネズミを退治する猫を大事にしていたが、猫が魔女の使い魔とされると周辺からの疑いを打ち消すために猫を殺した。
その歴史を忘れないために開催される。
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