ドラゴンの愛

 カルサナンタの都市から外に出た後、すぐにルーナはドラゴンの姿に戻った。

 女性の姿だったルーナが光に包まれ、まるで膨らむようにドラゴンのシルエットを形成した。

 人からドラゴンに変わる瞬間というのは神秘的で、俺はしばらくドラゴン体になった彼女をボーっと見つめていたほどだ。


“どうした?”

「いや、人からドラゴンになるのを実際に見るのは不思議だなって」

“ふふっ、これから何度も見ることになりそうだが?”

「……そうだな。もう知っちまったわけだし、隠すこともないのか」

“ゼノの前でしか披露することはしないぞ? あの姿は特別なもの、ゼノだけが知っていればいい”


 慈愛を込めた瞳でそう言われ、彼女の舌が俺の頬を舐めた。

 彼女から特別に想われていることはやはり嬉しいけど、改めて正体を知った今となってはこうやって舐められるのも少し妙な気分だ。

 俺は照れを隠すように視線を逸らした後、人が行き交うカルサナンタの出入り口を見つめて呟く。


「なんか、あっという間だったけど少しでもルーナと出歩けたのは嬉しかったよ」

“……すまないな。私もまだ修行不足、好きなように何時間も人になれないのが恨めしい気分だ”

「ルーナにも苦手なことがあったんだな?」

“私は別に万能な存在ではないからな。出来ないこともあるし、苦手なことだってそれなりにある”


 ルーナの苦手なこと……か。

 特に思い当たる節はないし、俺が今まで彼女と接していた中であれだろうかと思い当たるものもない。

 まあでも、そういう苦手なモノがあるというのも可愛い部分だよな。


「それじゃあ……ってどこに行く?」

“飛びながら決めるとしよう。さあ、背に乗るが良い”

「分かった」


 それから俺は再び彼女の背に乗り、ルーナは空高く飛び上がるのだった。

 再開された空の旅の中で、ルーナはおもむろに語り出した。


“ゼノ、ルナとして初めて出会った時のことを覚えているか?”

「もちろんだよ。忘れるには難しいくらいの唐突な出会いだったからな」


 それは何度だって思うことだ。

 あの泉に俺が訪れたのは偶然だけど、その泉の美しさに舌を巻いていた時に現れたのがルナ……ルーナだったのだから。


「……あの時、俺は特に何かをするつもりじゃなかった。あの泉に訪れたのは本当に偶然だけど、君に出会えて良かったって心から思う」

“それは私もだ……ふふっ”

「どうした?」


 いきなり笑った彼女に俺は首を傾げた。

 背中に乗っている俺からルーナの表情は見えないが、今の彼女は今まで見たことがないほどに表情を緩めているのが何となく分かり、それを正面から見れないのが少しだけ残念だ。


“私は元々、誰かを付き人にはしていなかった。基本的に一人が落ち着くし、何より居眠りが大好きだったからだ”

「うん」

“未来を担うドラゴンの戦闘面の育成に関しては私もすることがある。あの時の傷はその名残によって出来た物……そういえば初めて話すか。あの傷はキーアが私に付けた”

「……キーアが?」


 あの時の傷に関して、詳しいことは聞かされていない。

 まさかあの傷をキーアが付けたとは……そもそも、ルーナはとても強くその体はあまりにも頑丈で傷が付くとは到底思えないほどなので、彼女の体に傷を付けたキーアのポテンシャルの高さが窺える。


“キーアは何度も体を丸めるようにして私に謝っていたが今となっては懐かしい思い出の一つだな。そして傷を癒すためもあるが、外の世界で心から落ち着けるあの場所に赴いた際に私はゼノに出会った”

「なんというか、キーアのおかげで出会ったようなものか?」

“かもしれないな”


 そしてと、更にルーナは言葉を続けた。


“ゼノは知っているか? あの場所に普通の人間は近づけないことを”

「……え?」


 それは……どういうことなんだろうか。


“あの場所は特別な魔法が施されており、訪れることが出来るのは限りなくドラゴンとの親和性を秘めた人間のみだ”

「……………」

“私はあの時驚いていただろう? その理由がまず一つ、そしてもう一つは基本的に体に触れられるのが嫌だった私にゼノが触れられたことだ”

「……あ、それで?」

“嫌な感じはしなかった……それどころか、私はあの一瞬でゼノのことを知りたいと思ったほどだ。だからこそ、その日の内にリヒターを脅してゼノを世話係にしてもらった”


 あれ……そういえば一気に思い出してきたぞ。

 あの時はいきなりルーナの世話係に命じられてその気にしていなかったけど、リーダーが物凄く慌てながら俺を呼んで……それでリヒター様から直々に命令されたんだが、確かに顔色が青かったかもしれん。


「……ルーナさぁ」

“仕方ないだろう! 私にとっても初めてだったんだ! 絶対に逃すなって思ったんだもん!!”


 ……ははっ、そうか。

 俺とルーナの出会いはそういう流れがあったわけか……でも、俺はあくまで普通の人間のはずだ。

 ドラゴンのことは徐々に好きになって、今となってはこんなだけど親和性というのは良く分からないけどな。


「なあルーナ、親和性って?」

“言葉でどういうものか説明するのは難しいが、私だけでなくレーナやキーアにも好かれているだろう? それが何よりの証だ”

「……そんなに簡単なモノなのか」

“簡単なモノであるものか。私はもう何百年と生きているが、こんなにも心が求めた相手は初めて……それだけ希少というわけだ”


 そして、ルーナは一旦飛ぶのをやめて急降下した。

 既にカルサナンタからは離れており、周りには一切の人の目が存在しない。

 俺を背中から降ろした彼女は腕だけでなく、翼も使うようにして俺のことを抱き寄せるように体を丸め、耳元でそっと囁いた。


“ゼノ、私はお前を愛している――お前が欲しい、お前だけが居てくれればいい”

「……ルーナ」


 ルーナの瞳は不安に揺れていた。

 その理由を彼女は口にした。


“人になれるとはいえ不完全、何より私の本質はドラゴンだ。人ではない存在にこのように想われるのは迷惑か? 私は……ゼノと愛し合うことを望むのはお前にとって気味が悪いか?」


 彼女の言葉に俺は首を振った。

 正直、混乱の極みにあるのは確かだ――でも、何度も俺は彼女に大好きだって、結婚しようだなんて言ったこともある。

 それは決して小さくはない確かな好意から来る言葉なのは自信を持って言える。

 だからこそ、ルーナにこんな不安そうな目をしてほしくはない。


「その……俺って今までこんな風に言われたことはなくてさ。だから結構困惑もそうだけど驚いている……でも、確かなのは嫌じゃないし気味悪がってもいないよ」

“……ゼノぉ”


 ほら、そういう不安そうな声を上げるから放っておけないんだ俺は。

 彼女の頭に手を置き、ポンポンと撫でるようにして俺は言葉を続けた。


「愛してるよルーナ」


 そう伝えた瞬間、俺は彼女に押し倒された。

 人間とは違いドラゴンである彼女に抵抗なんて出来るはずもない、しかしまるで羽毛のような柔らかさの翼膜がクッションとなって俺を受け止めた。


“……その言葉、嘘とは言わせんぞ? 私はもう、お前を絶対に離さないからな?”


 その時のルーナの瞳はギラリと輝いており、ドラゴン特有の威圧を放つ。

 それから俺は彼女の気が済むまで、ずっと身を寄せられ続け……それは昼を過ぎるまで続くのだった。

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