る、てん。

かもめのじろう

第1点 だから、自分は芝居をやめた。①

2018年の4月。ひょろりと伸びた飾り気のない時計の針は午前9時をお知らせしようとしていた。


私は中途で入った仕事を早々にサボり上野公園の満開の桜を眺める人の波に飲まれながらスターバックスでテイクアウトした熱々のブラックコーヒーを片手にしている。


自分には会社という組織には組み込まれたくない、みたいなつまらないプライドに頑なにしがみついて生きた結果、履歴書の職歴欄には収まらないくらいには転職を繰り返しながら、アマチュア演劇の今で言う「沼」にはまり続けて、泥まみれで高校生からの十数年を生きていた。


ただ、そこで得たものも、今を生きる上では役に立っているから決してその時間を溶かしたりドブに捨てたワケではなかった。

人間関係においては、特に人生の大先輩から小学生の子まで、同じ舞台に立つ事で年齢や性別を超えた世界や時間を共有してきた。

先輩後輩の縦社会でありながら、舞台上では同じ「演者」、横並びのフラットな関係であるべきだと厳しく教えこまれた。


役者として、チラシやパンフレットにクレジットされて数年が経った頃。

いつものように稽古場に行くと、劇団の主宰兼演出家の横に大柄でロマンスグレーの自分と同じ天然パーマの男性が談笑していた。


おはようございます、の挨拶もそこそこに主宰から先制パンチが飛んできた。

「お、コイツ芝居がやりたくても前の劇団じゃあ何もやらせてもらえなくて。だから俺んとこで引っこ抜いてよ。面白い芝居するから厳しくしごいてやって」

よろしくお願いしますとパンチを食らって苦笑いしながら、その男性に挨拶をすると。

「おう」

と軽い返事の後にまたパンチが飛んできた。

「面白い芝居するのか?じゃあ期待できるな」

右から左からのパンチに帰りたくなったが、本番まで1ヶ月なのでそんな事は言ってられない。


他のキャストも集まり、稽古が始まる前、主宰から挨拶があった。

「彼はコウジ君。私の高校の同級生でプロの役者だから。君たちがあまりにも不甲斐ない芝居するから鍛え直そうと思って来てもらった」

「よろしく。彼にお願いされて来たから、厳しくやるけど...逃げないでね」

この時から、数年間、自分の演技を厳しくも優しいコウジさんとの交流が始まった。


徒歩による上野公園の桜クルージングを終えて、駅に戻ろうかとアメ横の開店前の人気の少ないアーケードを抜けようとした時だった。


「コウジさんが亡くなりました」


芝居仲間のグループLINEだった。

コウジさんはまだ60歳そこそこなのにそんなにもあっけなく芝居人生も命も終わってしまったのか。

私はアメ横の中にある摩利支天神社の境内あるベンチに座り込むとしばらく動けず、声を殺して涙を流した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

る、てん。 かもめのじろう @kamome_jiro0701

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る