第6話 天才が終わる

 藤音 美之ふじおと みゆきの人生は、17年間曇り知らずだった。

 

 天才音楽家の父と、これまた天才音楽家の母の間に生まれ、2人の姉と2人の妹、それから弟が1人の7人家族。

 

 姉弟きょうだい全員が生まれた時から最高の音楽に囲まれ、物心着く前からありとあらゆる楽器のプロフェッショナルに演奏を教えられて育った。

 

 みんなそれぞれに才能を伸ばしていたが、その中でも群を抜いて才能を発揮したのが美之だ。

 

 幼少期から、ありとあらゆる音楽に関わる賞を総ナメしてきた。

 

 音楽は楽しいし、大好きだから、どんなおもちゃを与えられるよりも、音楽に接している時間が楽しかった。

 

 幾多いくたの演奏会に呼ばれ、主催し、ファンを集めた。テレビに出た数だって数え切れない。

 

 一生、音楽と共に生きていくのだと、美之は信じていた。

 

 しかし——才能も努力も、全て簡単に無駄になった。

 

 シャボン玉が割れるよりも呆気なく、蟻の一生を終わらせるよりも簡単に。

 

 ——それは学校が終わり、迎えの車を待っている時だった。

 

 校門前の掲示板を読んでいる時、突然、誰かに頭を殴られたのは覚えている。

 

 犯人の顔を確認する間もなく、何度も何度も殴られた。

 

 次に目が覚めた時は病院のベッドの上だった。

 

 ベッドの上に居るとか、自分が何者であるとか、病院に居ることとか、そんな事よりも、何よりも先に思考は嫌な予感へ向いた。

 

 その予感は正しくて、両手が二度と使い物にならない事が、医学的な知識を一切持たない美之にもすぐに分かった。

 

 全く手の感覚がしなかったからだ。

 

 そこからほぼ毎日行われた手術は地獄だった。

 

 治療や痛み止めなんかに特化した音楽家ムジクラの医者が、美之の手を何とか体裁が保てる見た目にするために演奏をした。

 

 治療技術としては1級品なんだろう。

 

 3日もすれば、自分の意志とは全く関係無くだが関節が動くようになった。

 

 感覚も、ほんの少しだけ戻ってきた。

 

 だけど演奏技術は3流だ。

 

 下手な中学校の吹奏楽部みたいな演奏を毎日、何時間も聴かされるのは拷問以外の何物でもなかった。

 

 今の自分はそれ以下の演奏すらできないのだから、余計に。

 

 大切にしていた楽器が、修理や手入れではどうしようもないくらい摩耗してしまった時のような……いや、それよりも遥かに大きな喪失感だけが、美之の手元に残っていた。

 

 退院しても、苦しみは続く。

 

 主席で入学した音楽校は退学。半年以上先まで埋まっていた予定は全てがキャンセル。

 

 テレビが、今まで収録した分の放送予定を狂わせたくないと言ったから、一般に事件が公表されたのは事件から2週間後の事だった。

 

 事件の発表が大幅に遅れた事で叩かれたのはテレビ関係者……ではなく美之の方。

 

 それでも、叩かれていた方がまだマシだった。

 

 3日もすれば今までの人生すら無かったかのように、美之の話題に触れる人はほとんど居なくなったのだから。

 

 ——————————

 

「俺は……俺に協力してくれる音楽家ムジクラを探しています」

 

 友利ともりを見つめる薄緑の目は、真剣、なんて言葉では生ぬるいほど、切実さと絶望感が詰まっている。

 

 命懸け、と言っても差し支え無いほどに。

 

 美之が友利について知ったのは、本当にただの偶然だ。

 

 だけど、退学になって、次の学校を探しているほんの僅かわずな時間で見つけたくらいには、本気でその偶然を掴みに行った。

 

 友利 結一は最古参の音楽家ムジクラで、最近は戦いの場から離れている代わりに初心者のサポートや、チームの斡旋あっせんをしている。

 

 確かな情報では無いが、信じられなくとも、縋れるのはそれだけしかない。

 

 才能を失った途端、両親は美之への興味を失った。弾き終えた嫌いな曲の楽譜を捨てるよりも躊躇いためらなく、簡単に捨てられた。

 

 今はヘルパーが住み込んではいるが、一海かずみ市で実質的な一人暮らしをしている。

 

 ヘルパーは、話し相手くらいにはなってくれるがで、美之の父親から支払われる給料が良いからという理由だけで働いているだけなので、用がない時はずっとスマホを見ている。

 

 だから、実質的な一人暮らし。

 

 友達だって、居ない。みんな美之の上辺しか見ていないから。

 

 之音ゆきとが友達として美之を紹介したのも、便宜上……だろうし。

 

「……また演奏できるようになりたい。かな? 君の願いは」

 

 情報によれば、友利は占い師をしているらしいが、今のは占いではなく、純粋な観察による考察だろう。

 

 美之は大きく頷いた。

 

「どう? 之音ゆきとちゃん」

 

藤音ふじおとくんが私でいいなら」

 

 之音のその返事を聞いて、友利が之音に協力を仰いだのだと、理解した。

 

「なら決まりだ。今日から君の相棒は之音ちゃんだよ」

 

 友利は、こうなる事がんじゃないかと思わせるほどに優しくそう言った。

 

 之音は人の良い笑顔を浮かべ、冷たくなったグラタンを美之の口に入れる。

 

「よろしくね、藤音ふじおとくん」

 

「んっ、急に食べさせるな! ……あと、美之みゆきでいい」

 

 美之が之音の人生に取り返しのつかない影響を与えたように、之音が美之に協力する事を決めたのも、美之の人生に大きな影響を与える事になる。

 

 2人の人生は、友利の手で——もしかするともっと大きな何者かの手によって、歪められている。

 

 それが良い方向に作用するかどうかは……まだ分からない。

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